第2回『地獄』

生きるも地獄、死ぬるも地獄


『地獄』
1960年:日本
監督:中川信夫


 ジャズやら女の悲鳴やら銃撃音やらサイレンやら、訳の分からないサウンド・コラージュが流れる中、スタッフや演者の名前と共に女体が次々と現れるという、ブッ飛びなオープニングからして素晴らしい本作は、まさにタイトルそのまんま、「地獄」を直球に描いた作品であるが、この映画が面白いのは、地獄で捌かれる罪人たちがまず現世においてどんな罪を犯したのかを描き出す前半と、それらの罪人が地獄で裁かれる様を描いた後半に分かれているところ。

 つまりは「この世の地獄」と「あの世の地獄」の二部構成になっているのだ。

 やはり「地獄」というからには、もちろん後半の「あの世の地獄」をメインとした作品には違いないのだが、私としてはこれ、「この世の地獄」をメインとして観ても良いのではないかと思っている。というのも、この世の地獄の描き方が尋常でないほど重々しくエグイのだ。

 主人公の大学生・清水(天知 茂)は疫病神のような友人・田村(沼田曜一)の運転する車に同乗中、轢き逃げの共犯にされてしまう。罪悪感に苛まれた清水は自首するために恋人・幸子と共に警察署へと向かうが、そのタクシーまでもが事故に遭い幸子が死んでしまう。

 これだけでも悲惨だが、今度は「ハハキトク」との報を受け、父が経営する実家の養老院「天上園」(すごいネーミング!)へ赴くと、そこはそこでまた、何とも陰鬱でドロドロした人間暗部の吹き溜りと化している。まず院長である父親は、危篤の妻が床に臥している隣室で堂々と愛人とイチャつく始末。アル中の絵描きがボソボソと何やら歌いながら地獄絵を描いていたり、うさんくさいゴシップ記者や汚職刑事なんかが集まって酒を飲んでいたり、挙句は死んだ恋人・幸子と瓜二つの娘さんがいたりする。

 そしてそこへ疫病神・田村がひょっこり現れ、幸子の両親(母親は娘の死のショックで完全に心を病んでいる)がひょっこり現れ、さらには、先の轢き逃げで殺した被害者の母親と姉が、復讐のために乗り込んでくる。そしてそこから、それら罪深い登場人物たちがクソミソに絡み合って死にまくる。養老院の老人たちまでもが、なぜか食中毒で全滅する。もう書いてるこっちも訳が分からない。

 とにもかくにも、「この世の地獄」をこれでもかと見せつける。

 こうして、前半で登場人物たちを一気呵成に殺しておいて、後半はそれらが本家本元「あの世の地獄」で裁かれるわけだが、いかんせん前半の「この世の地獄」が悲惨すぎて、血の池も針の山も火あぶりも、どれも何だか易しく見えてしまうのだ。それは特撮のチープさ故ということもあろうが、私にはどうもそれだけではないように思える。

 これは穿った見方かもしれないが、冒頭、「法網は何とかくぐり逃れても、逃れることが出来ないのは罪の意識である。宗教は人間の死後、法に代わって刑罰を与えてくれる世界を夢想した……これが地獄である」とナレーションで語らせているところから、「地獄」はあくまで夢想の産物であり、現実の不条理の方がよっぽど地獄である、という意味で、監督・中川信夫は、はなから「この世の地獄」に焦点を定めて描いたのではなかろうか?

 『地獄』の前年に撮った『東海道四谷怪談』('59)においても、ヒュ~ドロドロのお化け譚としてよりも、明らかに人間の暗部に焦点を当てた「この世の地獄」として、「怪談」を描いているように思う。「地獄」で行われる拷問の醜悪さは、そのまま生前の人間たちの醜悪さ、彼らが生み出す「この世の地獄」を反映しているのだ。げに恐ろしきは人間、である。

 

(2009年6月21日)

プロフィール

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わがままコブラ
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1984年5月2日
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