第194回『カリガリ博士』

カリガリ博士の異常な愛情

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『カリガリ博士』
(Das Cabinet des Doktor Caligari)
1919年:ドイツ
監督:ロベルト・ヴィーネ


 映画好きを標榜しておきながら、サイレント映画に関してはほんの数本しか見たことがない上に、何を見たかもほとんど憶えていないという何ともお粗末なありさまだが、この『カリガリ博士』は以前から好きで、サイレント映画では唯一DVDを持っている。

 私の持っているDVDは「アメリカン・バージョン」とあり、本編中の字幕(サイレント映画なので、当然、台詞なども全て字幕である)は英語で表記され(DVD用の字幕はもちろん日本語)、BGMも終始ラグタイムのようなものが流れるが、ここらへんが本家本元のドイツ版とどの程度の差異があるのかは分からない(現在、この「アメリカン・バージョン」以外の、例えば「本国ドイツ・バージョン」のようなものが鑑賞可能なのかどうかも分からない)。

 冒頭、ベンチに座る青年フランシスが「ある恐ろしい体験」について語り始め、後の本編は主に彼の回想となる。フランシスはある祭りでカリガリ博士と名乗る男が催す「眠り男」の見世物を友人アランと一緒に見物する。「眠り男」チェザーレは23年間も箱の中で眠り続けている夢遊病の男であるが、客のどんな質問にも答えられるという。

 そこでアランが自分の寿命を訊ねると、チェザーレは「明日の夜明けまで」と答え、その予言通り、アランは翌朝、他殺体となって発見される。そこから謎の連続殺人が起こり、カリガリとチェザーレの犯行を疑うフランシスは二人を調査し始めるが……という内容。

 「ドイツ表現主義を代表する作品で、その特徴的な歪んだ書割セットが云々」という説明がよく為されるが、もちろんその特徴的な歪んだ美術表現の特異性も素晴らしいものの、何よりもサイコ・サスペンス的な犯罪映画としての話の展開が非常に面白く、黒沢清監督の『CURE(キュア)』(1997年)を思わせる異常心理犯罪を扱った娯楽映画の傑作として楽しめる。

 「夢遊病の人間を利用しての連続殺人」というアイディアがまず素晴らしいのと、終盤で二転三転するトリッキーな話の転がし方と畳み掛けも(今の時代からすればさすがに古臭さは感じるかもしれないが)けっこう引き込まれる。そしてまた、カリガリ博士と「眠り男」チェザーレの、おどろおどろしくもどこか物悲しい雰囲気をまとったキャラクター造形が素晴らしい。

 邪悪な犯罪(犯罪者)を描くことがここまで娯楽的要素を伴うものなのか、という「高度な見世物」としての映画表現の底力を改めて強く感じさせられる。

 恥ずかしながらサイレント映画というものを全く見慣れていないので、今回久々に本作を鑑賞するにあたって、「サイレントはトーキーより情報量が少なそうだから、果たして話に付いて行けるのか?」という初歩中の初歩みたいな心配をしてしまったが、筋書きや状況説明も全て活字を用いて要所要所で表されるので、ある意味ではトーキーより見易いとさえ言えるかもしれない。

 少し前に『キング・コング』(1933年)を見たときもそうだが、それよりさらに14年も前に作られた本作『カリガリ博士』を見て、今に通ずる娯楽映画の骨子のようなものが、既にこの時代に大まかには完成されていたのだな、ということに改めて驚かされる。

 この100年余りの間に、当然ながら撮影技術などは驚異的に進化しているが、特に娯楽映画(見世物)としての語り口や演出の面白さに関しては、実はそこまで進化しておらず、と同時に観客側の需要も大して変わっていないのではないか? とまで(大げさではあるが)思ってしまう。

 

(2021年11月11日)

プロフィール

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わがままコブラ
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1984年5月2日
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