第193回『CUBE』(1997年)

死の迷宮と人生の虚無

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『CUBE』
(CUBE)
1997年:カナダ
監督:ヴィンチェンゾ・ナタリ


 年齢も素性もバラバラの男女複数名が、ある日突然、何者かによって拉致され、立方体(キューブ)の小部屋が無数に積み重なって(集合して)出来た、謎の迷宮的建造物に閉じ込められる。立方体の小部屋の内部はがらんどうで、前後左右上下の六つの各壁面の中心に一つずつスライド式の小さな鉄扉が付いており、それが隣接する別の各部屋へと繋がっている。

 どの部屋も構造は全く同じだが(照明の色だけが違う)、部屋によっては様々な種類のブービートラップ(ワイヤーによる人体切断、火炎放射、硫酸のような液体の噴出など)が仕込まれており、迂闊に足を踏み入れると即死することになる。各部屋の見た目の区別は(照明の色以外は)全くつかないが、部屋と部屋を繋ぐダクトのような小さな通路内に、各部屋のルームナンバーのようなものが刻まれたプレートが付いている。この数字の配列には何か規則性があるようだ。

 一体誰が何のためにこのような迷宮的建造物を造り、ブービートラップまで配して、何の繋がりもない人々を閉じ込めたのか。その理由は全く分からないまま、登場人物たちはあの手この手でブービートラップを回避しながら、迷宮の中を右へ左へ上へ下へと、外界へ通じる出口を探し突き進んでゆく……。ワンシチュエーションの不条理系密室スリラーとして、非常に良く出来た作品である。

 言ってしまえば、全く同じ形の部屋から部屋へと男女数名が移動し続ける様を見せられるだけで、画づらはほとんど変わらないかなり地味な作風であるが、閉塞的状況からくる息苦しさやブービートラップへの恐怖感、それに伴う極度の緊張や疲労、ストレスの蓄積などで、登場人物たちの間に次第に対立や疑心暗鬼が生まれ、さらには各人の人生観や虚無感のような領域にまで話は掘り下げられてゆくので、シンプルながら多角的な要素の面白さがあり、最後まで飽きさせない。

 難解な実験映画やアート映画というふうでもなく、あくまで娯楽映画としてのスリリングさやサスペンス要素で楽しませるように作り込まれている。

 何より本作が密室スリラーとして素晴らしい点は、完全に迷宮内のみで話を進めて行くところで、外界の情報に関しては、あくまで登場人物たちの言葉で語られるものだけに絞られ、映像としての外界の情報は(回想なども含めて)一切出て来ない。

 極限まで情報が遮断された、ワンシチュエーションによるアイディア勝負のスリラー作品なわけだが、しかしながらトリッキーな展開で観客を翻弄するだけの作品ともまたちょっと違って、極限状態における人間たちのやり取りの面白さ、そしてそこから見えてくる各人の人生的背景なども含めて、けっこう腰の据わった演出で、「人間ドラマ」というほど濃いものがあるわけではないが、何の意味もなく死を背負いながら迷宮をさまよう不条理な状況が、そのまま登場人物たちの人生の虚無感のようなものにも重なっており、それがこの作品にさらなる奥行きを与えている。

 劇中、各登場人物の人生における孤独や虚無のようなものが徐々に見えてくる(当人たちの口からそれとなく語られる)のだが、特にワースという人物の人生に対するニヒリズムが、そのままこの死の迷宮の不条理や虚無的雰囲気とシンクロしている。何もない無機質な立方体の部屋の風景が、そのまま彼の閉ざされた心の虚無を表しているかのようである。

 スリリングかつ、謎が謎を呼ぶようなサスペンスフルな面白さがある一方で、死の生き残りゲームの中に「人生のやるせなさ」を反映させて描いているような味わいもあり、ラストにもそのような独特なペーソスを感じさせる後味が残る。

 トリッキーな技巧派スリラーとしての面白さだけでなく、どこかニヒリスティックな人生の苦さも感じさせる、「噛めば噛むほど」な深みと奥行きを持った逸品である。

 

(2021年11月8日)

プロフィール

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わがままコブラ
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1984年5月2日
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