第192回『パニック・イン・テキサスタワー』

「普通」の無差別殺人者

img_20231228-145630.jpg
『パニック・イン・テキサスタワー』
(The Deadly Tower)
1975年:アメリカ
監督:ジェリー・ジェームソン


 1966年に実際に起きた銃乱射事件を描いたテレビ映画。事件の詳細を知らぬので、どこまで史実に沿った内容かは分からぬが、ドラマ的な煽りや心理描写などは排除し、犯人の青年チャールズ・ホイットマン(カート・ラッセル)の視点と、彼と相対することになる警官マルティネス(リチャード・イニグェス)の視点から、事件の顛末(事件前夜から当日まで)を淡々と描く。

 乱射事件前夜、元海兵隊員で大学院生のホイットマンが母と妻を殺害し、遺書のような文章を残すくだりと、最終的にホイットマンと相対することになる警官マルティネスの職場と家庭での状況を手短な導入部として描き、翌日、テキサス大学の時計塔に侵入したホイットマンが、塔の屋上から地上の人々をひたすら無差別に撃ち殺していく惨劇と、マルティネスをはじめとする数人が塔に突入し、ホイットマンと相対するまでを、乾いたリアリズムと緊迫感で描いてゆく。

 ホイットマンの過去の回想や、あるいは他のキャラの余分なサイドストーリーを盛り込むことなどはせず、ひたすらシンプルに事件の経緯を追い、何か突出したものがあるわけではないのだが、この端的な描き方で事件の凄惨さや救いのなさを巧く表現することに成功している。

 ホイットマンを特別な悪人や狂人には描かず、また、台詞で余分な心情を語らせることもなく、心を病んだ「普通の青年」として淡々と演出している点が良い(ホイットマン本人にしか分からぬ状況のシーンが多数あるので、あまり想像で余分な台詞を肉付けすることは避けたのだろう)。彼の心情は残された遺書のような文章からしか分からず、現実によくある「まさかあの人がこんな酷い事件を起こすなんて!」というあの周囲の人たちの信じられぬ様子がよく伝わってくる。

 どんな「理由なき殺人」も後から子細に見返せば、どこかに事件へと至る兆候はあるのだろうが、身近な人たちはもちろん、犯人自身ですら本当の動機は分からないかもしれないし、本作におけるホイットマンも、特別に周囲から孤立した人間としては描かれていない。

 ホイットマンとは別の「もう一つの視点」として描かれる警官マルティネスも、決してヒーローのようには描かれず、昇進試験に落ち、警官を辞めようか悩んでいるごく普通の人間として描かれている。事件当日に非番であった彼が、「人手が足りないだろう」と現場に向かい、結果的にホイットマンと相対することになるが、事件解決後にグッタリと虚脱する彼の姿はどこまでも人間臭い。

 いくら実話ベースとはいえ、特に事件を解決に導いた「勇気ある」警官を描くとなれば、そこにはどうしたってヒーローっぽさを求めてしまうのがアメリカ的な娯楽のあり方だと思うが、本作にはその点を徹底的に排除したドライさがあり、善が悪を裁く図式にしなかった(犯人側も警官側も等身大の生身の人間として描いた)点が、本作の実録映画としての最大の見所だと言えるだろう。

 

(2021年10月26日)

プロフィール

プロフィール画像
ニックネーム
わがままコブラ
性別
生年月日
1984年5月2日
QRコード
携帯用QRコード
アクセス数
ページビュー数