第190回『奈落の翅』

跳べ! 路上から地獄まで!!

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『奈落の翅』
2021年:日本
監督:小林勇貴



 自主映画
  ・『TOGA』(2013年)
  ・『絶対安全カッターナイフ』(2013年)
  ・『Super Tandem』(2014年)
  ・『NIGHT SAFARI』(2014年)
  ・『脱法ドライブ』(2014年)
  ・『孤高の遠吠』(2015年)
  ・『逆徒』(2017年)

 商業映画
  ・『全員死刑』(2017年)
  ・『ヘドローバ』(2017年)
  ・『爆裂魔神少女 バーストマシンガール』(2019年)

 連続ドラマ(TV、ネット配信)
  ・『GIVER 復讐の贈与者』(2018年)
  ・『すじぼり』(2019年)
  ・『スカム』(2019年)
  ・『ホームルーム』(2020年)
  ・『酒癖50』(2021年)

 ミュージック・ビデオ
  ・NGT48『春はどこから来るのか?』(2018年)
  ・神宿『お控えなすって神宿でござる』(2019年)


 2013年、デザイン会社に勤める会社員だった頃に、全くの独学で自主映画を撮り始めてから約8年で、これほどの作品を精力的に世に送り出して来た小林勇貴監督。

 監督第一作の『TOGA』から最近の作品まで、暴力的な要素と娯楽性の強い作風が特徴的だが、それは肉体的・物理的な暴力表現に留まらず、精神的・社会的な「関係性の暴力」(世の中の理不尽な圧力や搾取構造など)にも絶えず目を向けて描いており、近年のドラマ作品『スカム』『ホームルーム』『酒癖50』では、その社会的関係性の暴力を描くスタイルがより洗練されてきている。

 そんな中、コロナ禍という未曽有の世界的危機に瀕した環境下で、再び自主映画という形で「今」を反映した作品を撮り上げた。それが本作『奈落の翅』だ。

 小林監督がネットで見た、中年男性がマンションの上階からスケーターにプランターを投げつける動画が本作への着想となったようである。

 



 スケーターの頭にマンションの上からおっさんがプランターをぶん投げる映像! 電撃! こ、これは! 似ているかもしれない! 誰が何をしてもアラを探し、嫌なことを言い、暴力をぶつける! 今の連中に!
 

『小林勇貴の富士宮通信』(実話ナックルズウルトラ 2020.12.14号)

 




 この着想から、閉塞的で排他的で抑圧的な「今」の世間の不寛容な風潮と、それに抗い(文字通り)地獄の底まで堕ちて行く路上スケーターたちの姿を鮮烈に描く『奈落の翅』が生まれた。

 マルチ商法のブラック企業に勤める主人公ジン(ウメモトジンギ)は、さえない勤め人生活に身も心も擦り減らす毎日を送る中で、帰宅後にスケボーで夜の街を自由に疾走するのが唯一の心の救いになっている。しかし路上での走行は何かと世間から白眼視され、警備員や道行く人々からあらゆる難癖をつけられ、怒鳴られ、どつき回される。

 それでも黙々と夜の街でスケボーを楽しむジンだったが、そんな彼の前に、過激な路上スケーターのイケダ(池田幸太)とその仲間たちが現れ、ジンは衝撃を受ける。

 街中のどんな場所でも自分たちの遊び場に変えてしまうイケダたちの自由さに魅了されたジンは、今まで以上にスケボーにのめり込み、仕事そっちのけでイケダたちと路上を疾走する毎日を送るようになる。しかし彼らが自由に走れば走るほど、彼らを忌み嫌う人々との対立は深まり、ついには「スケボー狩り」に精を出す謎の二人組との殺し合いに発展してゆく……。

 見る前は何となく「今回は路上を疾走するスケーターたちの話だから、破天荒でアッパーな狂気を描く感じかな?」などと予想していたのだが、実際は『逆徒』や『すじぼり』のような(アッパーというよりはダウナー寄りな)ヘヴィさを持った作風で、世間や組織の重圧に対する「個」の苦しみと反抗、そしてその果てに地獄の底まで堕ちて行く路上スケーターたちの姿を描いている。

 過去の小林作品で何度も「恐い不良」を演じてきたウメモトジンギと中西秀人が、本作ではスケボー好きのさえない勤め人を演じており、劇中の大半で彼らは社会や組織からの重圧に苦しめられる。本作に登場するスケーターたちは、路上を我が物顔で疾走はするものの、相手が警備員や通行人といった「一般人」である限り、必要以上に怒鳴り返したり暴力を振るったりということもなく、「まぁまぁ、はいはい」という感じで受け流しながらスキを見てサッとスケボーで走り去ってしまう。

 あくまで「俺たちはただ自由に楽しんでるだけだし、直接的な迷惑なんて何もかけてない」という姿勢で飄々と路上でスケボーをしているだけなのだが、それでも彼らが自由に走れば走るほど風当たりは強くなり、ついには「スケボー狩り」という暴力に直面したとき、スケボーを凶器とする「スケ暴力」(小林監督命名)による血みどろの殺し合いに発展してしまう。そして彼らスケボー狂人たちは、路上からこの世を跳び越え、地獄へと堕ちてゆくが、奈落の底でもなおスケボーに興じる彼らの絶対的自由意志と、その「継承」の可能性を瑞々しく示して映画は幕を閉じる。

 「好きなことして何が悪いですか?」という姿勢を貫く「個」としての生き方を描いた『孤高の遠吠』の延長線上にある本作だが、路上スケーターたちがそうした姿勢を貫けば貫くほど、彼らを忌み嫌う人々の憎悪は激しく増長していく。

 「自分のために生きる」と表明することは、得てして「わがまま」で「人の気持ちを考えない」行為と捉えられがちである。しかし「自分のために」と正直に表明して生きる者たちのことを、人々はどこまで否定し得るものなのか。むしろ「世のため人のため」「あなたのためを思って」という利他的な価値観を声高に標榜し、それを一方的に他者に押し付ける行為の方が偽善的・暴力的であるとは言えまいか。主人公ジンの勤め先の社長は「世のため人のためお客様のため」と謳いながら、その実はマルチ商法で多くの人々を騙してカネ儲けしている。

 そしてそんな会社に勤めるジンを「心配して」「お前のためを思って」とストレートな正論で詰める友人も、「人のために」説教をしているわけだが、しかしそれでジンという一人の人間の魂を救えるわけではない。この友人は、ジンという一人の人間、一人の「個」を救おうとして言葉をかけているわけではなく、(自身が信じる)社会的正義・社会的価値観を押し付けているに過ぎない。

 また、ジンが「最近、スケボーにハマっている」と言うと、飲み会の友人たちは皆「イイじゃん、イイじゃん」と肯定するが、しかしそれはオリンピック競技的な健全性をイメージしての、「意味がある」「社会的評価がある」「かっこいいスポーツ」に対しての反応であるように思える。路上の公共物を障害物として跳び越え、どんな道だろうとおかまいなしに好きなように走り抜けてやる、というジンやイケダたちの剥き出しの「ストリート」感覚への共感とは程遠い。おそらくこの友人らも、普段のジンたちの路上での滑りを見れば、やはり街の人々と同様、「迷惑行為はやめろ」と説教を始めるに違いない。ちゃんと屋内のコースで合法的に楽しめと提案するだろう。

 ジンやイケダたちはそういった社会的・組織的な圧力を振り払って路上を走り抜け、排除アートを跳び越えて、そのまま地獄の底へと堕ちて行く。徹底的に遊んで遊んで遊び尽くして、まだ遊び足りずに地獄でも遊ぶ。この世に神の救いがないのならば、この世で自由に遊び続けられないのならば、「個」としての意志と選択によって、地獄まで突き抜けて遊び続けるしかない。

 『奈落の翅』というタイトルを見て、本編を鑑賞する前は「地の底からスケボーという翅によって空へと飛翔する」物語かとばかり思っていた。しかし実際はその真逆であった。「個」としての自由と尊厳性を貫くために、自らの意志で地の底まで堕ちて行って、そこからさらに底の底まで掘り進むスケボー狂人たちの物語だったのだ。

 「地獄に堕ちても遊び続けてやる」という能動的破滅主義の叫びが、どす黒いポジティブさでもって光り輝く。生きても地獄、死んでも地獄。ならば本物の地獄で遊んでやろう。地獄の底を自由に跳び回り続けてやろう。そんなスケボー狂人たちの気概に激しく心を打たれる一本である。

 

(2021年10月5日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
生年月日
1984年5月2日
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