第189回『ワイルドカード』

ハードボイルドとは「男の弱さ」を描くもの

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『ワイルドカード』
(Wild Card)
2014年:アメリカ
監督:サイモン・ウェスト


 武骨で屈強な正義漢が、悪党どもを完膚なきまでに叩きのめす……ジェイソン・ステイサムの主演作の多くがそのたぐいの作品だ。1980年代~90年代には、アーノルド・シュワルツェネッガー、シルヴェスター・スタローン、スティーヴン・セガール、ジャン=クロード・ヴァン・ダムといった著名なアクション俳優らが担ってきた役回りである。

 本作『ワイルドカード』もまたその筋の作品には違いないが、しかしステイサムがいかにも彼らしい武骨で屈強な正義漢を演じる「いつものステイサム映画」でありながらも、お得意のアクションは控えめに、渋いハードボイルドさを前面に押し出し、武骨で屈強なタフガイである主人公が、実はその内面において非常にナイーブな「男の弱さ」を抱えていた、という様を描いている。

 元特殊部隊のエリート兵士ニック・ワイルド(ジェイソン・ステイサム)は、今は落ちぶれてラスベガスでフリーランスの用心棒を生業としている。10年以上のベガス生活で街には顔なじみも多く、組織などには属していないものの、裏社会の面々にも顔が広い。

 ある日、ニックの元恋人ホリー(ドミニク・ガルシア=ロリド)が、ベガスに遊びに来ていた余所者の大物マフィアの息子ダニー・デマルコ(マイロ・ヴィンティミリア)とその用心棒2人から強姦と手酷い暴行を受け、彼女はその復讐のためにニックに協力を求める。

 過去に幾度となく危険な橋を渡ってきたニックも、相手が大物マフィアの息子となると話が変わってくる。最初は彼女の依頼を断るニックだったが、元恋人を傷付けられて黙って引き下がれるほど柔なタイプではない。ニックはマフィアの息子にお礼参りを決行し、「いつものステイサム映画」の通り悪党3人を秒殺で叩きのめした後、元恋人の気が済むように復讐をさせる。

 拳一つでケリをつけるタフガイのニックだったが、しかし相手は腐ってもマフィアである。この狭い街で命を狙われるのは必至だ。マフィアの息子から奪った大金をホリーと折半したニックは、一足先に街を後にする彼女を見送ってから、その大金を元手にブラックジャックで一世一代の大勝負に出る。果たしてニックはこの大勝負に勝ち、人生を一からやり直すことが出来るのか……。

 先述したとおり、武骨で屈強な正義漢が悪党どもを拳一つで叩きのめしていく、という流れは「いつものステイサム映画」そのものである。派手さはないものの(かなり意図的に抑えてある)、アクション映画としての捌き方はさすがサイモン・ウェストといった感じで、『メカニック』(2010年)と『エクスペンダブルズ2』(2012年)の2本で既に一緒に組んでいたステイサムとの息もピッタリだ。しかし本作は、そこにもう一つ別角度からの渋いドラマ要素を差し込んでくる。

 ニックは10年以上に渡るベガスでの落ちぶれた生活に嫌気がさし、この街を嫌い、常にここから出て行くことを心に願いながらも、それが出来ないでいた。なぜなら、それは誰の目にも明らかに彼が重度のギャンブル依存症だからだ。ニックは、ベガスを出て地中海のコルシカ島でゆったり暮らす、という夢を持っており、おそらく過去に何度もこの街を後にするチャンスもあったはずだが、何かとギャンブルとヤケ酒に逃げる彼の精神的な弱さがその実現を遠ざけてきた。そして彼自身、そんな自分の弱さに向き合い、認めることが出来ずにいたのだ。ニックは用心棒を依頼してきた観光客のサイラス(マイケル・アンガラノ)という若者に、それをズバリ指摘されてしまう。

 常々、ハードボイルドとは「男の強さ」ではなく「男の弱さ」を描くものだと私は思っているが、そういう意味で本作は純正のハードボイルド映画だと言える。武骨で屈強な、男なら誰もが憧れるような、まさに絵に描いたようなタフガイ。しかしそれはあくまで表面的な「強さ」に過ぎず、その内側には非常に脆い精神的「弱さ」を抱えている。本作はそんな男が主人公の物語である。

 悪役として登場するマフィアのドラ息子ダニーは、おそらく自分の中にある「弱さ」を認められない反動から、男尊女卑のマッチョイズムの塊みたいな人間になってしまったであろう哀しき男だ。彼の鍛え上げられた肉体や巨根自慢、あるいは女性器に銃口を押し付けるという悪辣な行為から窺えるのは、過度な「強さ(支配力)」「男らしさ(マッチョイズム)」に依拠することの裏側にある、自身の本質的な「弱さ」に対する劣等感である(銃=攻撃的な男性性のシンボルを女性器に押し付けて自身の支配力を誇示する、という行為は特に象徴的だ)。

 彼のその実態としての「弱さ」は、自身が強姦した相手から復讐される場面で痛々しいほど露見される(自身が強姦した相手から性器を切り取られそうになり、泣きながら命乞いをするのだが、それはつまり相手の女性器に銃口を押し付けた行為と同等の恐怖と屈辱を、今度は自分自身が味わう羽目に陥ったというわけである)。そしてそんな悪党を正義感から叩きのめすニックもまた、自分の中に巣食う「弱さ」を認められない哀しき男の一人なのだ。

 ニックが内包する「弱さ」をズバリ指摘し、最終的にはそれを認めさせ、乗り越える手助けまでする青年サイラスも、天才的頭脳を持ちながら、実は「自分にいちばん足りないのはタフガイ的な強さだ」という劣等感のような動機からニックに近付いていた(ニックからそのタフガイとしての生き方を教わろうとしていたのだ)。しかしニックの精神的「弱さ」を目の当たりにし、本当の「強さ」は見かけ倒しのワイルドさではないということを思い知る。そしてそこから、「弱くたって怯えたりしたっていいんだ。それが人間なんだから」(大事なのはそんな自身の「弱さ」に向き合い、認め、乗り越えることだ)ということを学び取るのだ。最終的にサイラスは、ニックには決して真似出来ないような「自分なりの勇敢さ」でニックの命を救う行動に出る。

 本作の脚本を担当したのは、『動く標的』(1966年)、『明日に向って撃て!』(1969年)、『大統領の陰謀』(1976年)、『マラソン マン』(1976年)、『ミザリー』(1990年)、『目撃』(1997年)、『ドリームキャッチャー』(2003年)などの脚本も担当した大ベテランの脚本家ウィリアム・ゴールドマン。先述したような「男の弱さ」を見事に捉えたハードボイルドな人間ドラマの妙味はこの人の手腕ゆえだろうか。

 そしてそんな脚本を下地に、渋いハードボイルド・アクションの名手であるサイモン・ウェスト監督が本作を手掛けたのは最適だと思うし、また、内面にナイーブさを抱えたハードボイルドなタフガイを演じるのに、ステイサム以上の適任もいなかったろう。

 どうしたって派手さのない渋く地味な作品なので、こういう企画はなかなか実現しにくいだろうし、ステイサム主演のアクション映画となれば、やはりもっと派手でアクロバティックなものが求められてしまうところだろうが、現時点(2021年9月現在)で私が見たステイサム主演作の中では、本作が最も好きな作品である。タフガイとしての「強さ」だけでなく、「弱さ」を見せる演技でもこれだけ人を惹きつけるジェイソン・ステイサムの魅力を深く堪能出来る一本だ。

 ステイサムがそのタフガイとしての「強さ」の裏側(内側)に抱えるナイーブな「弱さ」を見事表現している傑作として、『ハミングバード』(2013年)も併せてお薦めしておきたい。

 

(2021年9月1日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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