第187回『スリー・フロム・ヘル』

アナーキーに生き、アナーキーに殺す

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『スリー・フロム・ヘル』
(3 From Hell)
2019年:アメリカ
監督:ロブ・ゾンビ


 過去のホラー映画や怪奇映画のあらゆる要素をごった煮的にブレンドした、遊び心溢れるシリーズ初作(ロブ・ゾンビの映画監督デビュー作でもある)『マーダー・ライド・ショー』(2003年)、その1作目とは打って変わって、ホラー映画の文脈ではなくアメリカン・ニューシネマ的な犯罪映画や暴力映画の文脈として作り上げた2作目『デビルズ・リジェクト』(2005年)、そしてそこから十数年の時を経て製作されたシリーズ3作目が本作『スリー・フロム・ヘル』だ。

 前作『デビルズ・リジェクト』の犯罪映画や暴力映画の文脈としての乾いたタッチをそのまま引き継ぎ(やはり1作目のホラー映画の文脈とは異なる)、前作からの直接的な「その後」を描いている。アナーキーな殺人一家、ファイアフライ・ファミリーは、前作において法権力に追い詰められ、最後に残ったキャプテン・スポールディング(シド・ヘイグ)、オーティス(ビル・モーズリ―)、ベイビー(シェリ・ムーン・ゾンビ)の3人が警官隊の銃撃によりハチの巣にされる。

 3人は瀕死の状態に陥りながらも、どうにか一命を取り留め、長い長い裁判の果てに死刑判決となる。刑務所生活の中でも何ら懲りずに傍若無人な振る舞いを続ける3人だったが、スポールディングが一足先に死刑を執行される。

 腹違いの兄弟フォクシー(リチャード・ブレイク)の協力によりオーティスが脱獄に成功し、次いでベイビーも監獄の外へ。彼らは刑務所の所長とその家族などに皆殺しのお礼参りを決行した後、メキシコへと逃亡する。そして逃亡先の鄙びた宿場町で、オーティスに兄弟を殺された男が率いる覆面殺し屋軍団との血みどろの殺し合いへとなだれ込む……。

 ロブ・ゾンビの代表作であるシリーズ前作『デビルズ・リジェクト』に比べると、本作は全体的に小ぢんまりした印象を覚えるが、しかし自身の好きな要素をごった煮的に詰め込むロブ・ゾンビ監督の芸風は本作において熟練の域に達しており、丁寧に作り込まれたアナーキーな殺戮世界は息を呑む美しさだ。どこまでも残酷に尖り切った勢いと、突き抜けたカタルシスで美しく締めた『デビルズ・リジェクト』は紛う方なき傑作であるが、私はどちらかと言えば丁寧に美しく作り込まれ、最後は西部劇的なドライさでサラッと終わる『スリー・フロム・ヘル』の方が好みである。

 また、前作から十数年経った(劇中の設定でも同じような年数が経っている)ことによって、どこか主人公たちの胸中に哀愁のようなものが漂っているのも良い。前2作ではイケイケに暴れまくっていた主人公たちだが、本作では特にオーティスとベイビーに若干しんみりしたような雰囲気があり、おそらくそれは作り手であるロブ・ゾンビ自身の加齢に伴う心境も反映されているのだろう。逃亡先の宿でベイビーが無常観のようなものを吐露し、それに対しオーティスが「この腐った世の中で、まだまだ暴れることは出来るさ」と励ましのようなことを言うシーンが何とも印象的だ。

 しかしそれにしても、頭のおかしい殺人鬼でしかないファイアフライ家の面々にどうしてここまで魅力を覚えるのか? とシリーズを通して考えてきたが、本作において、刑務所側の人間から「生産的な生活を送る自信はあるか?」(つまり「ちゃんと社会に従属することが出来るか?」)とベイビーが質問されるシーンがあり、まさにこういった社会性の押し付け(圧力)に対してハッキリと「NO!」を突き付ける彼らファイアフライ・ファミリーの生き方に魅了されるのだろう。

 たとえ刑務所に入れられ死刑宣告を受けようとも、たとえ丸腰で銃口を突き付けられようとも、彼らには社会に従属したり敵に降伏するという選択肢はない。

 先の質問をベイビーに対してする男の背後にロナルド・レーガンの写真が飾ってあるが(本作の時代設定はレーガンが大統領だった1980年代末期)、ドナルド・トランプが大統領の時代のアメリカでこういう作品を撮ることには、少なからず作り手に何らかの意図はあるのだろう。

 今作をもってシリーズ終結とする向きもあろうが、我らが殺人一家、ファイアフライ・ファミリーのアナーキーな旅路にはまだまだ先がありそうである。アメリカが腐った超大国であり続ける限り、彼らの殺人行脚に終わりはないのだ。

 

(2021年8月17日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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