第186回『青い春』

虚無の青春モラトリアム

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『青い春』
2001年:日本
監督:豊田利晃


 学校生活の枠内で喧嘩に明け暮れるような不良たちを描いた作品が全く好きではないので、本作も存在は知りつつ何となく敬遠していたのだが、いざ見てみたらば、その手のヤンキー映画とは全然違った方向性で、意外にも「何もない青春」の虚無を描いたモラトリアム映画であった。

 九条(松田龍平)と青木(新井浩文)を中心とする高校3年生の不良グループがメインの話だが、このグループにも特に強い結束力があるわけでもなく、校内の番長である九条も、その冷酷さゆえに恐れられはするものの、自分から喧嘩最強を誇るとか、あるいはナメられないために生意気な奴を積極的にシメるとか、そういうことにも特に興味がないふうで、ただ茫洋とした毎日を送っている。

 九条のその「つれない感じ」に段々と青木が反発心を抱くようになり、生ぬるい不良だった青木が次第に暴力的な暴走を始めるが、しかしここで九条と青木の壮絶なバトルに発展するといった流れにならないのも本作の面白いところで、多少それらしい場面はあるものの、中心となるのはあくまで、昔からの親友であった二人の「思春期の終わりに訪れた心のすれ違い」である。

 凡庸な俗物の青木は九条の特異性に憧れ、嫉妬し、「俺にしか出来ないことをやってやる!!」と暴走するが、当の九条は九条で自身の特異性や才能を持て余し、何の目的意識も欲求も見出せない虚無の中で生きている。傍からはさほど悩んでいるように見えないが、「自分の欲しいものが分かってるやつは恐いです」と言ったり、自分が開花しないまま枯れていくことへの漠然とした焦燥感を抱えているのではないか? ということを、校内で花を育てる教師とのやり取りから匂わせる。

 九条は他者にも自分自身にも全く興味を持てず、実はマイペースなようでいて自律性や目的意識の全くないがらんどうのような人間で、そういう意味では、俗っぽい欲求と感性を行動原理とする青木と共依存の関係性であるようにも思える(九条も青木も互いに「自分にないもの」を求め合いながら、同時に分かり合えない部分の溝をどんどん深めていってしまう)。

 九条と青木以外のメインキャラの不良たちも皆似たような虚無感を抱えており、将来何をしたいのかがまるで定まらぬまま、どこにも突き抜けられない茫洋とした日々を送っている。

 本作には舞台となる学校の「外側」での生活は一切描かれておらず、不良映画の定番と言える「他校の不良たちとの抗争劇」のような展開も一切ない。暴走族やヤクザもちらと出て来るが、それはあくまで「外側」の存在として登場するのみで、メインの物語には特に絡むことがない。

 九条や青木を中心とする不良メンバーにとっては、おそらくこの狭い学校内での生活が全てで、その「外側」には何もない状態で生きている節がある。

 例外としてメンバーの中で二人だけ、「外側」の生活を持つ(あるいは「外側」に抜け出す)者がいる。暴走族の先輩らにへいこらする大田(山崎裕太)と、甲子園への夢に破れ、そのまま爽やかにヤクザへの道を決心する木村(大柴裕介)だが、この二人はそれぞれ違った形でこの子宮的な小宇宙としての学校生活から「退場」することになる。

 本作のメインキャラの中では、彼らは「内側」の人間から「外側」の人間へと変質する異端的存在だと言えるだろう(だから結果的に「退場」せざるを得なくなる)。

 大田の「退場」に深く関わってくる雪男(高岡蒼佑)もまた、子宮的な学校生活から抜け出せないモラトリアム少年だが、彼が「外側」の社会性を持つ大田の日和った態度に嫌悪感を募らせる姿が、そのまま九条や青木の「子宮的な学校生活の外側に抜け出せず、煮え切らない毎日を送っている」状況にも繋がってくる(九条が「ここ(学校)は天国だよ」とハッキリ言うシーンもある)。

 思春期の少年(少女)の学校内でのヒエラルキーや居場所に焦点を絞り、その「外側」での生活がほとんど描かれない(つまり子宮的な小宇宙としての学校生活を描いた)「青春の蹉跌」映画という意味では、『青い春』は『桐島、部活やめるってよ』(2012年)に似ているが、将来を悩みながらもそれなりに青春の瑞々しさがあった『桐島~』に比べると、『青い春』はひたすらヒリヒリとした虚無感に支配された青春のやるせなさに満ちている。また、『青い春』の舞台が男子校という点でも、余計に閉塞的な虚無感が強くなる(ブロマンス的な部分以外での恋愛要素も皆無になる)。

 ほとんどミュージック・ビデオみたいな作品で、映像的なかっこよさはあるもののストーリー的な面白さが特にない点は好きになれぬが、とはいえ、喧嘩上等の荒くれ青春グラフィティーかと思いきや、「何もない青春」の虚無を描いた残酷モラトリアム映画であったのは意外だし、思春期の終わりの虚無や焦燥感や蹉跌を描いた作品としては、特異さよりもむしろ普遍性を持った青春映画として楽しめる。不良の喧嘩三昧映画かと思いきや、意外にも重たさを持った青春映画であった『大阪最強伝説 喧嘩の花道』(1996年、三池崇史監督)にも通ずる一本と言えるかもしれない。

 

(2021年7月6日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
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