第177回『クラッシュ』(1996年)

不感症中年たちの最も危険な遊戯

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『クラッシュ』
(Crash)
1996年:カナダ、アメリカ
監督:デヴィッド・クローネンバーグ


 ここ最近は中年期の人間の心の虚無を描いたような作品に妙に心惹かれるものがある。もともとミドルエイジ・クライシス(中年期特有の精神的危機)を扱った作品は好きなのだが、今年(2021年)で37歳になる我が身を考えれば、いよいよ自分もそのミドルエイジ・クライシス的な領域に突入しているので、全くの他人事とも思えぬリアリティーをそこに感じるようになったのだろう。そんなミドルエイジ・クライシスを扱った作品で、個人的に特に好きなのは以下のような作品だ。

 『8 1/2』(1963年)
 『セコンド/アーサー・ハミルトンからトニー・ウィルソンへの転身』(1966年)
 『泳ぐひと』(1968年)
 『恐怖劇場アンバランス 第10話:サラリーマンの勲章』(1969年・TVドラマ作品)
 『最後の晩餐』(1973年)
 『真夜中の刑事』(1976年)
 『十階のモスキート』(1983年)
 『出張』(1989年)
 『フォーリング・ダウン』(1993年)
 『オーディション』(1999年)
 『ドリームキャッチャー』(2003年)
 『T2 トレインスポッティング』(2017年)

 ジャンルはバラバラだが、いずれも中年期の人間の仕事や家庭生活上の危機、不倫問題、あるいは人生の虚無に陥った精神状態等々を、あらゆる角度から描いた一種の不条理劇とも言える。広義的な意味でのミドルエイジ・クライシス映画という括りで見れば、このような作品は古今東西、無数に存在する。つまりそれほどに誰もがいつかは直面する普遍的な問題なのだ(男性が主人公の作品ばかり挙げたのは私個人の偏りであって、中年女性を主人公にしたこの手の作品もたくさんある)。

 『クラッシュ』は今年(2021年)、日本でも4K無修正版がリバイバル上映されることとなった。正直それほど興味はなかったが、クローネンバーグ作品は好きなものが多いし、とりあえず見ておくかという程度の感覚で、詳しい内容も知らずに映画館に足を運んだのだが、これがまさに虚無に陥った中年たちが危険な遊戯に耽る様を描いた、ミドルエイジ・クライシス映画の傑作であった。

 主人公は映画プロデューサーのジェームズ。彼はそれなりに良い生活をし、美しい妻もいて、端から見れば「成功した大人」と言えるが、青年期も終わり中年期に入ったあたり(おそらく30代終盤~40代前半くらい)であろう彼の精神は、今やすっかり人生の虚無に陥っている。仕事にも家庭生活にも、そして何よりセックスにも飽き飽きし、妻キャサリンとの仲も冷め切っている。

 しかし冷め切ってはいるが、嫌悪し合う仲でもないジェームズとキャサリンは、互いに公然と家の外で不倫セックスをしてきては、その不倫相手とのセックス話をネタにしながら、味気ない夫婦間のセックスに少しでも刺激を与えようと試みる。倦怠期ではあるが、その冷め切った状態でもどうにか夫婦としては繋がっていたい、という双方の需要を元にした相互理解に達しているのだろう。

 そんなある日、ジェームズは仕事の帰り道で派手な交通事故を起こす。相手の運転手は即死。ジェームズは片脚に重傷を負うが、その心の片隅で、車体が衝突し歪んだ鉄屑と化す衝撃に、日常生活では得られぬ刺激を覚えていた。事故車に同乗はしていなかったが、妻キャサリンもまた同様に、夫の事故体験に特別な刺激を覚えているようだ。

 そして彼らの前にヴォーンという謎の交通事故マニアが現れたことによって、ジェームズたちは命を懸けた危険な快楽の世界へと引きずり込まれてゆくことになる……。

 複雑なサスペンス的要素もないし、そもそもストーリーらしいストーリーは皆無に等しい。「交通事故による性的エネルギーの解放」という危険な遊戯に魅了された不感症中年たちが、邪悪な不倫スワッピングに耽溺してゆく様を延々見せられる。命を懸けた危険な暴走行為(公道でのカーチェイス)が、そのまま人生の虚無に陥った大人たちの邪悪なセックスそのものに変換される。

 本作に出てくるメインキャラの中年男女たちは終始全く笑わない。ほとんど無表情だ。人生の折り返し地点に差し掛かったあたりで、何でもない日常を生きることにすっかり飽き飽きし、ほとんど心が死んでしまった者たちなのだ。そんな彼らが唯一心躍らせることが出来るのが、交通事故の衝撃によるエクスタシーをセックスへと変換させる遊びだけなのである。

 もちろんこの破壊的SMプレイのたどり着く先には死が待っている。交通事故による肉体の損傷を繰り返しながら、死の瀬戸際でエクストリームな性的衝動を自らに与え続けることによってのみ、彼らの枯れ果てた魂は束の間の生を実感することが出来るのだ。

 ミドルエイジ・クライシス映画という点において、本作『クラッシュ』とマルコ・フェレーリ監督の 『最後の晩餐』という作品が非常に似ていると思うのは、「食べる」「セックスする」あるいは「車を運転する」という、本来的には生あるいは生産に向かうための行為やエネルギーとなるものを、死あるいは破滅へと向かう自殺装置のように登場人物たちが扱う点だ。

 これがもし若者たちであれば、死へと向かう破滅的衝動もよりアッパーな熱量を帯びてくると思うが、人生の虚無の中ですっかり心が死んでしまった中年たちが耽溺する死のゲームは、どこまでも冷め切ったものでしかない。ここがまさにミドルエイジ・クライシスのミドルエイジ・クライシスたる所以だ。剥き出しの素直な衝動に身を任せながら笑ったり泣いたり怒ったりすることは、人生の深い虚無に陥った中年にはもはや不可能なのだ。

 寒々とした虚無に陥ったまま、笑うことなく朽ち果てていく運命にある中年を描くような作品が、つまりミドルエイジ・クライシス映画だと言えるかもしれない。

 本作『クラッシュ』は、意外にもクローネンバーグ作品の中では、直接的なグロ描写はほとんど皆無と言っていい部類の作品だ。交通事故の血みどろ描写はあるが、他のクローネンバーグ作品からしたらかなりおとなしい演出と言える。

 死と破滅の物語であるが、物理的なグロテスクさよりも、登場人物たちの空っぽの心や邪悪な言動それ自体から醸し出されるグロテスクさを、格調高い静謐なタッチで淡々と描いている。雨降る夜のハイウェイでのカーチェイスが、そのまま邪悪でなまめかしいセックスそのものになっているシーンなどは、決して派手さはないが、溜め息が出るほど美しい。

 邪悪で不吉でどこまでも不健全な大人たちの死の遊戯を、繊細でなまめかしい破滅のバレエとして美しく見せることの出来るクローネンバーグの手腕には、ただただ舌を巻くばかりである。

 

(2021年2月7日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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