第176回『バクラウ/地図から消された村』

高慢な奴らを高く吊るせ!!

img_20231228-142050.jpg
『バクラウ/地図から消された村』
(Bacurau)
2019年:ブラジル、フランス
監督:クレベール・メンドンサ・フィリオ、ジュリアノ・ドネルス


 あまり奇を衒ったシュールな作風だったら自分には合わないだろうなぁ……と正直そこまで期待せずに劇場へ見に行ったのだが、これが予想外の反骨精神に充ちた乾いた暴力映画で面白かった。

 前半は思わせぶりな謎めいた演出が続くので、「これは一体どっちへ転がって行くんだ?」とおとなしく見守るしかないが、いざ本題が見えてくれば想像していたよりはよほどシンプルな話で、「逆サイド(村人側)から描いた田舎ホラー」×「反骨の西部劇」とでも言えばよいか。

 ブラジルの山奥にある寂れた村バクラウが、ある日ネット上の地図から消え、その日から給水車が銃撃されたり、村外れの農場に住む一家が皆殺しにされたり……という不可解で血生臭い事件が続く。どうやら謎の武装集団が村を狙っているらしいことが分かり始め、この村を特徴づける「歴史」が観客側に示されるとき、村を襲う謎の武装集団と村人たちによる壮絶な殺し合いが始まる。

 サウダージな詩情溢れる葬式シーンに始まり、「棺が涙を流す」というマジック・リアリズム演出や、謎の円盤まで登場するが(この謎は割とすぐに解ける)、ことさらシュールさを強調した作風でもなければ、複数のジャンルを横断するようなごった煮的な奇っ怪さがあるわけでもない。

 過疎地の水源をめぐる争いや貧困問題、格差と複雑に絡み合う人種差別意識などを織り交ぜながら、最終的には「偉そうに圧をかけてくる役人は殺す!! 人の命を屁とも思わないようなブルジョアの武器オタクは殺す!! とにもかくにも人の生活を踏みにじる馬鹿は全員殺す!!!!」という至極真っ当な反骨精神と、下から上に向うカウンターな暴力の正当性を臆することなく描き切った、何とも硬派な反逆の暴力映画が姿を現す。

 終始淡々としていて、派手な盛り上がりは一切ないが、容赦ない乾いた暴力表現は素晴らしく、どんなに大きな相手から理不尽な圧をかけられても、一歩も引かない村人たちの屈強な反骨精神(そのルーツが「バクラウ歴史博物館」という小さな民俗資料館の中に隠されている)に心底シビレる。村内では月並みのゴタゴタした人間関係があったり、村を出て行く者も少なくないのだが、しかしいざというときは村人総出の団結力で、迫り来る巨悪に対してシンプルな「やられたら殺り返す」精神を突き付け、オーガニックな危険ドラッグを皆で仲良くキメながら正々堂々と立ち向かう。

 終盤、「これで終わりだと思うなよ! これはまだ始まりに過ぎない!!」という、追い詰められた悪党にありがちな捨て台詞が吐かれるが、村人たちはそんな言葉には1ミリも臆せず悪党をバッサリ斬り捨てる(殺すよりも残酷な方法で)。どんなに巨大な敵を向こうに回そうと、この村の人々は一歩も引かずに殺し合いに臨む。なぜならこの村の歴史はそうやって築き上げられてきたからだ。

 いつの時代のどこの国でも、権威側の人間は平気で弱者を踏みにじろうとするものだが、ただやられてばかりじゃ終われない性質の、反逆精神に充ちた人間たちだっているんだぞ、という何とも心強い暴力自治民主主義を突き付ける熱い一本である。健気な生活者たちの下から上に向うカウンターとしての暴力はいつだって正しいし、昨今のように権威主義的な思想が世界的に暴走し始めている時代においては、特に必要な姿勢を描いた作品と言えるかもしれない。

 今年(2020年)に日本公開された作品では、『ランボー/ラスト・ブラッド』(2019年)、『透明人間』(2020年)と並んで、本作『バクラウ』もまた、下から上へ向かうカウンターとしての暴力によって、個や少数派がその尊厳性を真正面から突き付ける様を描いた傑作と言える。

 

(2020年12月3日)

プロフィール

プロフィール画像
ニックネーム
わがままコブラ
性別
生年月日
1984年5月2日
QRコード
携帯用QRコード
アクセス数
ページビュー数