第170回『懲罰大陸★USA』

裁きの荒野

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『懲罰大陸★USA』
(Punishment Park)
1971年:アメリカ
監督:ピーター・ワトキンス


 ニクソン政権下での権力の暴走を描いた、凄まじい内容のフェイク・ドキュメンタリー作品。監督はイギリス出身の映像作家ピーター・ワトキンス。

 舞台はベトナム反戦運動真っ盛りの1970年、アメリカ。

 ニクソン政権下で新たに施行された治安維持法によって、反政府分子・危険分子と見なされた知識人や活動家やアーティストが次々と逮捕され、あからさまに不当な裁判にかけられる。当然ながら逮捕された者たちは自分たちの無罪と正当性を主張し、国家権力による行き過ぎた弾圧を糾弾するが、彼らに待っているのは完全なる出来レースとしての敗訴だけだ。

 そして不当な長期刑(懲役10年~30年)に服すか、もしくは「パニッシュメント・パーク(懲罰公園)」と名付けられた国立公園の広大な荒野で、3日間の「懲罰」を受けるかを選ばなければならない(裁判にかけられた者たちに「選択の権利」を与えている、というふうに見せるための国家側の汚いやり口だが、誰だって3日間の懲罰の方を選ぶに決まっている)。

 この「懲罰」は、反政府分子たちに罰と釈放のチャンスを与えると同時に、警官と州兵たちの治安維持のための訓練も兼ねる、というのが大義名分だが、その実は完全なる「人間狩り」だ。警官と州兵からなる追跡隊から逃げ切り、数十キロ先にあるアメリカ国旗までたどり着ければ、晴れて自由の身となれるが、途中で捕まれば結局は長期刑が待っており、また、捕らえられる際に少しでも抵抗すれば、警官や州兵たちは容赦なく暴力を行使すると宣告する。

 本作は、荒野での「人間狩り」の様子と、不当な裁判の様子を交差させながら展開してゆくが、その現場に海外のテレビ撮影隊が入っている、という設定のフェイク・ドキュメンタリーだ。1971年当時のニクソン政権を直接的に批判した内容だが、現代のアメリカや日本も含めた極度に右傾化する世界の現状に恐ろしいほど当てはまる。それだけ本作が「権力の暴走」というものを、いつの時代にも成立し得てしまう普遍的な恐怖、普遍的な危険性として丁寧に掘り下げているからだろう。

 荒野での「人間狩り」の恐ろしさ厭さも凄まじいが、不当な裁判の様子を描く法廷劇としての仕上がりも良く、権力側が作った法自体が暴力装置と化してしまう恐ろしさを描き出している。

 また、
権力の暴走を許してしまうのは、それを支持する大衆側の知識人も少なくないから……ということがよく分かる作品でもあり、反政府分子・危険分子と見なされた知識人やアーティストが今の国家の在り方を糾弾するのに対し、保守的な知識人や団体代表らがひたすら「汚い言葉を使うな!」とか「お前は不道徳的だ!」などというトーン・ポリシングで相手の主張を潰そうとする。

 反政府分子と見なされた者の中には、かなり弁が立つ知識人もおり、その理屈に裁く側の人間たちが圧され気味になる場面もあるが、結局はトーン・ポリシングとしての圧力(「法廷を侮辱するな!」というような言い草)で相手を黙らせる(中には猿ぐつわをかまされる者までいる)。

 終盤、あからさまに不当な裁判の終わりに、人権派の弁護士がある文章を読み上げ、「これは今のアメリカ大統領の演説文のように思える内容ですが、これはかつてヒトラーが演説で読んだものであり、その後ドイツがどんなことになったか、皆さんもご存知のことでしょう……」と締め括る。

 1971年当時のアメリカの権力の在り方を真っ向から批判した作品が、そのまま2020年の今の世界的な傾向にも通ずる内容であるというシビアな事実が何とも恐ろしいかぎりであるが、これは本作が予見的な作品であるというよりは、創作の領域で考えられる「最悪のケース」を現実が易々と乗り越えてしまう、ということの恐ろしさであると言えるのではなかろうか。

 今まさにアメリカで起こっている「Black Lives Matter
」運動や、あるいは香港で施行された国家安全法、そして益々右傾化に拍車がかかる日本の現状に地続きの問題提起として、本作で描かれていることの重要性を改めて思い知らされる。

 

(2020年7月13日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
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