第169回『ランボー/ラスト・ブラッド』

殺しの化身、再び…

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『ランボー/ラスト・ブラッド』
(Rambo:Last Blood)
2019年:アメリカ
監督:エイドリアン・グランバーグ


 前作『ランボー/最後の戦場』(2008年)のラストで、数十年ぶりに帰郷したランボーのその後を描くシリーズ5作目。

 唯一の肉親であった父はすでに他界し、今はメキシコ人のマリアとその孫娘であるガブリエラと共に、穏やかで慎ましい日々を送るランボー。

 過去シリーズでは常に他者に対し心を閉ざして生きてきた彼だが、ガブリエラを実の娘のように育て、好きな馬を飼育し、時には山岳救助のボランティアとして人の命を救うことに力を注ぎながら、人々との関わりの中で充実した毎日を過ごしているように見える。

 しかし戦場で深く傷付いた彼の心は、完全に癒えているわけではなかった。未だに救えなかった戦友たちのことを思い、それが山岳救助で救えなかった被害者たちの姿と重なって、彼を深い自己嫌悪に陥らせる。長きに渡って「暴力の世界」に曝され荒んでしまった自分の心にどうにかフタをし、抗不安剤を頻繁に服用しながらも、心に巣食う闇を振り払うことが出来ないでいる。

 戦うことから解放されたはずなのに、彼は温かいベッドで寝ることはなく、牧場の広大な敷地に自分で掘った地下トンネルに籠っては、ベトナムの戦地で聴いていたであろうドアーズの『Five to One』を流しながら、払拭し切れぬ過去のトラウマに頭を抱える。

 前作『最後の戦場』のラストシーンでは、ほとんど手ぶらで故郷に帰って来たはずなのに、その後の10年でコツコツ買い集めたのか、地下トンネル内の彼の部屋には銃器類やナイフ、そしてクレイモア(対人地雷)やC4(プラスチック爆薬)といったものまで常備されている。

 「暴力の世界」にトラウマを抱えながら、同時にその「暴力の世界」でまた戦う日が訪れることを心のどこかで望んでいるようにさえ見える。少なくとも、戦いに備える緊張感を常に保っていないと心が落ち着かないのだろう。武器の揃ったこの地下トンネル自体が、内なる暴力性から脱し切れていない彼の精神世界そのものなのだ。

 そんなある日、ガブリエラが音信不通だった実の父に会うために、ランボーとマリアに無断でひとりメキシコへと向かう。なぜ幼かった自分と今は亡き母を捨てて出て行ったのか、その理由を直接父の口から聞きたかったからだ。ガブリエラは無事父に会えるが、予想もしなかった父の心ない言葉に深く傷付く。そして不幸は重なり、悪い友人に騙されたガブリエラは、メキシコの人身売買組織に売られてしまう。実の娘のように育ててきたガブリエラの危機を知ったランボーは、眠らせていた「殺しの化身」としての怒りを解き放ち、単身メキシコへと乗り込んでゆく……。

 老いたランボーの現在の生活を描く序盤の「導入部」、人身売買組織に誘拐されるガブリエラと、その救出に向かうランボーに最悪の事態が訪れる中盤の「悲劇」、そして完全に怒りを解放したランボーが大殺戮を繰り広げる終盤の「報復劇」……という流れで話が展開し、その合間には一切の無駄がなく、驚異的なスピーディーさでもって一気呵成に駆け抜ける。

 とにかく展開が異常に早く、初見ではじっくり味わう暇もなかった、というのが正直なところだが、3回ほど見た現時点では、話の展開を極限にまで切り詰めた無駄のなさに驚きつつ、その細部では、過去シリーズから受け継がれる「ランボー」というキャラクターの魅力がしっかりと掘り下げられていることにも気付かされる。

 着目すべきはやはり中盤以降で爆発するランボーの暴力それ自体だろう。

 娘同然に育ててきたガブリエラへの愛情によって、どうにか「殺しの化身」としての内なる暴力性を抑え込んできたランボーが、その大事な大事な一人娘を理不尽に傷付けられたことで、自身の暴力性を一気に解き放つ(常に飲み続けていた抗不安剤のピルケースを地面に叩きつけるシーンが、この「暴力性の開放」の契機となる)。

 躊躇なく悪党の太ももをナイフで突き刺し、さらに素手で鎖骨をえぐり出してそのままへし折る。金槌で顔面を割り、男性器を叩き潰す。敵の組織の重要人物を首なし死体にして晒し、その首を走る車からゴミのように投げ捨てる(まるでメキシコの麻薬カルテルのやり方だ)。そして終盤、銃器武装した組織の男たちを農場の地下トンネルに誘い込み、元グリーンベレーとして培ってきた殺人スキルと陽動作戦で、一人また一人と"破壊"(まさに人体を破壊)し、敵の男たちは原形を留めぬ肉塊と化す。この終盤の大殺戮に関しては、前作『最後の戦場』を上回る凄惨さであると言える。

 長い長い戦場での人生に疲れ傷付き、戦いを捨てて故郷へ帰ったランボーが、またもや理不尽な暴力によって大事なものを奪われたことで、必死に抑え込んできた内なる暴力性を開放し、ついには生まれ育った場所(最も心癒されるはずだった場所)を「戦場」そのものに変えてしまう。

 きっかけは理不尽な悲劇であるが、あの地下トンネルを見ると、やはりどこかでランボー自身が望んでいた戦いではないのか? と思わされる恐さがある。

 過去のトラウマを引きずりながら聴いていたドアーズの『Five to One』を、敵を誘い込んだトンネル内で爆音で流しながら、まさに「殺しの化身」としての大殺戮を見せる彼の姿に、ポジティブなヒーロー像とはかけ離れた「アメリカの闇」を見るようだ。

 過去作を見ずとも、「ナメてた相手が実は元グリーンベレーの殺人マシーンだった」というノリのバイオレンス・アクション映画として十二分に楽しめるが、ランボーが長い長い人生で積み重ねてきた「怒り」「恐怖」「暴力性」といったもの(つまり過去シリーズで描かれてきたもの)を理解した上で見ると、なぜ彼があそこまで凄惨な大殺戮を繰り広げるのか、ということがよく分かる。

 前作『最後の戦場』のあの凄まじさと見事なエピローグを見ると、もうこれ以上はランボーというキャラクターの掘り下げようがないのではないか? という不安が本作を見る前はかなり強かったが、しかしいざ見てみれば、それは全くの杞憂というものであった。そして『ラスト・ブラッド』と銘打たれてはいるが、「この故郷での大切な思い出を守るために、俺は戦い続ける」と固く決意するランボーの姿に、まだまだ先がありそうな予感を覚えさせられ、胸が熱くなる。

 

(2020年7月2日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
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