第167回『狙撃』(1968年)

殺しの美学/銃撃の詩学

img_20231228-135929.jpg
『狙撃』
1968年:日本
監督:堀川弘通


 「人を殺すのに理由なんかない。俺は好きな銃で、最高の標的、つまり人間を撃つ。ただ撃つ。俺が生きるために。自分が生きていると感じるために……」

 「力を入れずに引き金にそっと人差し指をかける。しかし全神経はそこに集中している。そのとき、銃はもう俺の体の一部になってしまうんだ。撃つ前の冷たい感触。弾が発射するときの焼けた銃身。指が引き金を引くんじゃなくて、俺の全身が引き金を引き寄せるんだ。血が体の中を駆け巡るのがよく分かる。一瞬、めまいのようなものを感じる。そのとき……俺は弾だ!!」

 銃で「最高の標的」である人間を撃つその瞬間にだけ生を実感出来、それ以外は人生に何の意味も見出せない……という荒涼とした精神世界に生きる殺し屋を、当時『若大将』シリーズの爽やかな好青年イメージで売っていた加山雄三が見事なギャップで演じ切った傑作ハードボイルド。

 内容は至ってシンプルで、孤高の殺し屋・松下(加山雄三)が、組織間のトラブルに巻き込まれ、モーゼル使いの凄腕の殺し屋・片倉(森雅之)との死闘に雪崩れ込んでゆく……というもの。走行する新幹線の座席に座る標的をビルの屋上から撃つ、という冒頭のシーンから淡々として派手さは一切なく、それでいながら隅々まで冴え渡った「殺しの美学」としてのアクションが展開される。

 常に無表情で口数が極端に少なく、セックスすら退屈そうに済ませるだけの松下だが、殺しの仕事で標的を撃ち殺した後だけは、いつもうっすらと笑みを浮かべ、空っぽの胸中が満たされてゆくのを一人静かに味わう。クールな殺し屋というよりは、どこか屈折した孤独な男といった印象だ。

 そんな松下の唯一の理解者が、銃砲店を営む深沢(岸田森)だ。彼は松下の殺しの仕事をサポートしており、銃器類はいつも彼が用意する。深沢もまた世間からこぼれ落ちたような、ルサンチマン的な屈折を抱えた男だ。松下と深沢の淡いブロマンス感覚はまさにハードボイルド然としたそれであり、終盤、強敵との決闘に向かう松下に対し、深沢は「お前を死なせたくない」とまで言う。

 そんな深沢の手厚いサポートもあり、松下はフリーランスの殺し屋として完璧な仕事を次々とこなしてゆくが、その仕事の中で組織間のトラブルに巻き込まれ、敵の組織が送り込んだ凄腕の殺し屋・片倉との避けられぬ死闘が待ち受ける。

 この死闘というのが、静かな静かな水面下での命をかけたゲームで、やはり徹頭徹尾派手さはないが、二人の殺し屋のやり取りが尽く骨太なハードボイルドになっていて、心底痺れる。冷淡で無口な松下に対し、常にゆとりある笑顔を見せる片倉の「隠された殺気」が、ベテランの殺し屋としての凄みを感じさせる(これは演じた森雅之の役者としての風格がなせるものだろう)。片倉との決闘を前に、いつもは冷静な松下も、未だかつてない緊張感と闘志が沸き上がるのを覚える。

 ラストは松下と片倉の一騎打ちになるが、殺し屋二人の一騎打ちでこれほどまでにシンプルでカッコイイ対決はなかなかお目にかかれない。ホークアイvsモーゼルの拳銃対決なわけだが、まるで剣豪どうしの果し合いそのものと言える。このラストで、手負いで地を這う松下の姿に、「俺は生きる 俺は殺す 破壊者の力を狂喜して使う」というカミュの言葉が引用される様は妙に胸が熱くなる。

 本作は終始、非情で荒涼としたハードボイルドの世界が描かれるが、そんな男臭い世界にふわりと迷い込んだ一羽の蝶のようなヒロイン、章子(浅丘ルリ子)の鮮やかな美しさが、非情で荒涼とした世界とは対照的な存在として際立つ。

 章子は、松下や深沢や片倉たちの住む非情で荒涼とした世界とは別の方向から松下を理解し、愛そうとする。章子は松下と出会ってすぐ、「セックスよりも射撃の方が好きな男」という彼の本質を見抜き、案の定、最初のセックスは松下がほとんど不感症で上手くいかない。

 ここで面白いのは松下と章子の二度目のセックスシーンだ。この二度目のセックスの直前、松下は仕事で五人の標的を撃ち殺している。そうしてその殺しに精神的に満たされた松下は、一度目とは打って変わって激しく章子を抱く。

 このシーンで、二人の交わる肉体と共に、二人の精神世界(それぞれの性的歓喜のイメージ)もそこに交差するように描かれる。銃を撃つことによってしか「生きている実感」を得られない男の荒涼とした無機的な世界と、ニューギニアの太陽に憧れる女の有機的な愛と官能の世界……二人の肉体は激しく交わっていても、その精神はそれぞれ全く別のものを求めている。

 性的歓喜のイメージにすら銃器と銃撃のイメージを重ね合わせる松下の屈折性に関しては、本作のプロデューサーである貝山知弘が、「銃は性器の象徴である」というようなことをDVD特典のインタビューで語っているので、そのテーマ性がそのまま主人公・松下のキャラクター造形(その心理描写)に反映されたのだろう。

 章子はいつか二人で手に入れるであろうニューギニアでの理想の暮らしを松下に語って聞かせ、荒涼とした銃撃の世界でしか生きられない松下を、どうにか自分の色彩豊かな愛の世界に引き込もうとする。何度セックスしても、二人が精神的には全く結び付いていないことを章子はよく理解しているからだ。松下も徐々にそんな章子の気持ちを受け入れ始めるが、しかし最後にはやはり、自ら非情な世界に生き続けることを選び、拳銃一丁と銃弾一発だけを手に、強敵・片倉との死闘に臨む。

 「あいつを倒したらニューギニアへ行くんじゃないのか? 女が待ってるんだろ?」

 「そう思ったこともある。しかし所詮、俺は闘うことでしか生きていけない男らしい……」

 生きるために撃ち、生きるために殺し、生を実感するために殺し屋であり続けるしかない男の、その非情で冷たい精神世界に安らぎが訪れるのは、唯一彼が死ぬときだけかもしれない。

 

(2020年5月31日)

プロフィール

プロフィール画像
ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
QRコード
携帯用QRコード
アクセス数
ページビュー数