第165回『セックス・チェック 第二の性』

スポーツマンシップ・ゼロ! 外道のスポ根哲学には汗も涙も要らない

img_20231228-135523.jpg
『セックス・チェック 第二の性』
1968年:日本
監督:増村保造


 本作は、天性の素質を持ったアスリートが鬼コーチと二人三脚でオリンピックを目指す、というベタな熱血スポ根映画でありながら、同時に、『盲獣』(1969年)、『女体(じょたい)』(1969年)、『やくざ絶唱』(1970年)といった、増村作品の中でも特にアナーキーさが際立つタイプの作品群に連なる、突き抜けたエゴイズムと性的倒錯が炸裂する大怪作に仕上がっている。

 主人公の宮司(緒方拳)は元天才スプリンターで、学生時代はオリンピック出場を期待されていたが、戦争が始まり徴兵されたことで、その夢はもろくも崩れ去ってしまう。宮司は「前人未到の記録を出すためには、人間ではなく獣にならなければいけない」という信念を選手時代から愚直に実行しており、皮肉にも戦場でそれは「走る」ためではなく「敵を容赦なく殺し、手当たり次第に女を犯す」という蛮行のために用いられ、宮司の精神はすっかり荒れ果ててしまう。

 戦後は放蕩無頼のヤクザ者に落ちぶれ、ホステスのヒモとして堕落した日々を送る宮司だったが、そんな彼の選手時代のライバルで、誰よりも宮司のスプリンターとしての才能を認めている峰重(滝田裕介)が、女子短距離走選手たちを育てるコーチの仕事に宮司を誘う。素行の悪さから半ば追放状態になっていた陸上競技の世界に、宮司が戻れるまたとないチャンスである。しかし宮司は峰重のこの親切を迷惑がる素振りさえ見せ、医者として成功した峰重への歪んだ嫉妬心から、彼の妻を強姦する(後にこのことがきっかけで峰重の妻は完全に気が狂ってしまう)。

 陸上競技の世界へ戻れるチャンスを自らふいにしたばかりか、峰重の善意を最悪の形で裏切った宮司は、当然ながら峰重にも絶縁されるが、ふと目に留まった南雲ひろ子(安田道代/現:大楠道代)にスプリンターとしての天性の素質を見い出し、絶縁されたばかりの峰重に強引に頼み込んで、ひろ子をオリンピックへ出場させるためにコーチとしての職を手に入れる(この序盤だけでも、すでに宮司の狂気的なまでのエゴイズムがスクリーン狭しとほとばしる)。

 ひろ子の秀でた身体能力と、何よりその野生的な向こう気の強さに惚れ込み、かつての元天才スプリンターとしての血が騒ぐ宮司。峰重との友情をブチ壊し、散々世話になったホステスの女を一方的に捨て、他の女子選手たちの面倒など一切見ずに、元天才スプリンターとして培ってきた技術と、彼独自の「獣」哲学を徹底的にひろ子に叩き込む。

 「お前はまだまだ女らしい女だから、俺が徹底的に『男』に造り変える。女子選手として前人未到の記録を出すには、お前の中の『男』の部分を目覚めさせなければならない。今日から毎日ヒゲを剃れ。毎日剃っていれば、そのうちヒゲが生えてくる。そして今日から女言葉は一切やめて、男言葉で喋るんだ」/「徹底的なエゴイストになれ。法律も道徳も愛情もない。存在するのは自分だけだ。俺は欲しいものは何でも奪い取り、要らんものは片っ端から投げ捨ててきた。オリンピックへ行きたきゃ俺の真似をしろ。この世の中で自分がいちばん偉いと思え。他のやつは虫けらだ。踏み潰して勝手気ままに生きるんだ。そのくらいの気迫がないと、爆発的なスピードは生み出せない」

 最初は戸惑うひろ子だったが、宮司の地獄の猛特訓のおかげで、他の選手を寄せ付けぬ好記録を叩き出しながら、スプリンターとしてメキメキと成長し、陸上競技界からも次第に注目を集めるようになる。オリンピックも夢物語ではなくなってきたのだ。

 そんな折、「女子選手としてあまりにずば抜けた好成績を出すので、念のためセックス・チェックを受けた方がいい。まさかとは思うが、当人含む誰もが女だと思っていたら実は男だった、という前例はいくつもある」との指摘を受け、不服ながらひろ子はセックス・チェックを受けることに(ひろ子自身、いくつか思い当たる節があった)。

 診断の結果は「半陰陽」(いわゆる両性具有)。これでは女子選手として公式な試合に出場することは出来ない。宮司とひろ子のオリンピックへの夢も潰えたかに思えた。

 ……が、ここで諦めないのが宮司が不屈の狂人たる所以である。「お前が男だなんてのはきっと何かの間違いだ。誤診に違いない。お前が本物の女だということを俺が絶対に証明してみせる!!」と息巻いた宮司は、なんと毎晩毎晩、ひろ子を抱き始める。当初は「お前を『男』に改造する!!」と宣言し、ひろ子には一切手を出さなかった宮司が、今度は彼女を本物の女だと照明するために毎晩抱き、そして昼間は今までどおり陸上の猛特訓を続ける。

 本作の骨格は紛れもなく熱血スポ根ものであるが、鬼コーチの宮司は熱血漢というよりは完全に狂った犯罪者と言える。宮司のキャラクターは、『盲獣』や『女体』や『やくざ絶唱』の主人公たちと非常によく似たエゴイストの極みのような人物だ。

 自身の信念とするところを徹底的に貫き、そのためなら他者をいくら犠牲にしても構わない。そして自身の愛情を注ぐ対象を、「所有物」として徹底的に自分色に染めようとする。ひろ子は向こう気が強く、人に弱味を見せない性格だが、しかしそれでいてどこか主体性は薄く、「欲」や「目的」のようなものがない。だから宮司のような極端なエゴイストにとって、ひろ子は「完璧な所有物」になり得る存在なのだ(劇中で宮司はひろ子のことを「俺の分身」と言っている)。

 オリンピックという世界的栄光を目指しながら、スポーツマンシップとは程遠い捩れた師弟愛で結ばれた宮司とひろ子だが、最後はまさに人を食ったような皮肉な結末を迎える。肉体的にも精神的にも「男か女か」に固執し、それに振り回されてきたがゆえの皮肉さに充ちた結末だ。

 本作はスポ根映画に違いないが、アスリートの栄光と挫折を描くというよりは、極端な獣性に依拠した自らのエゴイズムによって、破滅型にならざるを得なかった一人の外道の生きざまを描く、ある種のピカレスクロマンと言った方がしっくりくる。

 陸上競技を扱った作品でありながら、『仁義の墓場』(1975年)や『復讐するは我にあり』(1979年)といった作品と同じラインの凶暴性・狂気性に充ちた暴力映画・犯罪映画と言っても過言ではない。また、「異形のスポ根映画」というところでは、『ブラック・スワン』(2010年)や『アイ, トーニャ』(2017年)などに通ずる作品であるとも言える。

 『闇を横切れ』(1959年)や『黒の試走車(テストカー)』(1962年)、あるいは『陸軍中野学校』(1966年)といった、手堅く抑えた作りのクールで渋いハードボイルド/ノワールの傑作を何本も生み出す職人気質な面と、『盲獣』『女体』『やくざ絶唱』、そして『セックス・チェック 第二の性』といった、強烈な異常性を前面に押し出す怪作を次々と生み出す非常にクセのある作家性……増村保造の作品を見る度に、そのどちらの面にも強く惹き付けられる。

 

(2020年4月9日)

プロフィール

プロフィール画像
ニックネーム
わがままコブラ
性別
生年月日
1984年5月2日
QRコード
携帯用QRコード
アクセス数
ページビュー数