第163回『マラソン マン』

長距離走者の孤独

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『マラソン マン』
Marathon Man
1976年:アメリカ
監督:ジョン・シュレンジャー


 ジョン・シュレンジャー作品はこれまで『真夜中のカーボーイ』(1969年)くらいしか知らなかったが、前々から何となく気になっていた本作『マラソン マン』を見るにあたり、今回初めて本作もシュレンジャー作品であることを知った。予備知識も「歯医者拷問のシーンが恐い」くらいのものだったが、いざ見てみたら、これが予想以上にエグい魅力に満ちた作品で驚いた。『カンバセーション…盗聴…』(1974年)や『コンドル』(1975年)と並ぶ70年代ハード・サスペンスの傑作だ。

 父親が自殺した過去に囚われ、どことなく孤独な毎日を送る大学院生ベーブ(ダスティン・ホフマン)が、兄ドク(ロイ・シャイダー)が携わっていた裏稼業のいざこざに巻き込まれ、法の裁きを逃れ続けている元ナチの戦犯ゼル(ローレンス・オリヴィエ)と、兄が関係していた裏組織の人間たちから命を狙われる羽目に陥る……という内容で、脚本があまりきちんと練られている感じがせず、全体的にかなり大味な(行き当たりばったりな)印象ではあるが、シュレンジャー監督のどこかシュールで独自性の強い演出と、情け容赦ない暴力描写・殺人描写でグイグイ引き込まれる。

 赤狩りの時代の犠牲者として自殺した父親の影に囚われた主人公ベーブは、大学院で父の無念を晴らそうとするような論文を書いたり、父が自殺に使った銃を未だ大事に持っていたりする孤独な青年で、彼はその孤独を振り払うかのように、毎日一人で走ることに没頭している。そんな彼にも春が訪れ、大学院の図書館で知り合ったエルザ(マルト・ケラー)と恋仲になる。そして兄ドクとの久しぶりの再会にも喜ぶが、皮肉なことにベーブはドクとエルザによって、これまでの人生で決して関わるはずのなかった元ナチの戦犯ゼルに命をつけ狙われる羽目に陥ってしまう。

 先述したように脚本の作り込みが甘いのか、謎が謎を呼ぶサスペンスとしての巧妙さはない。入り組んだ裏の事情も、割と簡単に登場人物たちの口から説明的な台詞としてスラスラ明かされてしまう。事件や陰謀に巻き込まれた主人公が自ら謎に迫っていくような話ではなく、ひたすら一方的に窮地に追い込まれていく様を見せられるが、これが監督の演出の妙味さゆえか、めっぽう面白い。

 冒頭、ナチの戦犯ゼルの弟である老人と、通りがかりのユダヤ系の頑固老人が路上でのトラブルから喧嘩になり、この二人の老害カーチェイスが始まる。ここはもうほとんどギャグなのだが、この冒頭のカーチェイスで一気に作品世界に引き込まれる。この激しい(というより傍迷惑な)デッドヒートが大事故に繋がり、結果的に老人は二人とも死亡。弟の死を知ったゼルは、ある必要性に迫られ、逃亡先であったウルグアイからニューヨークへとやって来る。そしてここから、何の関係もなかった主人公ベーブを巻き込む血みどろのいざこざへと発展してゆく。

 ゼルと彼の仕事を引き受ける裏組織が動き出してから、予想以上の暴力と殺人が繰り広げられる。本作で最も有名なのは、死のデンティストであるゼルが、ベーブの健康な歯の神経を歯科用電動ドリルで(麻酔なしで)削る拷問シーンだが、他の暴力シーン・殺人シーンもこの有名な歯医者拷問シーン以上に印象深く、想像以上にエグい仕上がりになっている。

 オペラ座で待ち合わせた相手がいきなり死体になっているシーン、女性が消えた(おそらく殺された)暗闇の中から不意にサッカーボールが転がってくるシーン、ドクがホテルの一室でアジア系の殺し屋にワイヤーで襲われるシーン、公園でデート中のベーブとエルザが暴漢に襲われるシーン、そしてゼルの仕込みナイフが標的の喉を切り裂くシーンなどなど、一介の暴力映画好きとして、まさかここまで暴力や殺人の描写で満足させられるとは思わなかった(件の歯医者拷問のシーンは知っていたが、作品全体がここまで血みどろの暴力描写に彩られているとは予想だにしなかった)。

 過去に囚われ、心に孤独を抱えたベーブがエルザとの出逢いによって癒されるのかと思いきや、そこも割と残酷に突き放されるし、巻き込まれた大きなピンチをベーブが乗り越えることによって、囚われている過去のしがらみも同時に乗り越えるのかと思うとそうでもない。おそらくベーブは事件後もまた以前と同じ孤独な生活に戻り、以前と同じように一人で黙々と走り続けるに違いない。

 事件が解決したからといって、主人公が本質的に抱えている問題が解決するわけではない、というような暗さというか重さというか、そういう意味でのハードでヘヴィな映画というのは、やはり60年代・70年代に多かったように思う。青春映画である『真夜中のカーボーイ』にしても、厭な思い出しかない故郷を捨ててニューヨークへやって来た主人公が、そこでも都会の陰気さに付きまとわれ、腐れ縁的に知り合った友人とまた別の地を目指すが、おそらくいくら移動を繰り返したところで、彼の心にはどこか孤独で暗い闇がまとわり付き続けるのではないかと思わされる。

 まだ二作品しか見ていないので、シュレンジャー監督がこんな暗い映画ばかり撮っているのかは知らないが、いかにも70年代的な陰気さをまとったハード・サスペンスの傑作として、『マラソン マン』は改めて自分に「60年代・70年代の映画が最も好きだ」と思わせてくれる一本であった。エンターテイメントの中で、こういった暗さ・重さを味わう視点というのは大事にしていきたい。

 

(2020年1月20日)

プロフィール

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わがままコブラ
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1984年5月2日
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