第161回『博徒斬り込み隊』

アンチ情念 アンチ任侠のスーパードライ・ヤクザ・ムーヴィー

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『博徒斬り込み隊』
1971年:日本
監督:佐藤純彌


 『仁義なき戦い』(1973年)前夜に生まれた、どこまでもドライなヤクザ映画。この頃にはすっかり食傷されていたであろう任侠映画のその先にある必然的なニヒリズムに満ちており、ヒロイズムやカタルシスはほぼ皆無だ。後に『実録 私設銀座警察』(1973年)でも見せる、終始ドライに突き放したような佐藤監督独自の描き方で、ヤクザたちの血みどろの抗争劇と破滅を描いている。

 長い刑期を終え出所してきた主人公・相羽(鶴田浩二)。時代はすっかり変わり、かつて所属した組はすでに解散しており、今は敵対していた組織が新宿の縄張りを牛耳っている。女と暮らしていたアパートを訪ねるが、大家の話では女は4年前に部屋を解約して出て行ったという。すっかり娑婆に自分の居場所を失ってしまった相羽の哀愁が、そのまま任侠映画凋落後の鶴田の姿に重なる。

 何の当てもない相羽だったが、行き掛かりである田舎ヤクザの組に世話になることに。そしてそこから、かつて敵対していた組織との抗争劇に再び巻き込まれてゆくことになる。

 かつての名うての侠客が長い刑期を終え娑婆に出てみたら、時代はすっかり様変わりし、どこにも自分の居場所がなくなり、そこからまた新たな抗争に巻き込まれ、かつての男っぷりを見せて滅んでゆく……というベタベタな内容であるが、しかし本作が面白いのは、先述したように徹底的にドライで、かつての仁侠映画のようなヒロイズムも、あるいは捨て身の殴り込みで破滅してゆく男のカタルシスみたいなものもほとんど皆無と言えるところ。

 鶴田浩二らしい哀愁に満ちた主人公ではあるが、やはりどこか突き放したような描き方をされていて、古い腐れ縁である刑事・矢野(若山富三郎)とのブロマンス的なドラマの盛り上がりがあってよさそうなものだが、そこもやはりドライに突き放したような描き方で、例えば深作欣二が描くような浪花節な泣きの情念ドラマには決してならない。

 古いタイプの義を重んじるヤクザが、裏切り者たちに捨て身の殴り込みをかけて……みたいな作品では、その死にざまに(いわゆる任侠的な)ヒロイズムが生まれるのが常だが、本作では主要人物のほぼ全てが犬死にする。本当に一から十まで犬死にに次ぐ犬死にで、「犬死に映画」というジャンルが出来てしまいそうなくらい、かっこいい死にざまというのが一つもない。徹底してヒロイズムを排除しており、ヤクザも刑事も情婦も皆そろって犬死にする。

 この終始徹底してドライで皮肉めいたヤクザ映画としての作風は、韓国映画の『悪いやつら』(2012年)を思わせるが、ゼロ年代以降の韓国の犯罪映画・暴力映画も、70年代~90年代くらいの日本の犯罪映画・暴力映画からの影響は実際あるのだろう。

 『博徒斬り込み隊』の葬儀場での大殺戮シーンは、やはり『アシュラ』(2016年)という韓国映画の葬儀場での大殺戮シーンを連想させる。

 暴力映画にも当然ながら様々なスタイルがあるが、ドライに突き放したような暴力の描き方、ヤクザをヒロイックにせず、また殴り込みのカタルシスなども徹底的に排除しているという部分で、本作はかなり群を抜いた傑作であると思う。このドライで突き放した感覚をさらに突き詰め、「ヤクザなんてこんなもん」「人間なんてこんなもん」というニヒリズムをダークにそしてアナーキーに爆発させたのが、後の『実録 私設銀座警察』であると言える。

 佐藤純彌監督の作品は数本しか見ていないが、『博徒斬り込み隊』と『実録 私設銀座警察』は、凶暴に狂い咲いていた70年代東映作品の中でもずば抜けた傑作であり、その終始徹底してドライに突き放した作風は、深作欣二や中島貞夫の同時期の東映作品とはまた全然違った味わいがある。

 

(2019年12月19日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
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