第158回『ザ・レイド GOKUDO』

血と暴力の映像詩

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『ザ・レイド GOKUDO』
(The Raid 2:Berandal)
2014年:インドネシア
監督:ギャレス・エヴァンス


 前作『ザ・レイド』(2011年)での死闘を終えた主人公ラマ(イコ・ウワイス)は、警察内部の汚職の事情を知ってしまったがために、今度は犯罪組織と繋がりのある汚職警官に関する証拠を掴むべく、危険な潜入捜査を命じられる。ラマは複雑な思いのまま任務を遂行するが、次第に犯罪組織の血で血を洗う抗争劇に巻き込まれてゆく……というのが本作の内容。

 前作は、アクション99%に対して人間ドラマ1%といった塩梅で、徹底的にアクションを見せることにのみ心血が注がれた実験的・先鋭的な密室劇であったが、続く本作では、かなりベタな潜入捜査官ものとしてのドラマを設け、そのストーリー展開に沿う形で、よりハードでより洗練されたバイオレンス・アクションを堪能させてくれる。

 『ザ・タイガーキッド/旅立ちの鉄拳』(2009年)を見たときも感じたが、ギャレス・エヴァンス監督はストーリーテリングに関しては正直あまり巧くないように思う。

 どの作品も脚本は自分で書いているようだが、この点だけは、共同脚本として誰かしら脚本家の助力があった方がいいんじゃないかと思う。そうであるがゆえに、物語性を極力廃し、アクションそのものを見せることに特化した『ザ・レイド』は、アクション演出と映像編集が驚異的に巧いエヴァンス監督の良い部分(旨味)が前面に押し出された、唯一無二の大傑作になったのだろう。

 『ザ・レイド GOKUDO』も、ストーリーテリングの部分はやはり上出来とは言い難いが(印象に残るような台詞もほとんどない)、しかしそれを補って余りあるアクション演出と映像編集の巧さが、前作以上に傑出しているのは確かだ。エヴァンス監督は、「話」として物語を語る代わりに、「画」の素晴らしさだけで十二分に物語を語れる力を持った「映像詩人」と言える。

 前作『ザ・レイド』は、ほとんど物語の外側でアクションを数珠繋ぎにしてゆく実験映画のような作品だったが、続く『ザ・レイド GOKUDO』は、作品の物語性や詩情や人間ドラマを、台詞や筋書きの中で語る以上に、血で血を洗うバイオレンス・アクションの中で語ってみせる。主要キャラクターたちの意識や感情や関係性の変化が、血で血を洗う殺し合いの中で語られてゆく。物語そのもの、作品そのものが、洗練された血と暴力の映像詩として流動してゆくのだ。

 最初から最後まで徹底してそういう「バイオレンス・アクションで語る」作品なわけだが、特に殺し屋プラコソ(ヤヤン・ルヒアン)の生きざまとその末路を描くパートで、壮絶なバイオレンス・アクションがそのまま一人の人間の悲哀に満ちた人生を語る映像詩にまで昇華されているのが分かる。信頼している組織のボスのため、そしてな何より大切な家族を養っていくために、殺し屋稼業一筋に生きて来たプラコソは、皮肉にもその仕事のために妻の理解を得られず、子供にも会わせてもらえない。それでも彼は黙々と自分の仕事を全うし続けるが、組織内のある人物の裏切りにより、たった一人で数十人の敵と殺し合いをする羽目になる。

 このクラブ内での死闘シーンは、「動」と「静」の極端な落差を巧みに用いた映像表現で、まさに「映像詩」としての壮絶なバイオレンス・アクションが繰り広げられる。大音響でクラブミュージックが流れる中、自分が不器用なタイプの時代遅れな人間であることを痛感しながら、溜め息交じりにじっとうつむくプラコソ。すると大音響の音楽もクラブ内の客たちも一瞬にして消え、静寂に包まれる。そしてプラコソを殺そうとする輩たちがドドドドっと雪崩れ込んで来て死闘が始まる。プラコソはボロボロになりながらも、圧倒的な殺しの技術で敵を捌いてゆく。向かい来る敵を次々と殺しながらクラブの外へ出ると、なんとあたり一面、雪が降り積もっている。

 これはいわゆる映画的な「雨」と同じで、登場人物の心情や精神世界を反映する「雪」だ(そもそもインドネシアでは、4000メートル級の山の山頂は別として、雪は降らないそうである)。家族にも半ば見捨てられ、尽くしてきた組織の人間にも裏切られた殺し屋の悲哀と、今まさに彼が直面している死の世界の静かな冷たさを表した「雪」がしんしんと降り積もる中で、最後の血みどろの殺し合いが展開される。リアリティーの向こう側に突き抜けた、美し過ぎる映像詩だ。

 ハードボイルドなギャング映画、ハードなバイオレンス・アクション映画である本作が、このような洗練された映像詩で見る者をハッとさせる。血みどろの殺し合いの連続なのに、そこに残酷さを通り越した美しさを見せてしまう。日頃から様々なタイプの暴力映画を見ているが、血と暴力の残酷さの中で、このような詩情あふれる美しさに出会うこともある。

 北野武、ニコラス・ウィンディング・レフン、そしてギャレス・エヴァンスの作品には特に、このような美しさにハッとさせられる瞬間が多い。

 およそ一般的には忌み嫌われる暴力表現であるが、その血と暴力の向こうに詩的な美しさを描いてしまう罪深さもまた、創作世界における暴力表現の大きな魅力の一つでもある。

 

(2019年11月20日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
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