第156回『ジョーカー』

ゴッサム 下町狂人物語 ~この世の全てをバッドジョークで笑い殺せ!~

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『ジョーカー』
(Joker)
2019年:アメリカ
監督:トッド・フィリップス


 『バットマン』シリーズを代表するヴィラン、ジョーカーが誕生するまでを描いた作品だが、アメコミ映画というよりは、『タクシードライバー』(1976年)と『キング・オブ・コメディ』(1982年)を下敷きにした「孤独な狂人の凶行を描く犯罪映画」と言った方がしっくりくる。『バットマン』ネタもしっかりと絡めてはいるが、作品の主軸はやはり「70年代のニューヨークを舞台にした小規模な(箱庭的な)犯罪映画」という印象が極めて強い(舞台はゴッサム・シティだが、風景の感じは明らかに70年代末期~80年代初頭のニューヨークだ)。

 先に挙げた二作からの影響は明らかだが、どことなく『ドリラー・キラー』(1979年)や『マニアック』(1980年)にも通ずるものがあり、また、『タクシードライバー』的な雰囲気の延長として、『リチャード・ニクソン暗殺を企てた男』(2004年)も連想させる。

 場末のボロアパートで老いた母親と二人で暮らす主人公アーサー(ホアキン・フェニックス)は、コメディアンになることを夢見ているが、人を笑わせる才能はおろか、「普通に生きる」ことさえままならぬ不器用な男で、学もなく、精神も病んでいる。感情が高ぶったり緊張したりすると発作的に笑ってしまうという持病もあり、仕事も人間関係も日常のあらゆることが上手く行かない。当然ながらまともな職にも就けず、カネもなく、頼みの綱であった社会福祉制度からも見放されてしまう。夢も希望も自信もなく、毎日、自宅近くの長い階段をうつむきながらトボトボと登ってゆく。

 そんなある日、アーサーは深夜の地下鉄で酔っ払った若い証券マン三人に絡まれ、手酷い暴行を受ける。最初は無抵抗に耐えるだけだったが、その日は偶然にも職場の同僚からもらった護身用の銃を持っていた。反射的にアーサーは証券マン三人を撃ち殺す。不可抗力的な正当防衛のようでもあるが、丸腰で逃げる一人に対して彼は背後から何発も銃弾を撃ち込むという残虐さを見せる。

 はたと我に返り、焦りと恐怖からその場を逃げ出すアーサーだったが、公衆トイレに駆け込み一人になったとき、まるで胸が充たされたような表情で静かに踊り始める。彼は自身の凶行に言い知れぬ満足感を覚え、このことがジョーカーへと続く道への第一歩となる。

 「謎のピエロによる証券マン殺害事件」は大きく報道され、それは単に凶悪事件としてだけでなく、横暴な富裕層に対する義憤的私刑を意味するかのようなシンボリックな事件として、格差社会に憤怒を抱いていた一部の小市民たちから支持を得ることになり、以降、ピエロの仮面をつけた小市民たちによるデモが増え、危ういバランスの反体制的ムーブメントへと膨張し始める。アーサー自身は無学で政治的なことにはほとんど興味がないが、偶然にも自分の凶行がきっかけで広まったこのムーブメントに呼応するかのように、彼自身の凶悪な反社会性もどんどん膨張してゆく。

 アーサーは単に無抵抗な弱者でも心優しい平凡な男でもなく、どこか自分の方からも社会を遠ざけているような孤独な狂人だ。彼が悪辣な社会環境や家庭環境の被害者であるのは確かだが、また同時に、他者とのコミュニケーションが断絶された「自分だけの笑いの世界」に引き篭もる利己主義的な人間でもあり、この点は『キング・オブ・コメディ』の主人公ルパート・パプキンに通ずる。

 彼は自分の母親に対しても、敬愛する大物コメディアンに対しても、同じアパートに住む女性に対しても、手前勝手な理想像を押し付け、それが裏切られた(と彼が思い込んだ)瞬間、どんなに愛した相手でも敵と見なし、過剰に攻撃的になる。こうして社会からも身近な人たちからもどんどん見放され(自分の方からもどんどん社会や他者を遠ざけ)、孤独の沼底へズブズブと沈んでゆく。

 アーサーがあらゆる社会的関係性から見放されるほど、彼は自ら社会的モラルの外側へと突き進み、憎き相手への殺し(偶発的なパターンが多いが)を積み重ねることで、皮肉にも自分に自信を持った狂人として成長してゆく。社会的な道徳・倫理・秩序を捨て去るほどに、彼は喪失していた自己の尊厳性を取り戻してゆくのだ(このこと自体、笑えぬジョークそのものと言える)。

 この世の全てが自分にとっては悲劇でしかないと思い込み悩んでいた孤独な狂人が、この世の全ては自分にとってのジョークでしかないと笑い飛ばせるようになったとき、彼はアーサーではなくジョーカーとして覚醒する。もう悩むことも恐れることもない。ジョーカーとなった彼にとっては、世の中の混沌も暴力も悲劇も不幸も全ては同等に無価値なジョークでしかなくなる。その全てを暗黒のジョークとして笑い飛ばしてしまえばいいだけなのだ。アーサーが毎日トボトボとうつむいて登っていた階段を、ジョーカーは踊りながら颯爽と駆け降りる。

 物語の序盤、悩み多き狂人であったアーサーは、おざなりな対応しかしないソーシャルワーカーに対して、「俺の話を聞く気はないのか?」とうんざりしたように問い詰める。そんな彼がジョーカーとして覚醒したラストでは、「もう俺のジョークは誰にも理解出来ない」と不敵に笑う。社会的に正しくあろうとする姿勢の全てを見限り、自身の狂気を100パーセント解放して生きることを選んだ男の、この何とも危険で、何とも哀しく、何とも清々しい笑顔こそ、彼が憎み絶望した世の中に対する最高のバッドジョークなのだ。

 アメコミを代表するヴィランの誕生秘話としての壮大さ、あるいは社会派作品としての硬派さを期待すると肩透かしを食うかもしれぬが、『タクシードライバー』『キング・オブ・コメディ』『ドリラー・キラー』『マニアック』といった70年代ニューヨークの下町狂人映画を今に引き継ぐ作品として、また、悩める狂人が社会的モラルの向こう側に突き抜け、ついには自分らしい生き様を手に入れるまでを描く暗黒の成長物語として、本作はなかなかに噛み応えのある傑作だ。

 

(2019年10月7日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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