第153回『ローリング・サンダー』

生ける亡霊の体温のない暴力

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『ローリング・サンダー』
(Rolling Thunder)
1977年:アメリカ
監督:ジョン・フリン


 思春期の頃からずっと暴力映画が大好きであれこれ見ているが、当然ながら作り手によって暴力の描き方も様々で、そういった中の一つの傾向として、「コミュニケーション不全な暴力」とでも呼べそうなたぐいのものがある。例えば北野武やニコラス・ウィンディング・レフンの作品で描かれる暴力がそれだ。アクション的な殺し合いではなく、最初から殺す側と殺される側にハッキリ分かれているような、「一方通行的な(相互通行的なコミュニケーションのない)暴力」とでも言えばよいか。黒沢清の作品で描かれる暴力にもその傾向が極めて強い。

 様々なタイプの暴力映画を見てきた中で、この「コミュニケーション不全な暴力」が描かれる作品に何だか妙に惹かれる。それは別に「アクション的な暴力描写よりもリアルだから」というようなことではなく、何かこう、乾いて冷めきったような一方的な暴力行為から、(その暴力を行使する人物の)荒涼とした心の空洞が見えてくるようで、ゾッとするような恐さと厭さが、情動的な殺し合いのそれ以上に強く伝わってくるように思えるからだ。

 そんな「コミュニケーション不全な暴力」を顕著に描いた映画作品は何だろうかと考えたときに、「この一本」と言えそうなのが、本作『ローリング・サンダー』だ。

 ベトナム戦争で捕虜となった空軍少佐チャールズ(ウィリアム・ディヴェイン)は、七年ぶりに故郷に生還したが、長年の捕虜生活によって彼の心は完全に死んでいた。故郷の英雄として暖かく迎えられたチャールズだったが、七年という長い歳月が妻との間に埋め難い溝を作り、幼い頃しか知らない息子とも上手く接することが出来ない。妻は地元の若い保安官と男女の仲になっており、どうやら息子もこの保安官にすっかり懐いている。時代も人もすっかり変わってしまった故郷に馴染めず、また、長年の捕虜生活の中で受けた拷問によるPTSDから、眠れぬ日々を過ごすチャールズ。

 そんなある日、チンピラ強盗数人がチャールズ宅に押し入り、彼の妻子を惨殺する。チャールズ自身も片手をディスポーザーで粉砕され、銃で撃たれてしまう。瀕死状態に陥りながらもどうにか一命は取り留めたが、一瞬にして妻子の命を奪われた彼は、警察には犯人たちの人相も名前も憶えていないと嘘をつき、自らの手でチンピラどもを血祭りに上げるべく、復讐の旅に出る。

 本作はいわゆる「怒らせてはいけない相手を怒らせてしまった」というタイプの復讐劇だが、他の多くの同系統作品と違うのは、愛する家族を殺される以前から、主人公の心が既に完全に死んでいる点だ。強盗に遭う前の日常的なシーンでも、妻子や地元の人たちとのチャールズのやり取りは、コミュニケーション不全なところが目立つ。彼に想いを寄せる地元のウェイトレス、リンダが「全然喋らないのね」と言うと、チャールズは「軽口を忘れてしまったのさ」と無表情に答える。

 もしかしたらチャールズも、戦場へ行く前は人並みにジョークを言って笑い合えるくらいの人間だったかもしれない。彼と共に帰還した部下のジョニー(トミー・リー・ジョーンズ)も、やはりずっと無表情で何を考えているか分からない。彼はチャールズの前で、「もはや普通に暮らしていくことは不可能だ」とハッキリと言う。彼もまた戦場で心が死んでしまった一人なのだ。

 チンピラ強盗たちに妻子を殺された後も、チャールズは怒りをあらわにするわけでもなく、無表情のまま淡々と入院生活を送り、そして退院後は、誰にも言わずに一人淡々と復讐の準備をする。それが終わると、協力者として(半ば騙す形で)リンダを伴い、妻子を殺したチンピラたちを探し出す旅に出る。彼は故郷に帰って来て以来、初めて「やるべきこと」を得たような印象がある。

 妻に不倫を打ち明けられたときも、またその不倫相手の若い保安官に詫びを入れられたときも、表情一つ変えず「仕方のないことだ」と無感動に受け入れていたチャールズが、妻子を殺したチンピラどもを皆殺しにする、という「目標」が出来た途端、迷いなく能動的に歩を進め始める。

 チンピラたちのねぐらの売春宿を見つけたチャールズは空軍の制服に正装し、ジョニーの家を訪ねる。相変わらず無言で無表情のままのジョニーだが、チャールズがチンピラたちのねぐらを見つけたことを伝えると、何の質問もせずに自らも制服に着替え、銃器類を用意し始める。このときも無表情のままだが、どこか「待ってました!」というような気概をジョニーの姿に覚える。

 チンピラたちがたむろする売春宿に二人で襲撃をかけるラスト、故郷に帰って以来、ほとんどコミュニケーション不全で無表情だった二人が、見事な連携で(特にジョニーの方は活き活きと)チンピラたちを撃ち殺してゆく。単に「行き過ぎた正義」「行き過ぎた復讐」というこの手の映画にありがちなものとは全く違う、不感症だった人間の心がほんの一瞬だけ暴力によって解放される様を見てしまったような、爽快感とはまるで逆のモヤモヤした重たさを、この襲撃シーンには覚える。

 チャールズがどうやって捕虜時代の拷問を耐えていたかを説明するシーンで、彼は「自分を拷問する道具を愛し、自分を拷問する相手を愛することだ。そうすれば拷問する敵に打ち勝つことが出来る」と言う。完全に「向こう側」の世界に行ってしまった亡霊の乾き切った言葉だ。彼の死んだ心はもはや暴力によってしか突き動かされないのかもしれない。それも情動的なものではなく、どこまでも空虚で機械的な手段としての暴力がただそこにあるだけ、というような感じだ。

 心が完全に死んでしまった(生きながらにして亡霊と化した)人間の体温のない(体温を感じない)暴力というものを、どこまでもストレートかつストイックに追求してみせた異色の暴力映画として、本作『ローリング・サンダー』は極めて突出した一本である。

 

(2019年6月24日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
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