第151回『嗚呼!おんなたち 猥歌』

ロックンロール人生劇場

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『嗚呼!おんなたち 猥歌』
1981年:日本
監督:神代辰巳


 本作は私が高校生の時分(ゼロ年代初頭)にレンタルVHSで初めて見たポルノ映画であり、神代辰巳の監督作品でいちばん好きな映画かつ内田裕也の出演作でいちばん好きな映画でもある。

 主人公は売れない中年ロック歌手ジョージ(内田裕也)。年齢的にはとっくにベテラン領域だが、未だに街角のレコード屋の店頭や場末のスナックで新曲を歌ったりするようなドサ回りをせざるを得ず、時には柄の悪い客から「与作歌えよ!」などと野次を飛ばされることもある。別居中の妻からは離婚を迫られており、日頃はトルコ嬢の佳江(角ゆり子)のヒモとして生活している。

 何かと結婚を迫る佳江に対してはすっかり冷め切っており、佳江より若い看護婦の洋子(中村れい子)と、半ば強引に新たな愛人関係を築く。女にもだらしがない一方で、賭け麻雀で一夜にして数十万の借金を作るほどカネにもだらしがない。とにかくまともな生活とは程遠い、堕落したロックンロールライフを地で行く男なのだ。

 しかしそんな私生活は滅茶苦茶なジョージも、ロックのステージでは常に客を熱くさせる。そして、彼を慕うマネージャーのユタカ(安岡力也)と二人三脚で走ってきた長年の苦労がついに実り、ミュージシャン人生で初めて新曲がヒットする。こうしてやっとチャンスを掴んだジョージだったが、彼は思い上がりからユタカの恋人を犯し、彼女から訴えられてしまう。

 ロック歌手としての最後のチャンスも自らの愚行により潰え、さらには長年連れ添った愛人の佳江がトルコの客に殺されてしまい、賭け麻雀での借金もさらに膨れ上がる。そして堕ちるところまで堕ちたジョージは、マダム相手のトルコ男娼として生きていくことを決意する。かつてトルコ嬢のヒモであった男が、ついには自身がトルコ男娼として生きていく羽目に陥る……という皮肉な因果だ。

 神代辰巳のクセやアクの強い演出の下、内田裕也が「売れないロックンローラー」を(まさに体当たりで)演じるのだから、これが面白くないわけがない。女やカネにだらしない男の転落劇を神代演出で撮るだけなら、日活ロマンポルノ作品としてはさほど珍しいものにはならなかったろうが、そこに本職のロックミュージシャンが絡むバックステージもののロック映画としての要素が加わったことで、突き抜けた独自性を放つ「ロックンロール人生劇場」が誕生した。

 『餌食』(1979年)における若松孝二のフリージャズ的なアナーキーさと内田裕也のロック的なアナーキーさの融合は、それはそれで素晴らしい「調和」があるが、しかしそれ以上に、『嗚呼!おんなたち 猥歌』における神代辰巳の演歌(怨歌・艶歌)的アナーキーさと内田裕也のロック的アナーキーさの融合には、まるで異種格闘技戦のようなアンビバレントな旨味と面白味を感じる(神代演出における「調和」は、おそらくショーケンの方だろう)。

 『少女娼婦 けものみち』(1980年)でも、神代辰巳監督の下、内田裕也が準主役的な立ち位置で出演しているが、この作品で内田はチンピラのトラック運転手を演じており、やはりこれだといかにも神代作品といった感じで、わざわざ内田裕也を起用しているところでの意外性に欠ける。

 その点、『嗚呼!おんなたち 猥歌』は、まず何よりも「内田裕也の味を活かす」企画として成功した作品と言え、さらにそこに神代演出のクセやアクが巧いこと絡み合って、独自性の強い傑作に仕上がった。神代作品で特徴的なシュール演出が思いのほか少ないのも、この作品に限っては良かったかもしれない。内田裕也が出演している映画に傑作は多いが(そしてどんな作品でもその独自性の強い存在感を見せつけるが)、「ロックンローラーとしての内田裕也」という素材をそのままダイレクトに役柄に活かし切った映画作品として、『嗚呼!おんなたち 猥歌』は群を抜いた傑作だ。

 

(2019年6月13日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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