第150回『十階のモスキート』

一匹の蚊の狂気のシミ痕

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『十階のモスキート』
1983年:日本
監督:崔 洋一


 内田裕也といえば、まず何よりミュージシャンとして日本のロックシーンを牽引してきた大御所だが、映画の世界でもその独自性を遺憾なく発揮し、特に『餌食』(1979年)、『嗚呼!おんなたち 猥歌』(1981年)、『水のないプール』(1982年)、『十階のモスキート』(1983年)、『コミック雑誌なんかいらない!』(1986年)といった代表作では、主演俳優としての魅力はもちろんのこと、企画や脚本などによる映画製作者としての才能も見事に開花させている。

 『十階のモスキート』は崔 洋一の監督デビュー作。脚本は内田が2日間で一気に書き上げ、崔がそれに(劇映画としての体裁が整うよう)肉付けをして完成させたそうである(2019年6月9日の池袋新文芸坐でのトークショーで、崔監督本人がそのように話していた)。

 風変わりなタイトルについては、内田の映画製作に関するロング・インタビュー本『内田裕也、スクリーン上のロックンロール』(キネマ旬報社)の中で、内田自身が次のように語っている。

 「俺ね、ボンヤリ部屋の壁を眺めてたら、そこに死んだ蚊の痕を見つけたことがあったんだ。で、そこに滲んでる血はもともと、俺の身体を流れてたわけじゃない? だから宇宙のスケールを想像したら、ロックンローラーの俺だってこの、蚊の死んだ痕みたいなちっぽけな存在なんだってその時、分かっちゃったんだ。死んじまったらこのシミみたいなものしか残らないんじゃないかって。でもそんな俺だって、生きてるうちは人くらい刺せるんだぜ――それがこの映画のテーマなんだ」

 舞台は地方工業都市の平凡な街。内田裕也扮する主人公は交番勤務の警官で、勤続20年のベテランでありながら、出世の道からは完全に遠ざかっているうだつの上がらない男だ。離婚した元妻からは愛想を尽かされ、14歳の娘はそんな主人公を小馬鹿にしながら、小遣いだけはせびりに来る。行き付けのカラオケパブで酒をあおり、特に趣味らしい趣味もないが、(当時まだ珍しかった)パソコンを買い、家で地味なゲームなどをやって時間を潰し、薄給を競艇につぎ込む日々を送っている。

 表向きは真面目な堅物のように見える主人公だが、思った以上にカネと女にだらしなく、スーパーで見つけた万引き犯の女を自宅に連れ込んで犯したりする卑劣さ凶悪さも持ち合わせている。

 主人公が人生を諦めれば諦めるほど、その自堕落な生活ぶりに拍車がかかってゆき、娘への養育費を払い切れなくなったのをきっかけに、とうとうサラ金に手を出してしまう。自堕落な男がサラ金に手を出せば、そこからの転落劇が加速度的に悲惨なものになっていくのは火を見るより明らかだ。

 どんどん借金する → どんどん競艇につぎ込む → ガンガン酒をあおる → あっという間にカネが底をつく → また別のサラ金会社からどんどん借金する……という悪循環を繰り返し、当然ながら複数のサラ金からの取り立てに首が回らなくなる。飲み屋の女に借金を申し込んだり、別れた妻に借金を申し込んだりと、主人公がどんどん惨めに、どんどんおかしくなっていく。

 そして部下の婦人警官を自宅に連れ込んで強姦したあたりで、完全に頭の回線が切れ、最後は郵便局に制服のまま強盗に押し入り、ピストルをブッ放す。

 このどこまでも発作的で無計画な強盗は案の定、すぐさま包囲され、八方塞がりになってしまう。この絶体絶命の状況で、主人公が急に警察の昇進試験のために暗記している文章をボソボソと一人で暗唱し始めるシーンがとても印象的だが、先にも引用した『内田裕也、スクリーン上のロックンロール』の中で、内田自身がこのシーンについて次のように言及している。

 「ここまでの俺の襲撃だけで映画を終わらせなかったのが、また良かったんだ。/郵便局は包囲されてる。その中でドサッと椅子に座った俺が昇進試験の参考書を、ブツブツ読み出すだろ? あれを入れたことで映画がもう一段階、深くなったんだよ。警察って組織でがんじがらめになってオーバーヒートして、後戻りできないところまでもう、来ちまった。その最後の最後で、なんとか自分を取り戻そうとしてるっていう……」

 ごく平凡な人間が生活のヒビの割れ目から破滅の闇へと転落し、完全に発狂してもまだ最後の最後で自分を取り戻そうとする、という重喜劇的な人間の描き方が素晴らしいし、内田裕也が役者としてそれを演じるとスクリーンによく映える。

 特に『十階のモスキート』と『水のないプール』は、主人公のキャラクターがロックンローラーとは正反対の「凡庸な勤め人の中年男」だ。その凡庸な中年男が、自身の凡庸な生活の中から、いつの間にかどんどん転落し狂っていく。生活のヒビの割れ目から一歩闇へ足を滑らせた途端、凡庸な心の奥底に眠っていたアナーキーな獣性に目覚め、一気に理性や道徳の壁を飛び越えてしまう。こういう役を内田裕也が演じると、本当に恐いくらいにビシッとハマる。

 三たび『内田裕也、スクリーン上のロックンロール』からの引用になるが、『十階のモスキート』の主人公の服装について、内田は「この映画では白のワイシャツとパジャマ、あとは警官の制服しか着ないって決めたんだ」と語っているので、記号化された「凡庸な勤め人の中年男」というのを、ヴィジュアル面からも明確に意識していたのは間違いない。

 そしてそんな凡庸でうだつの上がらなかった男が、発狂して郵便局に強盗に入り、逃げる間もなく逮捕され連行されるが、最後にわずかながらの抵抗を見せ、連行されながら盗んだ札をムシャムシャと食べ始める。カメラ目線で札を食らう内田裕也がストップモーションになり、白竜が歌う『誰の為でもない』が流れて映画はバシッと終わる。

 何でもない凡庸な人間が、退屈な人生のある瞬間にフッとバランスを崩し、ほとんどアグレッシブと言えるような勢いで主体的に狂ってゆく。最初の些細な間違った選択から、どんどんどんどん破滅的な間違った選択の方へと自ら転げ落ちてゆく。現実の世界ではただただ傍迷惑な犯罪者でしかないような人間を、創作の世界では危険な魅力でもって見世物然としたエンターテイメントに昇華してしまうことが出来る。そしてそこから人間の業や人生の無常観などを感じ取ることも出来る。

 
ごくごく世間一般的な良識や道徳観からしたら明らかに間違った選択をしてしまった者たちを、いかに面白く魅力的に描いてしまうか。そういう実に危ういところを、とことん追求していくような創作こそが最高のエンターテイメントだと思っている。
 

(2019年6月12日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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