第15回『シティ・オブ・ゴッド』

血で血を洗う明日なき青春


『シティ・オブ・ゴッド』
(Cidade De Deus)

2002年:ブラジル
監督:フェルナンド・メイレレス、カティア・ルンド


 「深作欣二とサム・ペキンパーに見せてやりたいよ」という立川談志のコメントがこの映画の全てを物語っている。1960年代~80年代にかけて、ブラジルはリオ・デ・ジャネイロ郊外にある貧民窟「神の街」において実際に繰り広げられた、若者たちの終わりなき抗争を描いた一本。血と暴力とサンバのリズムに彩られた、実録青春群像の大傑作である。

 簡単に言ってしまえばブラジル版『仁義なき戦い』なのだが、まだ毛も生え揃わないようなガキが半袖短パン姿で銃をブッ放す様は、東映三角印を遥かに凌ぐ凶暴さだ。

 主人公ブスカぺは暴力渦巻く「神の街」に生を受けたが、暴力とは程遠い性格な上にギャングである兄が反面教師になったこともあって、ギャングの道へは入らずカメラマンを目指している。

 物語はこのブスカぺを語り部として展開してゆくのだが、とにもかくにも暴力、暴力、また暴力。全編に渡り血と汗と弾丸が飛び交い、スクリーンを真っ赤に染め上げる。そしてギャングも悪けりゃそれを取り締まる警察側も人の生き血を啜って生きる悪党ばかりだから救いがない。

 この物語のもう一人の(ダークサイドの)主人公と言えるリトル・ゼは、まだ毛も生え揃わないガキの時分から銃をブッ放して人を殺すことを覚え、その生まれ持った暴力性と悪事に関する明晰さを武器に、「神の街」では誰もが恐れるギャングスターに伸し上がった男である。

 そんなリトル・ゼの幼馴染でありギャング家業の良きパートナーでもあるベネは、街一番の「いいギャング」。もともと自由主義なタイプで殺しを好まず、血の気の多いリトル・ゼを唯一なだめることができる存在だ。

 そんな二人がこの街最大の経済効果であるコカインとマリファナの売買に殴り込みをかけ、いよいよこの街を制圧する地位に君臨する。

 この街のヤクの商売はもともとセヌーラという男が牛耳っていたが、リトル・ゼには到底敵うはずもなく、自分のシマの範囲内で細々とギャング家業をするに留まっている。

 リトル・ゼはどうにか口実を見つけてセヌーラを葬り、この街を完全制圧したいと焦っており、事あるごとにセヌーラに因縁を吹っ掛けるのだが、その際はいつもベネが仲裁に入り、どうにかこの街のバランスは保たれていた。

 しかしそんな平和主義のベネが、血と暴力にまみれたギャング家業にとうとう嫌気がさし、この街を出て恋人と二人で慎ましく暮らすことを決意する。ところが、リトル・ゼを狙った裏切り者の銃弾が、神のイタズラか誤ってベネに当たってしまい、ベネは命を落とす。親友の死に怒り狂ったリトル・ゼは、「セヌーラの仕業に違いない!」とセヌーラ陣営を完全に潰すことを決意。

 一方、セヌーラは街のナンバーワンであるリトル・ゼとの全面戦争を避けられないと悟ると、リトル・ゼに恋人を強姦され、さらに自身の家族を殺された通称「二枚目マネ」という射撃の名手である退役軍人を仲間に引き入れる。

 根っからの堅気で心優しいマネは、「決して罪のない人々を傷つけない」ということを条件にセヌーラの仲間に加わるが、仮借ないギャング生活の中で、とうとう自身も銀行の警備員を撃ち殺してしまう。そんな悲劇のヒーローの出現も手伝って、リトル・ゼとセヌーラの抗争は日々その凄惨さを増してゆく。果たして、「神の街」で最後まで生き残るのは誰か……。

 こんな重々しい内容をシリアス一辺倒で撮られたら、見ているこっちはたまったものではないが、本作はそこをサンバのリズムで終始テンポよく駆け抜けてゆくので、散々、血と暴力にまみれたストリートの惨状を見せつけられるものの、見終わった後にはどこか爽快ささえ覚える。

 加えて、暴力的な中にも、ついホロリとさせられるようなエピソードも少なくない。どんな悪党にも人間的・良心的な部分があることを描いている。つまりは、仮借ないスラムの犯罪生活の中にも人の情が通じている、というある種の「救い」もしっかりと描いているので、単なる血みどろ暴力映画とは言わせぬ魅力を十二分に持っている。

 また、語り部(狂言回し)である主人公がギャングでないという点も、ごくごく一般的な観客が感情移入しやすいポイントになっていると思う。

 暴力的な犯罪社会を肯定する気は更々ないが、こうした逆境の中で、運命に翻弄されながらもたくましく生きる若者たちを描いた青春群像劇として、本作は多くの人にお薦めしたい一本である。

 

(2011年5月29日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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