第147回『恐怖の報酬』(1977年)

地獄のトラック野郎 ~ニトロ・ジャングル大作戦~

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『恐怖の報酬』
(Sorcerer)
1977年:アメリカ
監督:ウィリアム・フリードキン


 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の代表作『恐怖の報酬』(1953年)を、ウィリアム・フリードキン監督が1977年にリメイクしたもの。

 大まかな内容は本家クルーゾー版をリスペクトし踏襲した形になっているが、登場人物たちの人間像や関係性の変化を因果応報な人間ドラマとして描いたクルーゾー版に対し、フリードキン版はまさにフリードキンらしい徹底したドライなタッチで、人生ドン詰まりの男たちが地獄の底を這いずりながら進む様を、胃がキリキリするようなハードかつヘヴィな地獄絵図として描破している。

 フリードキン版『恐怖の報酬』は、1977年6月に本国アメリカで公開された後、監督に無断で30分程がカットされた「短縮版(92分)」が長らく世界的に出回っていたそうだが、2013年にフリードキン監修の下、「オリジナル完全版(121分)」が4Kデジタル・リマスター化されてよみがえり、日本では2018年11月にようやく「オリジナル完全版」としての劇場公開となった。

 日本でも1978年3月の初公開時は「短縮版(92分)」が劇場公開され、1991年発売のVHS版には本国アメリカ公開時と同じ「オリジナル版(121分)」が収録されたが、その後、2018年11月の「オリジナル完全版」劇場公開まで、日本国内でのソフト再発やリバイバル上映などはなかった。

 私は本作をもうずいぶん前にレンタルVHSで見て、実は内容をほとんど憶えていなかったのだが、やはりあの驚異的な吊り橋のシーンと、救いのないラストだけはよく憶えていた。今回の劇場公開で久々に再見したわけだが、現時点(2018年12月3日現在)で、既に5回ほど見ている。

 フリードキンといえばやはり『フレンチ・コネクション』(1971年)と『エクソシスト』(1973年)が最も有名な代表作ということになろうが、本作『恐怖の報酬』はこの2作をも凌ぐ。

 本作はまず主要キャラ4人それぞれの背景を描く導入部から始まる。

 ベラクルス(メキシコ)のホテルで何者かを暗殺し、足早に立ち去る殺し屋ニーロ(フランシスコ・ラバル)。エルサレム(イスラエル)で爆破テロを起こし、追われる身となるアラブ系テロリスト、カッセム(アミドゥ)。パリ(フランス)で自身の不正取引を追及され、頼みの綱であった関係者の自殺により逃亡を余儀なくされる投資家マンゾン(ブルーノ・クレメル)。ニュージャージー(アメリカ)で高額ビンゴ開催中の教会に強盗に入り、結果的に対抗組織から命を狙われる羽目に陥ったアイリッシュ・ギャング、スキャンロン(ロイ・シャイダー)。

 この導入部を無駄なく丁寧に描き、話の舞台は彼ら4人が落ち延びた南米の小国へと移る。情勢が不安定で民衆の暮らしは極貧状態。彼ら4人がそれぞれ寝泊りする場所もまるで牢獄そのものだ。4人ともこの国から出たいと思っているが、当地の労働で得られる賃金など高が知れている。その賃金から国外へ出る航空運賃とパスポート代を捻出するのはどうあがいても不可能である。

 そんな折、当地の油井で大規模な火災が発生。この消火作業にはニトログリセリンが必要だが(ニトログリセリンを爆発させた爆風で炎を吹き消す)、保存状態が悪く劣化しており、少しの振動でも爆発しかねない危険な状態だ。石油会社はこの危険なニトログリセリンの運搬を請け負う者を一般の労働者から応募する。「高額な報酬を出すから、命が惜しくない人間を求む」というわけだ。

 この国から出るチャンスは今しかない、と踏んだ主人公4人は、いつ爆発してもおかしくないニトログリセリンを積んだトラック2台に分乗し、断崖絶壁の山道と険しい密林を行く地獄のジャングル・クルーズに挑む。果たして彼らはこの極限のミッションを成功させることが出来るのか……。

 主要人物のキャラ設定や導入部を設けた点、ラストの描き方などは違うが、大まかな話の流れは本家クルーゾー版を割と丁寧に踏襲している(空港で賄賂のカネをチラつかせるシーンなども、ほとんどそのまま引用している)。が、やはりフリードキンはフリードキン。この世を地獄として描くことに関しては、本家クルーゾー版を遥かに凌ぐ狂気性を見せつける。

 まず導入部の時点でいきなり血みどろの殺戮と人生ドン詰まりエピソードをこれでもか、これでもか、と畳み掛けるように見せつけてくる。殺し屋、テロリスト、不正取引をした投資家、ギャング……それぞれのエピソードが1本の殺伐とした犯罪映画として成り立つレベルの仕上がりだ。そして本筋であるニトログリセリンの運搬シーンだが、本家クルーゾー版でも十二分に情け容赦ない地獄を描いているが、フリードキン版はさらにその上を行く地獄の中の地獄をスクリーンに叩きつける。

 ニトログリセリンの運搬シーンで、クルーゾー版を遥かに上回るのは、やはり吊り橋のシーンだろう。暴風雨の中、今にも崩れ落ちそうなボロボロの吊り橋をトラックで渡ろうとするシーンなのだが、何度見ても「一体どうやって撮ったんだ!?」と度肝を抜かれる。

 トラックが横転しそうなほどに橋全体がグラングラン揺れ、足場の板は次から次へバリバリとへし折れ、橋を吊っているワイヤーは今にも千切れそうな状態で震えている……映画の領域を遥かに超えた(ほとんど事故レベルの)映像がそこに映し出される。

 この点でフリードキン版『恐怖の報酬』は、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の『アギーレ/神の怒り』(1972年)や『フィツカラルド』(1982年)、あるいはフランシス・フォード・コッポラ監督の『地獄の黙示録』(1979年)などに連なる、「映画の範疇を超えた壮絶な光景が映っている映画」と言える。作品の規模は違うが、トビー・フーパー監督の『悪魔のいけにえ』(1974年)やルッジェロ・デオダート監督の『食人族』(1981年)なども、この類の映画作品と言えるだろう。

 殺伐として血の気の多い(犯罪映画としての出来も素晴らしい)導入部に始まり、本家クルーゾー版をも凌ぐ勢いのニトログリセリン運搬シーンを経て、終盤はそれまでの徹底したリアリズムを突き抜け、主人公が肉体的・精神的極限のその先の地獄へと足を踏み入れる。そしてラストは、そこからさらに突き放したような救いのなさでもって、この地獄の物語に無慈悲な終止符が打たれる。

 『フレンチ・コネクション』(1971年)、『エクソシスト』(1973年)、『L.A.大捜査線/狼たちの街』(1985年)、『ハンテッド』(2003年)、『BUG/バグ』(2006年)、『キラー・ジョー』(2011年)といった作品で絶えず見せつけてきた、鬼の中の鬼と言える情け容赦ないフリードキン節が、本作『恐怖の報酬』で最高度のスパークを見せている。

 冒頭で既に人生のどん底に堕ちた男たちが、逃れ逃れてたどりついた地の果てで、さらに地獄の底を這いずりながらも前に進む。ポジティブな心持ちで前に進むのではなく、すぐ背後には絶望と死が迫っているので、ただただ血みどろのまま前に進むしかないのだ。フリードキン版『恐怖の報酬』は、絶望の底で半ば亡霊と化した男たちの生存本能を描くことに純化した物語である。

 本家クルーゾー版は、登場人物たちの倫理観や他者との人間的な関係性を揺さぶる演出(そういう意味での人間ドラマ)がメインだが、対するフリードキン版は、地獄の中では善も悪も関係なく、とにかく自分がやるべき(と思っている)ことを各々がやっているだけ、というドライさを徹底している。どこまでも非情で無慈悲な世界を描いた地獄のトラック野郎映画として、フリードキン版『恐怖の報酬』は、死ぬまで私の心に食い込み続けるだろう。

 

(2018年12月3日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
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