第146回『ノロイ』

呪いという名の霊的暴力

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『ノロイ』
2005年:日本
監督:白石晃士


 おかしな言い方だが、本作は白石晃士作品における「完成されたプロトタイプ」とでも呼べそうな作品だ。後の代表作『オカルト』(2009年)や『コワすぎ!』シリーズ(2012~2015年)に見られるような、映画的大嘘の飛躍(心霊ホラーからクトゥルフ神話への展開など)やブラックな笑いといった特徴的要素はまだ見られぬが、「心霊/怪奇ホラー」×「フェイク・ドキュメンタリー」という白石作品の真骨頂とも言えるスタイルを、終始骨太なリアリズムで突き詰めた傑作である。

 自宅が全焼し、妻が焼死体で発見され、本人は行方不明となったノンフィクション・ホラー作家、小林が最後に残したビデオ作品『ノロイ』と、その後にビデオ会社に送られてきた自宅全焼に至る経緯が録画されたビデオテープを見ていくという趣旨のファウンド・フッテージものだ。

 小林が冒頭で訪ねる謎の狂女、心霊番組撮影中に何物かに憑依され発狂したアイドル、衣服や自宅をアルミで覆った電波系霊能者、テレビの実験番組で驚異的な透視能力を見せた超能力少女。これらの人物やその周囲で起こる怪現象、関係者の怪死などを追って取材を進めていくうちに、「かぐたば」という謎の言葉と、今はダムの底に沈んでいるある村に伝わる奇祭へと話がつながってゆく。そしてその真相にたどり着いたとき、小林は真の恐怖と地獄を味わうことになる……。

 90年代Jホラーの流れを汲みつつ、白石作品の真骨頂であるフェイク・ドキュメンタリーの手法を主軸とした、高品質かつ極めて独自性の強い逸品に仕上がっている。先述したとおり、後の代表作『オカルト』や『コワすぎ!』に見られる大嘘の飛躍やブラック・ユーモア的なヒリついた笑いの要素はまだ見られぬが、その分、よりプリミティブな恐怖映画としての鋭利さが際立つ。

 決して安易な勢いだけで恐がらせるわけではなく、かといって日本のホラー映画にありがちな、やたら出し惜しみするような(精神性に寄り過ぎた)恐がらせ方でもない。心霊・怪奇・呪術といった要素を、白石作品独自の暴力性に満ちた尖った演出で味付けし、それをより皮膚感覚的なリアルな恐怖に変換させて、まるで通り魔のようにグサグサと見る者の心臓を突き刺してくる。

 「呪い」というおよそ非科学的な要素を、どこまで現実味のある皮膚感覚的な恐怖に変換出来るかということを追求した、オカルト・ホラーにおけるリアリズム演出の極致がここにある。本作はそういう意味で、『たたり』(1963年)、『ローズマリーの赤ちゃん』(1968年)、『エクソシスト』(1973年)、『赤い影』(1973年)、『ヘルハウス』(1973年)といったリアリズム重視のオカルト・ホラーに連なる傑作と言える。何かと精神性に寄り過ぎるきらいがある日本産の心霊/怪奇ホラー映画の系譜にありながら、白石監督が手掛ける作品世界のバランス感覚は絶妙だ。

 個人的に特に本作で気に入った点は、呪術系狂人と電波系狂人のそのキャラ造形と、彼・彼女が住む各々の狂人ハウスの美術的な(特に小道具)面での作り込みの素晴らしさ、そして衝撃的な焼身へと至るまでの、ラストシーンにおける暴力映画としての一連の流れ。「呪い」をテーマにした心霊/怪奇ホラーでありながら、徹底的に細部のリアリティーを作り込んだ(ある種の)暴力映画としての完成度の高さに、一介の暴力映画ファンとして激しく魅了された。

 足のないうっすらとした幽霊ではなく、「呪い」が人の形をした暴力となって、はっきりとした殺意を持って襲ってくる。白石作品の暴力映画としてのこういう重厚さに、私は最も心を惹き付けられる。映画監督・白石晃士は、「呪い」という非科学的な霊的暴力性を、皮膚感覚的な物理的暴力性へと変換することの出来る、いわばリアリズムの魔術師なのだ。

 

(2018年9月23日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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