第145回『オカルト』(2009年)

報われぬ日々にドカンと一発!! —邪悪なる神に選ばれし凡人の物語―

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『オカルト』
2009年:日本
監督:白石晃士


 『恋のクレイジーロード』(2018年)で初めて白石晃士作品を見て、これが18分程の短編ながらかなり面白い作品だったので、次いで『超・悪人』(2011年)、『ある優しき殺人者の記録』(2014年)、『殺人ワークショップ』(2014年)、『オカルト』(2009年)、『コワすぎ!』シリーズ(現時点での)全9作品(2012~2015年)と、短期間に立て続けに白石作品を見た。

 もともと暴力映画は大好きだが、ホラー映画(特に心霊もの・怪奇もの)にはどうも夢中になれず、白石晃士監督も「心霊もの・怪奇もののホラー映画監督」というイメージが非常に強かったので、これまで特に白石作品を見ようとは思わなかったのだが、予告編に興味を引かれて劇場へ見に行った『恋のクレイジーロード』が紛れもない純正暴力映画で、その卓越した暴力描写と突き抜けたエンターテイメント性に打ちのめされ、先に挙げた作品の数々を短期間で見るに至った。

 いずれの作品も、凄まじいリアル・バイオレンスとその向こう側へ突き抜ける映画的嘘の魅力に満ち溢れており、特に白石監督の真骨頂とも言えるフェイク・ドキュメンタリーとしての質の高さに驚かされたが、そんな中でも本作『オカルト』にはことさら胸を打たれた。

 『オカルト』は、フェイク・ドキュメンタリーという手法によって、生々しい暴力の世界と荒唐無稽な怪奇の世界を、高次元の映画表現として見事にミックスしてみせた作品だ。

 映画監督・白石晃士(本人役)は、三年前にある観光地で起こった通り魔殺人事件に興味を引かれ、その関係者たちへのインタビューを始める。

 被害者や被害者遺族、加害者の父親などへのインタビューを進めるうち、次第にその誰もが奇妙な(オカルティックな)話をすることに気付く。そして事件後、自ら数々の「奇跡」を体験するようになったと語る被害者の一人、江野祥平(宇野祥平)に密着取材を始めたことから、白石は事件の驚愕の真相と、その向こう側の異世界の存在に触れることになる。

 圧倒的なリアリティーで丁寧に作り込んだ序盤、徐々にオカルティックな異世界へと話が転がり始めてゆく中盤、そして江野が「神に与えられた」という恐ろしい「使命」を実行するまでを描く終盤。本物のドキュメンタリーと見紛うほどの序盤のリアリズム演出から、どんどんオカルティックな方向に風呂敷を広げ、最終的にはクトゥルフ神話的な宇宙観にまで作品世界を拡張させてゆく。

 白眉は何といっても宇野祥平の演技の素晴らしさだ。彼は本作『オカルト』を機に、数々の白石作品に出演するようになるが、本作では、かなり抑えた(飄々とした)ナチュラル演技で、「選ばれし者」である江野を好演している。

 江野は30歳になっても定職には就かず派遣アルバイトを続けており、上京してからは住居もなく、いわゆる「ネットカフェ難民」としてギリギリの生活を送っている。どうやらアルバイト先では周りの足を引っ張っているらしき様子も間接的に描かれる。

 一見おとなしそうだが妙に図々しいところがあり、酒が入るとかなり面倒臭い絡み方をするので、おそらく友人もほとんどいないのだろう。そんな「クソみたいな生活」を送ってきた江野が、通り魔事件に遭遇したことをきっかけに天啓に導かれ、ある「使命」を持ったことにより、おそらく生まれて初めて自身の人生に「意味」を見出した。江野という凡庸な人物が、ある天啓を得たことから、危険な使命感の下に妄信的に突き進む様を、大仰さの一切ない極めて自然体な演技で見せてゆく、宇野祥平の俳優としての巧みさに舌を巻く。

 『恋のクレイジーロード』『超・悪人』『殺人ワークショップ』『オカルト』『コワすぎ! 最終章』という順で、白石作品での宇野祥平を見たが、アッパーな役でもダウなーな役でも、とにかく見ていて飽きないというか、彼の演技をいつまでもずっと見ていたいという気持ちにさせられる。

 『オカルト』は終盤、江野と白石のブロマンス的な要素が色濃く出てくる。

 江野が実行しようとしている「使命」は実に恐ろしい内容なのだが、それでもなぜかこの二人の男の友情関係に、普遍的な温かみを感じてしまう。「使命」を決行する直前、江野と白石が二人で『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(2008年)を、今はなき新宿プラザ劇場へ見に行くシーン(さすがにタイトルにはピー音が入り、劇場看板もボカシ処理が為されているが)なんかは妙にグッとくる。さらに江野が白石に「ずっと借りっぱなしだった100円返すよ」と言うくだりも、これまたグッとくる名ブロマンス・シーンだ。

 余談になるが、『オカルト』における江野と白石のブロマンス的関係性は、後に全く別の作品『戦慄怪奇ファイル コワすぎ!/最終章』(2015年)で、時空を超えた形で再び描かれる。

 白石作品には、世間一般の常識から見て明らかに「間違った選択」をする人物たちを描く、ということへの執着を強く感じる。明らかに間違ってはいるが、その愚直に猪突猛進する姿に心を打たれる。たとえ狂っていても間違っていても、人が己の信ずるもののために突き進む姿には剥き出しの感動がある。本作『オカルト』は、まさに人間のそういう姿(その行動)を、頭ごなしに否定することも、あるいは手放しで称賛することもなく、淡々とカメラで追って行く。

 『ある優しき殺人者の記録』などは特にそうだが、白石作品におけるフェイク・ドキュメンタリーとしての(ある種の)「説得力」のようなものがあるとすれば、それは、POVの限られた視点でありながら、カメラだけが「全てを知っている神の視点」になり得てしまう、という映画的マジックの驚異的な飛躍にある。もちろん、本作『オカルト』においても、そのような要素は色濃い。

 フェイク・ドキュメンタリーという「リアル」に肉薄するための手法を用いながら、「リアル」よりも(実に映画的な)「大嘘」を重要視し、その「大嘘」を輝かせるために、細部のリアリティーを丹念に丹念に作り込んでゆく。まさに映像表現における「虚実皮膜論」を突き詰めた先にあるのが、白石晃士の作品世界だと言えるだろう。リアリティー/リアリズムを徹底的に追求し、そこからさらに突き抜けた先に、創作や表現の醍醐味である「大嘘」の桃源郷が見えてくる。


 「ホントよりもウソのほうが人間的真実である、というのが私の人生論である。なぜなら、ホントは人間なしでも存在するが、ウソは人間なしでは決して存在しないからである」(寺山修司)

 

(2018年9月17日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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