第14回『股旅』

旅は道づれ世は情け

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『股旅』
1973年:日本
監督:市川 崑


 本作はタイトルずばりの股旅ものであるが、日本映画界きってのモダニスト、市川 崑がメガホンを取るとなれば、当然、従来のそれとはずいぶん違った股旅ものになるのは必定というもの。オフビートにとぼけたユーモアと、それに相反するかのような、どこまでも乾いた仮借ないリアリズムが見事に融合した、アメリカン・ニューシネマを思わせる傑作青春映画である。

 主人公は小倉一郎、尾藤イサオ、萩原健一扮する三人の渡世人。しかし「渡世人」とは名ばかりで、正味のところは、貧農の食いつめ者から渡世の道へ入った青二才ばかりだ。

 お国訛り丸出しでヘッポコな仁義を切り、出入りの助太刀では使い慣れない長ドスをやたらめったら振り回し、挙句は貧農たちが青空の下で茣蓙一枚敷いただけの到底「賭場」とは呼べない慎ましい集いを狙い、賭場荒しよろしくに襲撃して小銭を稼いだりと、とにもかくにも、みみっちいことこの上ない風まかせな「渡世」を生きる三バカなのである。

 しかしそんな三バカだって何もお気楽に生きているわけではない。一般社会からドロップ・アウトすれば、それなりに厳しい日常が待っているのだ。

 男を上げると意気込み、人様のケンカに手を貸してみたところで、その男意気を買ってもらえるわけでもなし。渡世の義理とやらに思い余って実の父を斬ってはみても、その義理を立てたはずの相手からは素っ気なく見捨てられ、結局は親殺しの凶状持ちとして逃げ回る生活が待っているだけ。

 「義理と人情」の義理の方を選んで実の親を殺しまでしたのに、結局、自分がいちばん不義理な目に遭ったという何とも笑えない皮肉だが、所詮、義理と人情の板挟みに悶えているような弱い人間は、狡猾な人間に足元を見られるだけなのだ。

 一般社会であろうとヤクザ社会であろうと、頭の切れる狡賢い人間が世を動かしているということに変わりはない。一般社会から落ちこぼれた人間は、ヤクザ社会においてもやっぱり落ちこぼれて生きていく運命にある。

 しかしそんな落ちこぼれである我らが三バカの、そのどこまでもピュアでナイーブな不器用さを、決して冷笑的にではなく、客観的で乾いた距離感を保ちつつも、どこか暖かな眼差しでもって描いているところに、本作の青春映画としての面目躍如がある。

 物語はどこまでも非情に、この非力な主人公たちに辛酸を舐めさせるが、しかしそれでもどこかほっこりした部分を、終始この映画が保っている所以は、ひとえに作り手側の純粋なヒューマニズムによるものだろう。

 決して甘くはない渡世の殺伐とした現状を描いてはいるが、主人公たちが時折見せるあまりにも人間的な優しさに、見ているこっちはついついほろりとさせられる。何ともニクイ逸品である。

 

(2011年5月20日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
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