第135回『ディーパンの闘い』

赤の他人から始まる「家族」の再生物語

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『ディーパンの闘い』
(Dheepan)
2015年:フランス
監督:ジャック・オディアール


 スリランカの内戦によって妻子を失った元兵士シバダーサンは、泥沼化した戦渦から逃れ、国外へ亡命するために、全く見ず知らずの女と少女を自分の「妻」「娘」として擬似家族を作り、「ディーパン」という偽名で難民としてフランスへ渡る。

 三人はどうにかパリ郊外の団地に身を寄せ、「家族」としての生活を始める。

 もともと愛情も何もない、赤の他人である「夫」「妻」「娘」。最初は上手く心を通わせることも出来ず、自分のことしか考えられない「夫」と「妻」。まだ幼い「娘」はこの状況をどうすることも出来ない。が、次第にフランスでの生活にも馴染み始め、その日を生きることだけで精一杯だった三人にも、日常的なゆとりと共に少しずつ笑顔が戻ってくる。

 覚束ないフランス語でも、少しずつ現地の人たちとコミュニケーションが取れるようになり、時にはぶつかり合いながらも、共に支え合って生きていくうちに、偽りの家族であった三人が、次第に本当の家族のように心を通わせてゆく。

 しかし残酷なこの世の現実が、三人の幸せを無残にも打ち砕く。

 彼らが暮らす団地には、ドラッグの売買を生業とするギャング集団のアジトがあり、最近になってこのグループのリーダー格の男が刑務所から戻ってきたことにより、治安が以前にも増して悪化し始めた。昼間から銃撃なども起り、当然、ディーパンたちの身にも危険が及ぶ。

 母国の戦渦を逃れ、遠い異国の地で、苦労に苦労を重ね、やっと手に入れた平穏な生活を、またしても暴力によって踏みにじられようとしている。ディーパンは怒りから思わずギャングたちに抗ってしまい、このことがさらに彼を追い詰めてゆく。そして同時に、彼の中で戦渦の血まみれの記憶と、暴力的な闘争本能が呼び覚まされてゆく(2回ほど映し出される静かに歩くゾウのイメージは、ディーパンの内なる静かな怒りを表しているのだろうか)。

 そんな折、とうとう彼の妻がギャング集団たちの抗争に巻き込まれ、ディーパンは彼女を救うべく、捨て身でギャングたちのアジトへと乗り込んでゆく……。

 疑似家族として生活することを余儀なくされた「夫」「妻」「娘」が、次第に心を通わせ、やがて本物の家族になってゆくまでの人間ドラマを、実に繊細なタッチで丁寧に丁寧に描きながら、ラストでは『わらの犬』(1971年)や『ローリング・サンダー』(1977年)を思わせる展開で、虐げられた窮鼠が猫を噛み殺す純正の暴力映画にまで昇華される。闘うことに人生を翻弄されるディーパンの目線で見れば、『ランボー』(1982年)のような要素も色濃いと言える。

 コミュニケーションが「人と人」や「文化と文化」の間にある障壁を乗り越える可能性というものを瑞々しく描きながら、暴力がその可能性を一瞬にして打ち崩してしまう惨たらしさも同時に描いた傑作だ。疑似家族ドラマとしても本当に良く出来ている。

 

(2016年10月17日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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