第133回『シン・ゴジラ』

虚構の中に日本の「今」を描く、王道のカルト大作

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『シン・ゴジラ』
2016年:日本
監督:庵野秀明


 この文章を書いている時点で、本作を三回ほど見ている。私自身は特にゴジラ好きでも庵野ファンでもない。ゴジラ作品に関しては、シリーズ初作の『ゴジラ』(1954年)と『ゴジラ対ヘドラ』(1971年)が好きなくらいで、あとは小学生の頃に今はなき浅草東宝へよく平成シリーズを祖母に連れられて見に行っていた、という遠い日の記憶がある程度だ。庵野作品に関しては、13歳の時に従兄弟に連れられて見に行った『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(1997年)一本のみ(これが私にとって、今のところは最初で最後のエヴァ体験となっている)。

 今作『シン・ゴジラ』に関しては、まず初見の感想は「面白いけど私好みの作品ではないな」というものであった。いくらゴジラ好きでないとはいえ、一応は平成ゴジラを見て育った世代でもあり、日本映画におけるパブリック・イメージとしての「ゴジラ」の生態を、今回かなり大胆に改変していることと、庵野タッチとでも呼べばいいのか、特に台詞回しにおけるアニメ的演出を実写映画に用いていることに、どうしても違和感を覚えざるを得なかったのだ。

 が、やはり何となく心に引っ掛かるというか惹かれるものがあり、二回三回と見ていくうちに、初見で違和感に思えた部分も、庵野監督なりの作家性なのだなと思え、同時に、庵野監督はアニメ的リアリティーと実写的リアリティーのバランスを保つのが巧い人だという見方に変わった。

 内容としては、シリーズ初作の『ゴジラ』の舞台を「今」の日本に置き換えたものと言える。つまり、「今」のこの日本で、人類が「ゴジラ」という脅威に初めて遭遇するという設定だ。「3.11」以降の日本(日本政府)が、どのようにこの「有事」に対処するのか、ということを、リアリティー重視の群像劇として描いているのである。

 「人間ドラマが希薄」「日本政府を理想的に描き過ぎている」というような批判も少なくないようだが、私としてはそうは思わない。

 人間ドラマとしては、個々の叙情性に拠ったそれではなく、それぞれの「立場」に足を取られながらも、最後まで諦めずに奮闘するプロフェッショナルたちの姿そのものに、確かにドラマ性と呼べるものがあるように思える。特に矢口蘭堂(長谷川博己)とカヨコ・アン・パタースン(石原さとみ)の、「出来るホープ」どうしによるドライな共闘には確かにドラマ性と呼べるものがあり、「二つの祖国」の狭間で揺れ動きながらも、日本のために最善を尽くそうと奮闘するカヨコ・アン・パタースンの姿にも、独自の静謐なヒロイックさを感じる。

 「日本政府を理想的に描き過ぎている」という点に関しては、確かにそういうきらいがあるとも言えるが、とはいえ、それは作り手の政治的主張でも安易な日本礼賛でもなく、壊滅的な状態に陥った日本の「再生」を(つまり「3.11」以降の「今」を)きちんと描こうとしているように思える。この国の現状に根ざした「理想」を描くこと自体は、特に偽善とも生ぬるいとも思わない。

 個人的に不満があるのは、人的被害の描き方がかなりマイルドに思える点だ。劇中に二ヶ所ほど、生々しい「死」を描こうとしているシーンがある。倒壊したマンションからある家族が逃げ遅れるシーンと、潰れた車の中から死んだ男性の足だけが見えているシーンだ。しかしこの二つのシーンも、消極的にさらっと見せるだけなので、あまり印象に残るような重々しさはない。この二つのシーンをもっと踏み込んで描いていれば、よりリアルな「死」の匂いを持った作品になっただろう。

 完全なるファミリー向けの娯楽作に振り切るのであれば、いたずらに残酷描写を入れる必要はないと思うが、本作がリアリズムに徹した「大人向け」の群像劇として作られていることは明らかであり、そうであれば、人的被害を描く上での「説得力」として、リアルな残酷描写(生々しい「死」を匂わせる描写)を、ほんの二、三カット程度は挟み込むべきだったと思う。

 その点の不満はあれど、本作が今の日本映画に出来得る最良のモンスター・パニック大作であることは間違いない。そこはやはり、限られた資源や時間や表現の自由の中で、庵野監督が自身のコアな作家性を最後まで貫いた結果だろう。

 アニメも実写も、庵野作品に関しては全く不案内なのだが、本作『シン・ゴジラ』を見る限りでは、先述したとおり、庵野監督はけっこうアニメ的演出(特に台詞回し)と実写のバランスを保つのが巧いように感じる。以前、押井守監督の実写版『パトレイバー』をちらと見たが、あれこそまさに「アニメでしか」成り立たない演出だと思った。

 アニメにはアニメのリアリティーがあり、実写には実写のリアリティーがある。『シン・ゴジラ』はかなりギリギリのバランスで、その「中庸」を巧く探り当てた作品という気がする。

 CGの仕上がりに関しては、ハリウッドの大作に比べれば見劣りはするが、とはいえ、自衛隊の総攻撃をものともしない「巨大不明生物」によって、日本の首都が完膚なきまでに蹂躙されていくシーンは圧巻の一言だ。放射熱線によって東京の街々が焼き尽くされる様は、底知れぬ恐怖を覚えると同時に、その破壊神としてのゴジラの美しさに息を飲む。

 初見の際は、一番最初の上陸時のゴジラの姿を見て、「えぇっ!?」という戸惑いを隠せなかったが、二度三度と見るうちに、「よくぞここまでオリジナルなゴジラをやり切ったもんだ」と思えるようになった。『シン・ゴジラ』は、シリーズ初作のストーリーとテーマ性を現代に換骨奪胎した、真に王道のリブート作品であると同時に、『ゴジラ対ヘドラ』に匹敵するカルト性をも有していると言える。賛否両論の嵐が吹き荒れる中で、特にゴジラ好きでも庵野ファンでもない私のような新たなファン層が、今後もどんどん増え続けることだろう。

 おかしな言い方かもしれないが、本作は紛れもなく「王道のカルト大作」である。

 

(2016年8月21日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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