第13回『バッド・ルーテナント』(1992年)

その警部補、凶暴につき

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『バッド・ルーテナント/刑事とドラッグとキリスト』
(Bad Lieutenant)

1992年:アメリカ
監督:アベル・フェラーラ


 アベル・フェラーラ監督による現代デカダン映画の限界点。十代の頃からとにかく悪辣な暴力映画ばかり見ていたのだが、中でもベルギー産のフェイク・ドキュメンタリー映画『ありふれた事件』(1992年)と、本作『バッド・ルーテナント』は、私にとっては青春のツートップである。もちろんこの二本の他にも、古今東西、魅力的な暴力映画はたくさんあるが、こと主人公の最低ぶり、頽廃ぶり、救われなさに関して言えば、このツートップは未だに他を寄せ付けぬ凄みがある。

 「悪徳警部補」のタイトルが示す通り、本作はいわゆる悪徳(不良)刑事ものだ。主人公LT(ハーヴェイ・カイテル)はニューヨーク市警の警部補で、郊外の一戸建てに住む妻子持ち。映画の冒頭では、学校に遅刻しそうな息子二人を車で送る家庭のパパぶりを見せるが、息子たちを車から降ろすと、慣れた手つきでコカインを吸引する。この男、完全なるヤク中なのだ。飲む打つ買うは朝飯前。日々ドラッグとアルコールと野球賭博に身をやつし、崩壊寸前の頽廃生活を送っている。

 ある時は事件現場からネコババしたドラッグを知り合いの売人に横流しし、またある時は無免許運転の若い娘を捕まえ、フェラチオの顔真似をさせながらセンズリをかく。売人に「このままだと死ぬぞ」と注意されるほど常時ドラッグをキメまくり、運転中だろうがおかまいなしにアルコールを流し込む。意識は常に朦朧としながら目は異常に血走っている。

 本作は終始、この愚か過ぎる主人公の頽廃ぶりをこれでもかと見せ続けるのだが、終盤はなんと、この血生臭い頽廃的愚者の胸中に、宗教的な贖罪意識が混交し始めるという展開になる。

 ある日、教会で若い尼僧が貧民屈のチンピラ二人に強姦される事件が起こる。LTは犯された尼僧に「俺がチンピラどもに真の裁きを下してやる」と意気込むが、しかし尼僧は神の名の下に、自分を強姦したチンピラ二人を赦すと言う。尼僧のそのひたむきな信仰心に触れたLTの心にも、混濁した贖罪意識が芽生え始める。そして「俺は一体どうしたらいいんだ!?」と自責の念に駆られ泣き崩れるLTの前に、キリスト(の幻影?)が現れる。キリストは何も言わないが、その後、神の導きか全くの偶然か、尼僧を強姦したチンピラ二人を発見するLT。

 即刻二人を逮捕し、「何でテメェらみたいなクズ野郎を赦さなきゃならねぇんだ!?」と銃で脅しつけるが、そのまま警察署へ向かって自らの手柄にするかと思いきや、長距離バス乗り場で二人を降ろし、「さっさと行きやがれ、行かないとは言わせねぇ!!」と涙ながらに二人を逃がす。しかもドラッグを横流しして受け取った大金をチンピラ二人に餞別として渡しさえするのだ。散々汚い面ばかり見せられているだけに、このシーンでのLTの涙には妙にグッとくるものがある。

 そして最後は、積もりに積もった賭博の借金を返さない(どころか、ほとんど踏み倒そうとした)ことへの制裁として、LTがギャングに呆気なく撃ち殺されてジ・エンド。頽廃に頽廃を重ねた救いようのない愚者の殉教によって、この物語は幕を閉じる。

 乾いたリアリズムでひたすら生々しい頽廃を描く前半から、ドラッギンな神秘体験に突入し、そして最後はまた乾いたリアリズムであっさり終わる。本当に何度見ても美しい。まったく惚れぼれする映画だが、本作の魅力は何と言っても主演のハーヴェイ・カイテルだろう。この捨て身とも言える真に迫った演技は、アカデミー主演男優賞を100回進呈してもし足りない。ドラッグとアルコールにまみれた、ドロドロ、ズブズブの意識の中、全裸で両手を広げ、キリストよろしく磔の形でトンでしまっているシーンは、映画史上、最も強烈な美と信仰の宗教画的逆説である。

 ゲテモノ映画と言えば言えなくもないし、崇高な宗教映画だと言うには無理があるが、しかしながら本作が、映画というものが表現し得る人間の頽廃をその限界ギリギリまで追求し、それを逆説的な美しさにまで昇華してみせた傑作であることは間違いない。

 

(2011年5月7日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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