第128回『マジカル・ガール』

すれ違う愛の無間地獄

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『マジカル・ガール』
(Magical Girl)
2014年:スペイン
監督:カルロス・ベルムト



 君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる

          中島みゆき『空と君のあいだに』


 どこまでも愚かでどこまでも切ない、男と女の愛の無間地獄を描いたスペイン産の残酷ノワール。本作が劇場デビュー作だというベルムト監督だが、本作で既に、コーエン兄弟やポール・トーマス・アンダーソンを遥かに凌駕する現代ノワールの旗手が現れたと思わせる風格を見せつけている。

 白血病で余命幾許もない12歳の少女アリシア。彼女は日本のアニメ『魔法少女ユキコ』の大ファンだ。父ルイスは、そんな娘に『ユキコ』の特注品のドレスを買ってあげたいが、これがかなり高価な逸品で、おまけに彼は失業中の身である。どうあがいたって手が出ない。劇中での説明はないが、ルイスの妻はおそらく若くして亡くなったか、あるいは夫と子を置いて出て行ったのだろう。男手一つで育てた愛娘が余命幾許もないとなれば、父親だったら何だってしたくなるはずだ。

 ルイスはどうにかして金を工面しようと奔走するが、日本円にして90万という大金の当てなどつくはずもなく、とうとう宝石強盗を決意する。そして高級住宅街にある宝石店のショーウィンドーを今まさに叩き割ろうとしたとき、彼の頭上からベチャベチャと吐瀉物が降ってくる。突然のことに焦ったルイスは、足早にその場を立ち去ろうとするが、不意に美しい女性に呼び止められる。

 彼女の名はバルバラ。心に深い闇を持つ彼女は、夫から捨てられたショックで、睡眠薬自殺を図ろうとして失敗。アパートの二階の窓から吐いてしまったのだ。ルイスはちょうどその真下にいたというわけである。バルバラは粗相を詫び、ルイスに自分の部屋でシャワーを浴びるように勧める。そして、人生に打ちひしがれた男と女は、互いの心の隙間を埋めるように一夜を共にしてしまう。

 翌朝、ベッドで一人目を覚ますバルバラ。すでにルイスの姿はなく、なんと出て行ったはずの夫が家に戻っている。どうやらバルバラとの生活をもう一度やり直そうと考えてくれたようだ。しばらくして家の電話が鳴り、それに出た夫が「君にだ」と受話器をバルバラに渡す。相手はなんと、つい先夜に肉体関係を持ってしまったルイスだ。

 「さっき出たのは夫だろ? とりあえず電話会社の人間だと名乗っておいた」

 夫のすぐ目の前で、一夜限りの不倫相手からの電話を、ただ黙って聞くことしか出来ないバルバラ。どうやら夫には気付かれていないようだ。

 「実は今、どうしても金が必要なんだ。大金だが、すぐに用意してほしい。用意出来ないと言うなら、昨夜の俺たちの関係を夫にバラす」

 愛する娘のためとはいえ、とんでもない暴挙に出たルイス。そしてその相手が、心に深い闇を抱えた美女バルバラであったことから、予想を遥かに上回る残酷な物語が幕を開ける……。

 硬質なタッチのノワール感覚と、江戸川乱歩の変態的な暗黒世界、そして現代風にアップデートされたマジック・リアリズムが絶妙なバランスで絡み合い、その根っこでは、「君のためなら僕は悪にでもなる」という男たちの悲痛な愛の奴隷的精神が、ジクジクと精液臭い血を垂れ流す。

 序盤で、ルイスが道端に落ちているパズルの1ピースに気付いてそれを拾い上げ、一瞬だけ見てからすぐにポイと投げ捨てる場面があるが、これが実は人生の大事な大事な1ピースであったということが、後々のシーンで象徴的に描かれる。

 この小さな1ピースは、「良心」あるいは「倫理観」と呼べるかもしれないし、もっと簡単に「理性」と言ってもいいかもしれない。とにもかくにも、つい魔が差したというくらいで捨てるにはあまりに危険な人生の1ピースを、愚かで悲しい一人の愛の奴隷が無思慮に捨ててしまったがために、それを捨てた当人のみならず、幾人もの人間の人生を狂わせてゆくことになる。

 あらゆる要素が混交した作品ではあるが、全体的に無駄なくスッキリした作りで、ゴチャゴチャした印象は一切なく、かなり抑制を利かせた上での愛の無間地獄が展開される。あまり多くを語らぬ作品だが、ちゃんと起承転結はあるし、映画的なオチもある。伏線回収もきっちりしていて、この手の映画にありがちな投げっ放し感や置いてきぼり感はほぼ皆無と言っていいだろう。

 登場人物たちの具体的な背景や過去の説明、あるいは彼らにどんな残酷なことが起こったかという直接的な暴力描写・グロ描写は、その尽くがバッサリと省略され、全ては「余白」として観客側の想像に委ねられるが、しかしそのあまりに露骨なヒント(間接表現)の見せ方によって、むしろ直接的な表現以上の具体性や暴力性をまざまざと見せつける。

 「余白」がこれほどまでに恐ろしく思える(そして技術面でも実に効果的に活かされている)映画もめずらしいのではないか。この「余白」の向こうにあるのは、登場人物たちの内なる「闇」であり、さらにそこには、我々自身(観客一人ひとり)の内なる「闇」がダイレクトに反映される(つまり、登場人物たちの「闇」が、そのまま我々自身の「闇」の映し鏡になっている)。

 本作は大まかに「男と女の犯罪心理劇」と言ってよいと思うが、主人公たちは皆(幼いアリシアを除いて)、とにかく愛情表現が下手過ぎる。ある種のコミュニケーション不全とも言えるだろう。そしてそうであるがゆえに、彼らは(どこか早合点気味な)自らの考えのみで、ほとんど躊躇なく地獄へと踏み込んでいってしまうのではなかろうか。

 愛娘アリシアのために奔走する父ルイスは、そのアリシアに対する愛情こそ本物には違いないが、しかし友人の女性から「お金や物じゃなくて、ただアリシアのそばを離れないで、なるべく一緒にいてあげるべきよ」と言われても、彼女のこの真っ当な意見にはほとんど耳を貸さずに、高級なドレスを娘に買い与えることにのみ心血を注ぎ続ける。

 ルイスとアリシアの間での愛のすれ違いは、特にラジオのくだりにもよく表れている。ルイスはアリシアの望みを何でも叶えてあげたいと必死になって駆けずり回るが、しかしアリシアの本当の心の声は、コミュニケーション不全なルイスには届かない。

 普段はおとなしい感じのアリシアが、不意に「タバコを吸ってみたい」とか「お酒を飲んでみたい」とか(まるで父を試すかのような)わがままを言い出すのも、「もっと自分をかまってほしい」、何なら「心配して叱ってほしい」というような感情が根本にあるのではなかろうか。

 しかし当のルイスは、ただ言われるままに娘のわがままを受け入れてしまう。つまり彼には「モノを与える」ということ以外の愛情表現が出来ないのだ。愛してはいるが、まともなコミュニケーションを廃した彼の愛は、いわば一方的な自己満足でしかなく、それでは相手の本当の気持ちは分からない。だから、娘以外の人間がいくら不幸になろうとも構わない、というような恐ろしい行動に、思いのほか躊躇なく出ることが出来てしまうのではなかろうか。

 バルバラや彼女の夫、そして彼女と訳ありな過去を持つ初老の男ダミアンも、ルイスと同じくずっと無表情で(この映画には笑顔がほとんど出てこない)、やはり極端なコミュニケーション不全であると言えるだろう。皆、人間的な愛情は確かに持っているのに、それを表現する方向性が尽く間違っているのだ。だから、互いの愛はすれ違うばかりで、事態はどんどん悪化する。

 この物語は最終的に、かなり陰惨な領域にまで踏み込んでゆくが、ここに関わる主人公たちを見ていると、どこかで引き返すことは出来たはずだ、とそう思わずにはいられない。ルイスにもバルバラにも、本格的な地獄に踏み込む一歩手前で他者からの意見や忠告を聞く機会がちゃんとあるのだが、結局は二人とも他者の意見には耳を貸さずに、手前勝手に地獄へ向かって突き進んでしまう。

 ルイスもバルバラも恐いくらいに躊躇がない。いや、いつも一旦は躊躇するものの、そこにもうワンクッション挟み込む(人の意見や忠告にちゃんと耳を傾ける)ということが全く出来ないのだ(終盤のダミアンの暴走も全く同じ)。

 本作は愛の物語であると同時に、人間のコミュニケーション不全・不和が極端にエスカレートすることで、予想を遥かに超える最悪の結果を招いてしまう、という恐怖を描いた作品でもある。もっと意地悪な言い方をすれば、愛のエゴイズムが他者を容赦なく蹂躙する様を生々しく見せつける、ドス黒い冷酷さを持った悲喜劇とも言える。

 ただ、オープニングへと円環するあのラストシーンを見ると、登場人物たちのあらゆる愚行や人生の致命的な選択ミスが、全て必然的・運命的なもののようにも思えてしまう。

 まるで最初からこうなることが分かっていたとでもいうように、いとも容易に人生の闇の奥底へと堕ちてゆく主人公たち。彼らの愚行は何一つ同情出来るものではないが、一方で、そんな不器用過ぎる彼らの愛情の純粋さに、善悪を超越した美しさを感じてしまうのもまた事実だ。

 映画は道徳の教科書ではない。時には堕ちゆく人間の愚行でさえ美しく見えることがある、というのも映画表現における一つの立派な視点であり、同時に「自分とは何か」「人間とは何か」を考える上での大きなヒントにもなり得る。本作においては、目を背けたくなるような残酷な所業の向こうに、「人間とは何か」の大きなヒントが見え隠れしていると言えるかもしれない。

 この映画の中で、不器用な大人たちの愚行を真正面からじっと見つめているのは、主人公たちの中で最も幼いアリシアではなかろうか。子供というものは案外、大人たちのことを冷静に見ているものだし、大人に対して思った以上に気を遣って生きているものだ。

 

(2016年3月30日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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