第127回『ショーガール』

くたばれベガス! ど根性一代!!

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『ショーガール』
(Showgirls)
1995年:アメリカ
監督:ポール・ヴァーホーヴェン


 人は皆、複雑な人間社会の中で、相互的な踏んだり蹴ったりを繰り返しながら成長してゆく。意図的であろうがなかろうが、人は人を傷つけ、また人から傷つけられて生きていくものだ。時には優しさそのものが人を傷つけてしまうことさえある。そう考えれば、どんな人生を送るにせよ、自分ばかりが常に善人あるいは被害者という人生はおそらくないだろうし、その逆もまた然りだ。時と場合と相手によって、自分の立場なんてものはいくらだって変わってしまう。

 ポール・ヴァーホーヴェン監督の作品は、そういった人間社会の生々しさに肉迫した人生というものを、常に徹底して描いているように思う。優しさや誠実さや純粋さばかりでなく、愚かさや醜さや残酷さといった要素までをも全てひっくるめた、その剥き出しの姿こそが本当の人間の姿なのだ、というメッセージが、彼の作品からはひしひしと伝わってくる。それはちょうど今村昌平監督の描く、市井底辺に生きる人間たちの泥臭いバイタリティーに通ずるものがある。

 ヴァーホーヴェン作品や今村作品における人間たちの描かれ方は、時に下品下劣であるかもしれぬが、しかし上から目線の気取った嫌味などは全く感じさせない。どこまでも骨太で、どこまでも正直で、どこまでも憎めない人間たちの姿が、愚直なまでにストレートに描かれている。つまりは、いくら外見や肩書を装ってみても、根っこの部分は俗物でしかない……という我々自身の現実の姿が、そっくりそのまま、まさに剥き出しの状態で描かれているのだ。

 本作『ショーガール』もまた、そんな剥き出しの泥臭いバイタリティーに満ちた一本。

 トップダンサーとしての成功を夢見て、ヒッチハイクでラスベガスへとやってきた流れ者のダンサー、ノエミ(エリザベス・バークレー)は、自分を乗せてきてくれた男にあっさり騙され、手荷物の一切合財をスーツケースごと盗まれてしまう。「夢の街」ラスベガスへ来た初日から、いきなり無一物になってしまったのだ。「夢の街」のど真ん中で、今夜の寝床さえままならないという最悪の状況に陥り、もはや自暴自棄になるしかないノエミ。ところが捨てる神あれば拾う神ありで、モリー(ジーナ・ラヴェラ)という同年輩の女性が彼女を救ってくれ、居候までさせてくれる。

 こうして、ラスベガスでの良き友も見つけ、ノエミはどうにかこうにか、場末のクラブでのダンサーの仕事に有り付く。しかしそこは、彼女が夢見る華やかなショービジネスの世界とは程遠い、いわゆる「低俗」な店だ。これでは彼女が目指すトップダンサーは夢のまた夢。「酔った客に尻を触らせるためにダンサーになったんじゃない!!」……そんな焦燥の日々を送るノエミに、ひょんなことからチャンスが舞い込み、とうとう「一流」ホテルのショーダンサーとしてのデビューが決まる。

 「これこそ私が夢見た舞台! 絶対に頂点を極めてやる!!」

 ノエミは水を得た魚のごとく全身全霊で踊りまくるが、しかしこの世界もまた、ショービジネスという名の生き地獄でしかなかった。一見華やかでありながら、その実はカネと欲とが渦巻く汚れ切った世界なのだ。この街でトップダンサーとして登り詰めるには、ダンスの実力だけが物を言うわけではない。「どんな手を使ってでも」という図太さがなければトップにはなれない。

 現在この街のショービジネス界の頂点には、まさにトップダンサーと呼ぶに相応しいタフネスを持ったクリスタル(ジーナ・ガーション)が君臨している。コカインの吸い方すら板に付いている彼女の立ち居振る舞いを見れば、どれほどの汚れた地獄を、その肉体一つでタフに生き抜いてきたかが分かる。彼女に限らず、この街でトップを目指す者は皆、己の欲望のために他者を蹴落とし、裏切り、少しでも油断すれば今度は自分が足をすくわれる……という状況下でしぶとく生きているのだ。

 富と権力を持った男たちがこの街の「システム」を支配し、女たちはそれを利用しながらしたたかに立ち回る。まさに生き馬の目を抜くこの「夢の街」のショービジネスの世界で、いつしかノエミもそのドス黒い欲望の渦に飲み込まれてゆく。

 ノエミとて、そもそも純粋無垢な「夢見る少女」ではない。自分ではいつも「娼婦ではない」と言い張っているが、周りの人間は皆口をそろえて彼女のことを「(根っからの)娼婦だ」と言う。彼女が実際に春をひさいでいるかどうかを言っているのではない。そのような娼婦的な気質が、肉体的にも精神的にも染みついているということだ(そしてそれが彼女の踊りにも色濃く反映されている)。彼女自身も、おそらくそのことに薄々気付いてはいるが、しかしそうではない「一流」の成功者として世に羽ばたきたい、と強くそう思っている。

 本作は、そんな彼女がたどる、いわばショービジネス界の地獄巡りだ。

 いくら「一流」のショービジネス界とはいえ、結局はセックスとカネと権力志向に首までどっぷりと漬かった人間ばかりが集まる、低俗な世界でしかないのである。むしろ、「自分たちは低俗ではない」というセレブ面で乙に澄ましている人間が多い分、ノエミがもともと属していた「三流」の世界より遥かにタチが悪いと言える。少なくとも「三流」の人間たちは、自分たちが下品であることを隠そうともしないだけ、「一流」を気取った人間たちに比べて、よほど正直なのだ。

 ノエミが「一流」ダンサーとしてのデビューを飾った後、彼女がもといた「三流」クラブの店長(ロバート・ダヴィ)と先輩ダンサー(というかスタンダップ・コメディアン)のオバチャンが彼女の様子を見にやってくる。ノエミはこの店長の口の悪さに散々イヤな思いをさせられたが、この時ばかりは店長とオバチャンが「お前がいなくなって寂しいよ」と本気で寂しそうに言う姿に妙にしんみりさせられる。確かに下品で粗雑で憎たらしい「三流」の人たちであったが、それは下品で粗雑で憎たらしい人間性を隠そうとしていなかったからだ。ノエミはおそらくこのとき初めて、この「三流」の人間たちの正直さを肌で感じたのではなかろうか。

 一方、華やかに着飾った「一流」の世界の人間たちは、常にノエミの耳元で甘い言葉をささやき、表面的には彼女にイイ思いをさせるふりをしておきながら、その実は、ダンサーなんぞ自分たちの利益のための使い捨ての道具くらいにしか思っていないのである。そしてノエミ自身も、ついには自分の栄光を手に入れるために他者を犠牲にしてしまう。

 実に卑劣な手段によって、とうとうトップダンサーの地位を手に入れたノエミ。

 しかし魂を売って手に入れた栄光はいつだって短命だ。ノエミの場合もまたそのご多分に漏れず、彼女が一夜にして手に入れた栄光は、一夜にして泡となって消え去り、その栄光がそもそも虚飾のハリボテでしかなかったことに気付かされる。そしてそうなって初めて、ノエミは「一流」を装っているだけの薄っぺらなショービジネス界に心底嫌気が差し、ついには中指を突き立てる。

 思えば彼女自身、自分の辛い過去を全て偽って生きてきた(実はノエミという名も本名ではない)。ラスベガスでトップダンサーとしての成功を手に入れれば、それで全てがやり直せると思っていた。だが今や、そのラスベガスもまた自分にとっての辛い過去になろうとしている。

 しかしラスベガスでのこの地獄巡りは、間違いなく彼女を成長させた。まさに相互的な踏んだり蹴ったりを繰り返してきた日々が、偽りの「一流」であろうとすることの愚かしさを、彼女にハッキリと自覚させたのだ。

 自身の成功のことだけを考えて生きてきたノエミは、そんな自分の愚かな日々に、きっちりと落とし前をつける。「一流」面をしたクズ男の非道な強姦被害に遭った友人のために、ノエミは体を張って復讐を決行し(このことで彼女は必然的にラスベガスにはいられなくなる)、また、自分の成功のために傷つけてしまった相手に心から謝罪し、そして和解する。

 トップダンサーを夢見て単身ラスベガスへとやって来て、一度はその夢をつかみながらも、結局はそれが幻であったことを知ったノエミ。彼女はこの街へやって来たときと同じように、ヒッチハイクで街を出て行くことにする。そしてそんな彼女を乗せたのは、皮肉にも、彼女をこの街まで乗せて来て、そのまま彼女のスーツケースを盗んでトンズラしたあの男だ。男はノエミに気付き、彼女を上手いこと言いくるめようとする。がしかし、彼女はもうかつてのヤワで世間知らずな女ではない。

 ノエミは運転中の男にナイフを突き付ける。

 「あたしのスーツケースを今すぐ返しな!」

 おそらく彼女は、これまで以上に図太く、そして本当の意味で自分らしく生きていくだろう。彼女の長い人生の旅路は、ラスベガスなんてちっぽけな街で終わりはしないのだ。彼女の旅の本当の終着点は、まだまだずっと先にある。

 

(2016年3月10日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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