第122回『実録 阿部定』

骨まで愛して

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『実録 阿部定』
1975年:日本
監督:田中 登


 「付き合ってやらぁ、おめぇの地獄に……」

 この台詞が本作の全てを物語っている。ここで言う「地獄」とは、破滅的ではあるが純粋な苦痛とは少し違う。もう後には引き返せないところまで堕ちてしまった男と女が死ぬまでまぐわい続けるしかない、という状況を言っているのだ。

 そして「おめぇの地獄」とはまさに「阿部定が支配する地獄」であり、男はその「地獄」の中で、ただただ女の愛欲の重さに無抵抗に絞め殺されるしかないのである。

 私は阿部定事件の詳細をよく知らないので、実際の事件と本作との史実的な面での差異の程は分からないが、愛する男を絞め殺し、その男根を切り取って逃走中に肌身離さず持ち歩いたというこの事件を、過度な異常犯罪として描くのではなく、男女の痴情話における普遍的な女の心情(愛した男を本妻の元へは絶対に帰したくないというそれ)の延長線上に起こった事件として、へんに美化することもへんに蔑視することもせず、実に硬派なタッチで、事の顛末を淡々と描いている。

 あくまでポルノ枠の劇映画ではあるが、タイトルにある「実録」という響きは、本作にはぴたりと当てはまっているように思う。

 料理屋の主人・吉蔵(江角英明)は、不倫関係にある女中・定(宮下順子)と共に店を飛び出し、東京の片隅にある粗末な宿に逗留する。二人はそこで、外の世界を完全に遮断するかのように、朝も昼も夜も、ひたすら酒を飲んでは情交に耽る。酒を飲み、飯を食い、ただひたすらにまぐわい続ける。宿の女中も呆れるほどに、来る日も来る日も互いの体を貪り合う二人。

 女中が部屋の空気を入れ替えようと雨戸を開けると、男の匂いが逃げるからやめろと定が言う。そして布団にも愛する男の匂いが染み付いているから、新しいものとは交換するなと念を押す。定にとって男を愛するということは、その男の全てを(肉体も精神も匂いも)自分の元に留めておくことを意味する。自分以外の人間には絶対に触らせたくないし、自分以外の人間には絶対に所有させたくないのだ。部屋代を稼ぐために、定が他の男に抱かれて帰ってくると、吉蔵は嫉妬して定をきつく責め立てるが、それでも結局は完全に定の方が吉蔵を支配している。

 吉蔵は分かりやすいくらいにスケベで気の小さい男だ。最初に手を出したのは吉蔵の方だが、冒頭のシーンで「おめぇにかかっちゃあ、俺は今にガイコツになっちまう」と言っていることからも、おそらく今回の駆け落ちの主導権も、はなから定が握っているのではなかろうか。

 二人の情交がエスカレートし、首絞めプレイにまで発展すると、定が誤って吉蔵を殺しかけてしまう。これが原因で少しずつ弱っていく吉蔵。肉体が弱ると、元より気の小さい吉蔵はさらに弱気になってゆく。そしてとうとう「家に帰る」と言い出す吉蔵。もちろん定は絶対にそんなことはさせたくない。どうあっても本妻の元へ彼を帰させてなるものか、という情念が女を凶行に走らせる。

 定は寝静まった吉蔵の首を腰紐できつくきつく締め上げる。

 「堪忍して!」と泣きながらも、決してその手を緩めようとはしない。本作の描き方では、吉蔵の方も、自分が殺されることをある程度は受け入れている節がある(実際の事件がどうだったかは分からないが)。呆気なく事切れる吉蔵。定はどこかすっきりしたような、「やるべきことをやった」というような爽やかな顔で吉蔵の死に顔を眺め、甲斐がいしく愛撫する。

 そして彼女の脳裏によぎるのは、吉蔵の本妻の顔。

 「吉さんを絶対にあの女の元へは帰したくない」

 定は、まさに吉蔵の象徴である男根を切り取り、自分が肌身離さず持ち歩くことで、吉蔵を永遠にその妻から奪い去ったのだ。たとえ死体は妻の元へ帰ろうとも、吉蔵の魂は永遠に定の子宮にへばりついている、とでも言うように。

 事件が事件だけに、どうしたって本作は色物扱いされてしまいそうだが、実際に見てみると驚くほどに硬派な作品だ。もちろんポルノ枠の作品なので、あくまで濡れ場がメインではあるが、しかし全体的なタッチはどこまでも淡々としているし、所々でコメディー的な要素すら巧みに織り込んでいる。いたずらに猟奇性を煽って描いてもいない。むしろ妻子ある男を好きになってしまった経験がある女性には、共感出来る部分も少なくないんじゃなかろうか。

 私は基本的に犯罪者を美化するようなことは嫌いだが、しかし映画というものは小学生の道徳の教科書ではないのである。「お年寄りには席を譲りましょう」という当たり前のことを教えるのが映画の本分ではないのだ。ともすれば犯罪者の領域から「人間とは何か」のヒントを導き出せるかもしれない、あるいは何か普遍的なドラマ性をそこに見出せるかもしれない、といったような可能性を常に探究していくことが、表現あるいは創作という領域における本分ではないかと思う。

 当然ながら、本作は口当たりのよいポップな恋愛ものではないが、そうかといって、ただ単に「男根を切り取った狂女」の話というわけでもない。愛の対象に強烈にのめり込み、己の信ずる道をまっすぐに突き進もうとするとき、あまりにも盲目的になり過ぎて、ついに自己と社会とのバランスを取れなくなれば、誰しも犯罪的な領域へと案外簡単に引きずり込まれてしまうんじゃないか、というようなことを考えさせられる重厚な恋愛映画だ。

 逃走中の定が安宿の狭く薄暗い部屋で、雨の降る夜に一人寂しく愛した男の切り取った男根を自分の体にあてがい愛撫するシーンは、狂っているどころか、どこか物悲しい女の美しささえ感じる。

 実際の事件の詳細は私には分からないし、そもそも第三者が目撃したこと以外は、全ての真相は定自身にしか分からないわけだが(精神面においては特に)、ただ、この一種異様な事件から、普遍的な人間ドラマを導きつつ描かれた本作が、紛れもない恋愛映画の傑作であることは間違いない。

 

(2015年10月13日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
性別
男
生年月日
1984年5月2日
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