第117回『ノー・マンズ・ランド』

戦争という名の終わりなき悲喜劇

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『ノー・マンズ・ランド』
(No Man's Land)
2001年:フランス、イタリア、ベルギー、イギリス、スロヴェニア
監督:ダニス・タノヴィッチ



  戦争になったら兵隊全員ズボンを下ろして戦ってみなよ。
  どんなに下らないことか分かるだろう。

                  ジョン・レノン



 90年代初頭、独立宣言や民族紛争が相次いでいた多民族国家ユーゴスラビアからボスニア・ヘルツェゴビナが独立を宣言し、この動きに対抗したセルビア人勢力とボスニア勢力が衝突したことで起こったボスニア紛争。本作はこの紛争を舞台に描かれた、乾いたタッチの戦争悲喜劇だ。喜劇といってもゲラゲラ笑えるようなコメディータッチでは全くないが、全編に渡って、どこまでも「下らないもの」としての戦争が皮肉たっぷりに描かれている。

 また、本作はいわゆる反戦映画には違いないが、しかし戦争における諸悪の根源を追究するものではない(つまり、誰がいちばんの加害者かを告発するものでもなければ、逆に誰がいちばんの被害者かを訴えるものでもない)。最前線にいる両陣営の兵士たちをはじめ、結局は傍観者にしかなれない国連軍や、ジャーナリズムよりも刺激的なスクープを求める自分本位なマスコミたちも含めた、戦争という状況下で右往左往することしか出来ない人間たちの、その滑稽さと悲惨さをドキュメンタリー風の乾いたタッチで淡々と映し出してゆく。

 濃霧のために道に迷ったボスニア軍の兵士数名が、気付かないうちに敵陣に入り込んでしまい、それに気付いたセルビア軍の攻撃によってほぼ全滅してしまう。銃弾砲弾の雨あられの中から命辛々逃げ延びたボスニア兵のチキは、両陣営の中間地点にある無人地帯(ノー・マンズ・ランド)の塹壕に飛び込む。肩を撃たれ負傷し、仲間もいないこの状況では、どうにもこうにも動きようがない。しばし途方に暮れるチキ。一方、セルビア軍陣営では、まだ右も左も分からぬ新米兵のニノが、ベテランの老兵士と二人で無人地帯への偵察を命ぜられる。ベテラン兵士の後に付いて、恐る恐る無人地帯の塹壕にたどり着くと、どうやら敵兵は全滅したらしい。

 と、ここでベテラン兵士がボスニア兵の死体を一体引きずってくると、その死体の下に地雷を仕掛ける。地雷の存在を知らずに死体を動かせば途端にドン。いわゆるブービー・トラップだ。ベテラン兵が言うには、周囲数十メートルにいる人間を一瞬で皆殺しに出来るほどの強力な地雷らしい。敵兵への悪意に満ちた置き土産というわけである。すると突然、掘っ立て小屋の中に身を潜めていたチキが二人に襲い掛かる。チキの銃撃によってベテラン兵は死亡。新兵のニノは腹部を負傷する。

 互いに負傷しているチキとニノの睨み合いが続き、挙句は「セルビアとボスニアのどちらが先にこの戦争を始めたか(つまりは、どちらが先に喧嘩を売ったか)」という水掛け論を始める始末……両者とも政治方面の学はなさそうで、ほとんど子供じみた言い争いにしかならない。彼らはおそらく、自分たちが一体何のために戦っているのかさえよく分かっていないのだ。

 そうこうするうちに、なんと死んだと思っていたボスニア兵が地雷の上で目を覚ます。彼はただ気絶していただけだったのだ。二人はあわててこのボスニア兵に事の状況を説明し、そのまま動かないよう説得する。彼が少しでも体を動かせば、今ここにいる三人は一瞬であの世行きだ。チキとニノはこの最悪の状況をどうにか打開しようと試みるが……。

 笑うに笑えぬ残酷な珍事件はこの後、国連軍やマスコミを巻き込んでのドタバタ騒動に発展してゆき、戦争という状況下で、どこまでも滑稽で無残で不条理な重喜劇が展開される。

 敵の猛攻撃から奇跡的に助かって気絶だけで済んだというのに、いざ目覚めてみたら地雷の上……なんと残酷な悲喜劇であろうか。周りの人間たちも、この「悪い冗談」を前に為す術もない。戦場では毎日のように、何百何千という命がいとも容易く奪い去られてゆくというのに、たった一人の命を助けるには手も足も出ないのだ。

 地雷の上に寝かされた兵士は、そのまま戦争の残酷さと滑稽さ、そしてそれを前にした時の人間の無力さを具現化した存在と言えるが、彼の周りで為す術なく右往左往することしか出来ない人々もまた、「無力さ」という点では地雷の上に寝かされた状態と少しも変わらない。

 本作において戦争はどこまでも無意味な殺し合いとして描かれているが、同時に、その無意味な殺し合いが普遍的なヒューマニズムをいとも容易く蹂躙してしまう、という現実の恐ろしさもまた徹底したリアリズムで描かれている。だから、コメディーの要素を多分に含んでいながらも、本作は「笑えない」のだ(もちろん、はなから笑わせるように意図しては作られていない)。

 人間の普遍的な優しさや良心的な部分もちゃんと描かれてはいるが、その優しい人間たちがひとたび銃を手にすれば、反射的に人を殺すことも出来てしまう、あるいは、この殺し合いを外側から半ば無関心、半ば興味本位だけで傍観することも出来てしまう……という現実を見る者に突きつける。

 私は直接の戦争経験がないので、ほとんどマスコミを通して見せられる「遠い空の下の出来事」としての戦争しか知らない。だからこそ、本作で描かれる傍観者という立ち位置に対する皮肉はグサリと胸に突き刺さる。

 本作におけるこの辛辣な皮肉は、先述したように諸悪の根源を追究するためのものではなく、戦争に携わる(もちろん傍観者も含まれる)全ての人間に向けられている。特定の加害者を断罪するでもなく、また特定の被害者をことさら憐れむのでもない。戦争というどこまでも「下らないもの」それ自体と、そしてその「下らないもの」に翻弄されるばかりの人間たち全てを、乾いたタッチで徹底的に皮肉っているのだ。

 生半可な人間ドラマで見る者の感情を煽ることはせず、どこまでもドライな客観性で戦争というものの残酷さと滑稽さを浮き彫りにしてゆくスタイルは、実際にボスニア側のカメラマンとしてボスニア紛争に参加したという監督自身の体験が大きく反映されているのだろう。

 生ぬるいヒューマニズムや非現実的なロマンチシズムでは語り切れない戦争の現実を、皮肉というフィルターを通して再構築した傑作である。

 

(2015年1月16日)

プロフィール

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わがままコブラ
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1984年5月2日
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