第109回『グッドフェローズ』

本当は恐いジョー・ペシ

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『グッドフェローズ』
(Goodfellas)
1990年:アメリカ
監督:マーティン・スコセッシ


 日頃から散々、暴力映画好きを声高に公言しておきながら、今の今まで本作を完全にスルーしていた。正直、かったるい作品なんじゃないかなぁ……とずっと侮っていたのだが、これは見当違いも甚だしかった。本作は東映実録路線直系、ウルトラ・バイオレンス全開の大傑作だ。

 まず意外だったのは、主人公兼語り部がデ・ニーロではなくレイ・リオッタであったこと。今回、デ・ニーロは割と抑えた演技で脇に徹している(現行DVDのジャケは紛らわしい)。普段は脇役(特に小物の悪役)ばかりやらされているレイ・リオッタが、ここまでドドンとフィーチャーされているという点だけでも、けっこう見どころではある。リオッタが主演でも充分イケる俳優であることが、本作においてハッキリと証明されている。

 少年時代からギャングスターの世界に憧れていた主人公ヘンリー(レイ・リオッタ)が、まずはチンピラの下働きからコツコツと始め、徐々にその筋の先輩たちにも認められてゆき、同期のトミー(ジョー・ペシ)、そして大先輩のジミー(ロバート・デ・ニーロ)と三人で手を組む頃には、もはや地元じゃ負け知らずのイケイケなギャングに。

 そしてそこから血まみれカネまみれのヤクザ街道を駆け登ってゆくが、家庭を持ち愛人を囲って生活基盤も安定し始めた頃、余分な欲を出したヘンリーは、上の人間からきつく御法度だと言い含められてきたドラッグ・ビジネスに手を染めてしまう。

 このあたりから彼の人生の歯車が狂い始め、固い友情で結ばれていたはずの相棒たちとの間にも亀裂が生じてしまう。そしてミイラ取りがミイラになるがごとく、自らもドラッグに溺れ始め、同時に家庭生活も崩壊。挙句はFBIにも目を付けられ、上の人間にはドラッグ・ビジネスのことがバレてしまう。そしてこの後は、まさに絵に描いたような転落人生が彼を待ち受けている……。

 実話を元にしているということもあってか、『スカーフェイス』(1983年)よりはもう少し現実的で手堅い作りだが、ヤクザ街道を急上昇で登り詰めていった主人公が、ちょっとした下心から調子こいてヘタ打って一気に急降下……という実に分かりやすいジェットコースター転落劇だ。陰惨な暴力と裏切りが続くシビアな内容だが、演出自体にドンヨリした重さはなくカラッとしている。

 主人公ヘンリーの栄光と挫折の半生(時代背景で言うと1950年代半ば~80年代初頭まで)を、彼自身の饒舌なモノローグ(一部ヘンリーの妻のモノローグも割り込んでくるが、これは正直言って蛇足かなと思う)と、その時代時代に合わせたスコセッシ選曲のロック&ポップスを隙間なく敷き詰めながら、ダレ場なしのハイテンションで一気呵成に突っ走る。

 血生臭いヤクザ仕事のシーンがハードでえげつないのはもちろんだが、本作が面白いのは、主人公の家庭内(主に夫婦間の)のシーンもヤクザ仕事並みにハードに描かれているところ。賭け事や愛人のためになかなか家に帰らないヘンリーに対して、妻の堪忍袋の緒が切れ、愛人宅に子供を連れたまま押し掛けたり、寝ている夫に馬乗りになって銃を突き付けたりするくだりは、ある意味人殺しのシーンよりも強烈だ(ヤクザ者の妻になる側の苦労も込みで描かれたギャング映画なのだ)。

 そういう点も含め、本作はどちらかと言えば血生臭い悲喜劇だと言える。基本的にはシリアスに描かれているが、しかしながら、えげつない暴力シーンにさえどこか喜劇的なものを感じさせる(そもそも、エロと暴力と他人の不幸は、その内容が苛烈であればあるほど、作り手の意図に関わらず、ブラックな笑いに転化されやすい性質を持っている)。

 ヘンリーのモノローグは常に皮肉っぽくて自嘲的だし、作品全体の編集もかなりアップテンポで、特にヘンリーがドラッグでラリラリになっている終盤は、スピーディーかつハイテンションな編集でもって、彼のそのブッ飛んだ精神状態をドタバタっぽく表現しているので、スコセッシ自身、ある種の(完全なおちゃらけにはならない程度の)コメディー・タッチを狙ったのかもしれない。

 俳優陣ではやはり、主演のレイ・リオッタがかなりイイ味を出しており、(役柄自体も)ベテランであるデ・ニーロは、先述したとおり今回は抑えめな燻し銀演技で、主演のリオッタを巧みにサポートしている。そんな中、まさかまさかのジョー・ペシが、主演を食う勢いでスカーフェイスしちゃっているのには驚いた。ペシが演じるトミーという男は、完全にトニー・モンタナそのものだ。

 小柄なトミーが、幼い頃からそのことにかなりのコンプレックスを持って生きてきたことは想像に難くない。そしてそれが「どんな相手であっても、一ミリでも馬鹿にされたら終わりだ」という強迫観念を彼の中に生み出し、ほんの些細なジョークでさえ、その言葉尻に自分の気に障る要素を見つければ、コンマ5秒でブチギレる。まさに「瞬間湯沸かし器」とはこのことだ。そんな「傷つく前にブチギレる」ことを常套手段とするナイーブな瞬間湯沸かし器が、銃を片手に闊歩するヤクザ稼業に就いたのだ。これはもう「災い」そのものが街を歩いているようなものである。

 デ・ニーロ演じるジミーも、「邪魔者は早いうちに消しておく」という信条を持った、敵にしたくない男として描かれているが、それでも主人公ヘンリーと同じく、何事にも基本的には慎重に動くことを心掛けている。ところがトミーの場合はまるで違う。どんなにつまらないこと、たとえそれがちょっとした冗談であっても、自分を馬鹿にした発言だと彼が認識すれば、それを言い放った相手は数秒後には確実にあの世行きなのだ。とにもかくにもキレたら最後。すぐ撃つ、すぐ刺す、すぐ殺す。

 「お前それ、俺のこと言ってんのか? 馬鹿にしてんのかテメェ!?」

 「いや、ちょっとした冗談だぜ兄弟、そうカッカすんなって……」

 「うるせぇ、このクソったれ!! テメェなんぞこれでも食らえ!!」

 ズドン、ズドン、ズドン!!

 こんな感じで、相手がトーシロだろうがマフィアの幹部だろうが、おかまいなしにブチ殺してしまうのである。「本当は恐いデ・ニーロ」であれば、すでに『アンタッチャブル』(1987年)や『ケープ・フィアー』(1991年)といった作品で何度も見ているので、さほど意外性や驚きは感じないのだが、しかしジョー・ペシとなると、私の中では実は『ホーム・アローン』シリーズ(1991~1992年)くらいのコミカルなイメージしかなく、「本当は恐いジョー・ペシ」に関しては今回が全くの初体験なのだ。母親に「後でちゃんと返すから」と言って実家の台所の包丁を借り、その包丁でもって、車のトランクに投げ込んであったほとんど虫の息の血まみれマフィアを、何のためらいもなくブスブスと刺し殺す……こんなシーンが似合う男はジョー・ペシしかいない。

 

(2014年8月25日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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