第105回『危険な愛』(1973年)

吐き気がするほどロマンチックだぜ!!

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『危険な愛』
(Turks Fruit)
1973年:オランダ
監督:ポール・ヴァーホーヴェン


 ポール・ヴァーホーヴェン監督がまだハリウッドに進出する前の、本国オランダでの監督第2作目。若き異才の初期衝動大爆発といった感じで、この時点で既に後年に見られるヴァーホーヴェン節が全開である。1973年という製作年から考えても、本作はアメリカン・ニューシネマへのヴァーホーヴェンなりの回答という見方も出来るように思える。

 主演はルトガー・ハウアー。彼が演じる主人公エリックは今やすっかり堕落した彫刻アーティストだ。言葉の綾ではなく本当に蛆がわいた廃墟のような部屋で、元恋人とそれを奪った恋敵を銃で撃ち殺したり絞め殺したりする妄想にボンヤリ耽っている。街へ出れば手当たり次第に女を口説き、部屋へ連れ込んではその場限りの惰性的なセックスに身をやつす。

 部屋に連れ帰った女の乳房が少しばかり垂れているのを見てとると、シャツを脱がせずに「下だけで充分だ!!」と言い放ったり、またその女の陰毛をハサミでチョキンと切り取ったかと思うと、それを自分の鼻の下にあてがってヒゲダンスを披露したり、また別の一夜限りの女に「何かあなたとの思い出が欲しい」とせがまれた時は、すかさず自分のイチモツを紙に描き写し、そこに汚い字で署名したものを「これを俺だと思って取っとけ!!」と言って差し出したりする。

 監督2作目にしてこの堂々たる下劣さの波状攻撃である。苛烈過激な性描写・暴力描写を全てギャグ的に表現するスタイルは、この頃から既に全開だったのだ。ところで、エリックがこんな頽廃的な毎日を送るようになったのには理由があった。それは2年前に彼が出会った女、オルガとの純愛の果ての残酷な経験が、彼をここまで堕落させてしまったのだ。話は2年前に遡り、エリックとオルガの出会いと別れ、そしてその後、病魔に侵されたオルガの悲惨な結末までが描かれる。

 野心バリバリの彫刻アーティストとしてイケイケだったエリックと、奔放なじゃじゃ馬で若々しいフレッシュな魅力に満ち溢れたオルガが出会い、二人は一瞬にして恋に落ちる(「好きだ」と言うよりも先にセックスで結ばれるあたりが、やはりヴァーホーヴェン的だ)。まさに「世界は二人のために」な恐いものなしの突き抜けた恋模様が展開されるが、「世間一般」あるいは「家族」その他からのプレッシャーなどもあって、次第に2人の間にも溝が出来始め、あれほど愛し合っていた2人がしまいには嫌悪し合うようになり、その先にはご多分に漏れず哀しい別離が待ち受けている。ここで未練たらしいのはやはり男の方で、女の方は終わってしまえばきれいさっぱり割り切ってみせる。

 そしてしばらくぶりに2人が再会した時、オルガはすっかり「別の女」になっており、しかしそれでもまだ未練があるエリックだったが、この時すでにオルガの体は病魔に蝕まれていた。別れた女を懸命に看病するエリックだが、病魔は残酷なまでにオルガの気を狂わせてゆく……。

 恋模様の部分に関しては、見ようによってはかなりまともな悲恋ものと言えるのだが、ヴァーホーヴェンはここに過剰なまでのセックスと暴力をブチ込んでくる(しかもそのほとんどをブラックなギャグとして描いている)。しかしこれは、ヴァーホーヴェンが人間そのものに対して嫌悪や悪意を抱いているわけではない(少なくとも彼の作品内ではそういう描かれ方はしていない)。むしろ人間が本来的に持っている醜悪な部分もひっくるめた上で、「それでも人間は愛らしい生き物じゃないか」という彼独自のヒューマニズムというか人間賛歌のようなものを表現している。

 本作の主人公エリックも、その生活こそ荒んではいるが、自身が不意に傷つけてしまったカモメを手厚く介抱してから海へ帰してやったりする。これは傷ついたカモメが失恋の痛手に傷ついた自分と重なって見えたという意味合いもあろうかと思うが、このシーンからエリックが単なる人非人ではなく、ちゃんと人間的な優しさを持った男なのだということがよく分かる。オルガにしたって、表面的には奔放でワガママな女に見えるが、しかし自分の両親に対しては実に娘らしい愛情と優しさを傾け、エリックが彼女の母親を馬鹿にしたりすると本気で不機嫌になったりする。彼女のそういう「いたいけ」というか「いじらしい」部分の描き方には、至極人間臭い温かみを感じる。

 ヴァーホーヴェンが真に嫌悪している(あるいは馬鹿にしている)のは、おそらくは権威的なものに対してであろう。人間そのものへの優しさは先述したとおりだと思うし、過剰に下劣であったりグロテスクであったりする表現に関しては、「表層的にはどんなに美しいものでも、その薄皮一枚めくった下にはグロテスクな現実が蠢いている」というような信念があるのではなかろうか。

 摘んできた美しい花束をオルガが裸の胸に抱いていて、その花束をエリックがどけると、オルガの美しい胸の上では、花や葉についていたグロテスクな虫たちがウヨウヨと蠢いている……というシーンがあるのだが、このシーンこそまさに、先述したような「表層的な美しさのすぐ下に蠢いているグロテスクな現実」を表現したものではないかと思う。

 本作は、血と暴力とセックスとゲロとウンコと愛と憎しみと、そしてそれらを全部ひっくるめた上での人間賛歌に彩られた、吐き気がするほどロマンチックな純愛映画である。

 どしゃぶりの雨の中で、狂って半分おかしくなったオルガが、エリックの顔を犬みたいにペロペロ舐めるシーンがあるが、どういうわけか私はこのシーンに、人間という愚かな生き物に対する、ヴァーホーヴェンなりの温かい眼差しを強く感じる。人間が生来的に持っている醜さや愚かさや滑稽なまでの悲哀感から、逆説的に人間というものの普遍的な美しさを描き出そうとしている点において、ヴァーホーヴェンは今村昌平に近い感覚を持った映画監督ではなかろうか。

 

(2014年7月3日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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