第100回『エリート・スクワッド』

犯罪者を上回る暴力で、街の平和を守れ!!

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『エリート・スクワッド』
(Tropa De Elite)
2007年:ブラジル
監督:ジョゼ・パジーリャ


 リメイク版の『ロボコップ』(2014年)を撮ったジョゼ・パジーリャ監督による、本国ブラジルを舞台にした超絶えげつない社会派ポリス・アクション。本作とその続編である『エリート・スクワッド −ブラジル特殊部隊BOPE−』(2010年)のどちらもやたらと評判が良いので、何となく気になって見てみたら、これが予想をはるかに上回る大傑作であった。

 ブラジルはリオ・デ・ジャネイロの軍警察特殊部隊「BOPE(ボッピ)」の戦いを描いているのだが、簡単に言えば『シティ・オブ・ゴッド』(2002年)の世界を警察側から描いたような作品だ。ドキュメンタリー・タッチの仮借ないリアリズムで描いたポリス・アクションである。

 ボッピはリオのスラム街で毎日のように起こる凶悪事件専門の特殊部隊。一般の警官たちの多くは特別な訓練を受けておらず、さらにはギャングとつるんでいるような汚職警官も多く、わざわざ安月給のために命を張って職務を全うしようなどという者は少ない。そのため、ギャングの抗争や銃撃事件などが起こると、現場へ真っ先に急行するのがこのボッピというわけである。

 つまりボッピは、腐敗の多いリオの警察組織における絶対正義の決死隊なのだが、しかしその正義を執行する際の容赦のなさは、ギャングのそれとほとんど変わらない。

 まず殴る蹴るは朝飯前。場合によっては、ほとんど丸腰の相手でも問答無用で撃ち殺すし、口を割らない相手に対しては、ビニール袋を使っての窒息拷問(完全にマフィアのやり口)を常套手段としている。拳銃とナイフをあしらったドクロをトレード・マークにしているだけあって、警察の特殊部隊というよりは、「地獄の殺戮部隊」とでも呼んだ方がしっくりくるような存在だ(実際のボッピがどうだかは知らないが、本作においては完全にそういう存在として描かれている)。

 本作の主人公兼語りべであるナシメントは、泣く子も黙るボッピ隊員として、長年に渡り最前線で活躍してきた大ベテラン。いわゆる「仕事の鬼」というやつで、自身の本分を全うするためならどんな手段も厭わず、殊に犯罪者と汚職警官に対しては絶対に容赦しない。まさにボッピになるために生まれて来たような男である。

 しかしそんな彼も、生まれついての鬼ではない。街の平和を守るためとはいえ、毎日のように血まみれの暴力が支配する世界に身を置き、常時「自分がいつ殺されるか分からない」という緊張感を強いられ、時には自分たちの行き過ぎた仕事に罪悪感を覚えることすらある。

 そんな日々の重圧の中で、ナシメントはとうとうストレス障害の発作を起こすようになり、家庭では待望の第一子が生まれようとしているにもかかわらず、夫の過酷な現状を心配し声をかける妻に対して、思わず当たり散らしてしまうこともしばしば。

 「そろそろ俺も潮時か……」

 心身ともに限界を感じたナシメントの頭に、「引退」の二文字が浮かび上がる。

 しかし引退するには、自分の後継者を見つけねばならない。任務に実直で周りの誘惑に流されず、鬼のようにタフな後継者をである。そんな折、ちょうどナシメントの後継者に相応しそうな若者2人がボッピに入隊してくる。「考えるよりも即行動」派の血の気の多い狂犬タイプであるネト、そして彼とは対照的な知性派のマチアス。

 性格的には相反する二人だが、「周りの誘惑に流されずに自身の本分を全うする」という点で、ナシメントの後継者になり得る資質を持っている。

 そしてネイビー・シールズも裸足で逃げ出す地獄の特殊訓練(志願者100人に対して合格者は5人ほど)を無事乗り越えた2人は、晴れてボッピの正式な隊員となる。血の気が多過ぎて何かと先走ってしまうネト、逆に何事も考え過ぎてしまうマチアス……色々と問題ありな2人だが、スラムという名の戦場の中で、泣く子も黙るボッピ隊員としての頭角をメキメキと現してゆく。

 こうして、相応しい後継者も見つかり、ナシメントも無事ボッピを勇退出来るかに思えたが、世の仮借ない現実は、この血ぬられた英雄に平穏な日々を与えてくれるほど甘くはなかった……。

 『シティ・オブ・ゴッド』以上に暴力的で救いがないが、超骨太な社会派としての側面と、徹底したリアル・バイオレンスで描かれるポリス・アクションとしての娯楽性とが、見事に一本の劇映画として結実している。スピーディーなカメラワークと編集テクニックで、畳み掛けるように疾走するストーリー展開に冒頭からグイグイ引き込まれ、最後の最後まで一秒たりとも目が離せない。

 人間ドラマの描き方は少々「客観的過ぎ」「乾き過ぎ」な印象があるが、あまり登場人物たちに感情移入しながら見る作品でもないだろうし、善悪の境目がかなり曖昧な世界の話なので、全ての登場人物に対して客観的にならざるを得ないということもあるだろう。

 そもそも、本作のストーリーを進行させる役割を担っている主人公のモノローグ自体が、主人公自身に対しても常に突き放していると言えるほどに客観的なのである。つまり、主観的なモノローグの体をとりながら、その実は「狂言回し」あるいは「神の視点」としての客観性を持っているわけだが、やはり本作にあっては、こういう描き方が必然的と言えるかもしれない。

 『シティ・オブ・ゴッド』の映画版・テレビ版も、共に主人公のモノローグを実に上手いこと「客観的な進行役」として利用していたが(特にテレビ版では、別々の登場人物のモノローグを交差させて描いたりもしていて、そこらへんがかなり秀逸であった)、本作『エリート・スクワッド』も、まさにこの手のモノローグの使い方の見事な成功例であると言えよう。

 善悪の区別が曖昧で、全編に渡って暴力的な描写に満ちている作品では、このような感情的でない乾いた(もっと言えば自嘲的ですらある)モノローグを「客観的な進行役」として用いることによって、ヘヴィ過ぎる内容を程よく和らげる「緩衝材」の役割を果たしているのかもしれない。

 本作『エリート・スクワッド』には、まだまだ書き切れない魅力や注目すべき点が山ほどあるのだが、登場人物の中では、特に気になる一人がファビオという汚職警官。「超」が付くほど小物でありながら、何やかや上手いこと立ち回って生き残り続けるその姿は、まさにブラジルの山守義雄。

 続編の方でも、バカにされたりしながらも、何やかや上手いこと立ち回って生き残っている。なるだけ辛酸を舐めずに甘い汁だけを吸う……『仁義なき戦い』シリーズで金子信雄が演じる山守組長しかり、汚辱にまみれた世界で最後まで生き残るのは、上手いこと自分の手を汚さずに立ち回れる「小物」なのかもしれない。

 

(2014年4月12日)

プロフィール

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ニックネーム
わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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