第10回『エルム街の悪夢』

悪夢が殺しにやって来る


『エルム街の悪夢』
(A Nightmare on Elm Street)

1984年:アメリカ
監督:ウェス・クレイヴン

 『カリガリ博士』(1919年)の夢遊病殺人者チェザーレから『羊たちの沈黙』(1991年)の食人博士レクターに至るまで、ホラー映画の歴史は魅力的なキャラクターの殺人鬼を数多く生み出してきたが、本作の殺人鬼フレディは、そんな魅力的な殺人鬼の中でもちょっと変わり種である。

 赤と緑のボーダー柄セーターに茶色い帽子、顔は焼けただれ、右手にはお手製のナイフの爪をはめている。まずこのヴィジュアルだけでもグッとくるが、タイトルに「悪夢」とあるように、この作品の最大の魅力は、フレディの殺人が常に夢の中で行われるという点にある。そしてその夢の中で殺された被害者たちは、現実にも血まみれの惨殺死体となって、永遠に朝を迎えることはない。

 フレディはその昔、近所の子供20人を殺した大量殺人鬼で、一度お縄になったまではよかったが、何やら行政側の凡ミスで釈放されてしまい(お役所のやることはいつだってこんなものだ)、結局、法が頼りないものであると悟った住民たちの手によって、秘密裏に焼き殺される結果となった。そしてその私刑を行った住民たちの息子や娘たちが、今度はフレディの悪夢を見るようになり、その悪夢の中で無惨に殺されてゆくのである。

 夢の中と全く同じ肉体的損傷が、現実の被害者の肉体にも表れるという設定はいささか荒唐無稽ではあるが、本作はむしろその点を開き直ってかなり派手にやっていて、それが実に映画的なセンス・オブ・ワンダーとして活きているから素晴らしい。被害者が悪夢にうなされながら大量の血を噴き上げ、のたうちまわるその様はもはやシュールの域に達している。

 悪夢のシーンもかなりチープな作りだが、しかしそのチープさがかえって夢が本来的に持っている不条理な感覚、超現実的な雰囲気を上手くかもし出す結果につながっている。

 三大欲求の一つである「睡眠欲」という圧倒的な不可抗力に目をつけたこのフレディという殺人鬼は、我々にとって、同じく三大欲求の一つである「性欲」に目をつけたエイズ・ウィルス同様の脅威であると言えよう。なんたって人間、人生の三分の一は眠って過ごさねばならないというのだから、出来ることならいい夢を見て過ごしたいものである。

 

(2010年10月22日)

プロフィール

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わがままコブラ
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生年月日
1984年5月2日
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