NOVEL

剣の国の黒猫
9)生きていれば

 生きていればどうしようもない状況がいつか訪れるものだ。
 フェイだって分かっていた。
 クエスト屋なんて危険な仕事をしていれば手ごわい敵に囲まれたり、密輸業者に付け狙われたり、浮気がバレた亭主から逆恨みされたり、そんな状況が訪れる可能性がある事くらい、分かっていたのだ。
 しかし、これは酷い。

「小僧……」

 底冷えするような声を聞き、セラはようやく父親の存在に気が付いたらしい。振り向くと「あ!」と嬉しそうに微笑んだ。
 しかし、領主の表情はわずかたりとも緩まず、逆に憎しみを噛み締めるようにゆっくりと近づいて来る。
 このままでは昨夜と全く同じ展開であり、問答無用で撲殺されるだろう。

――そんな馬鹿げた話があるか! 俺は何もやってない!

 なんとか弁明できる言葉を探そうとするが、必死で考えれば考えるほど頭の中は真っ白になる。
 とりあえず、セラが勝手に来た事だけを伝えようとフェイは口を開いた。

「あの、これはですね――――がっ!?」

 フェイの言葉は激痛によって途中で遮られる。セラがフェイの胸からぴょんと飛び降りたのだ。

「お父様! フェイのお見舞いに、来てくれたの?」

 ズンッ……ズンッ……ズン……

 娘の言葉を歯牙にも掛けず、領主はまっすぐにフェイの目だけを睨んで接近してくる。

「……死にたいのか、小僧」

 領主の口から零れ出た言葉は、もはや人の言葉には聞こえない。
 すっかり恐怖に飲まれてしまったフェイの前に、セラが両手を広げて立ちはばかった。

「お父様! 私の恩人に、なんて事を言うのですか!」

 娘のかつて無い真剣さに、領主の眼がようやくフェイから外れる。

「セラ、ここに行くなと言ったはずだぞ」
「ですが恩人をお見舞いするのは礼儀だと、お父様が教えてくれたんじゃないですか!」
「礼儀はルールの下にあるべきものだ。二度と、この男に近づくな」
「それはできません!」

 あまりに堂々と断られ、領主の目が驚きに見開かれた。
 そこに畳み掛けるように、セラはその平らな胸に両手を押し当てうっとりと告げる。

「私たちはたった今、約束したのです」
「――約束、だと?」

 約束と言うと、先ほどその場しのぎでガーディアンになるとか誓った件に決まっていた。

――冗談じゃない。俺は今の暮らしが好きなんだ!

 フェイは約束した手前、おずおずとセラにうかがう。

「あの、セラ。やっぱり俺、ガーディアンは……」
「分かってます。本当にフェイがなりたかったのは、私のガーディアンではないのでしょう?」
「え? ああぁ、そうっ! そうなんだっ!」

 なんとセラは分かっていたのだ。幼いようでも中身は十六歳、しっかりと周囲の気持ちを汲み取ってくれていたのである。
 この少女を空気の読めない可哀想な子だと誤解していた事を、フェイは心から恥じた。
 そして、セラは太陽のように微笑み、父である領主に向かい高らかに宣言した。

「フェイと私は、夫婦になると誓約したのです!」
「ちょとまてやこらああああっ!!」
「ぬおおおぉぉっ! セラアアアアッ!!」

 フェイは叫んだあまり激痛にのたうち、領主は野太い雄叫びと共にその場に崩れ落ちた。
 いつの間にガーディアンの約束がそこまで上書きされたと言うのか。
 フェイの意識が白濁する中、セラは嬉しそうに抱きついてくる。

「なんでも、そういう意味だったんでしょ?」
「は? なんでも?」

――なんでも? あれ、俺なんて言ったっけ? 確か『ガーディアンにでもなんでも』って――なんでもおおっ!?

 自ら犯した過ちに、フェイは頭をかきむしった。
 狂っている。今のこの状況は完全に狂っている。いったいどこで選択を間違えたのだろう。

――そうだ。足りなかったのは……悪だ

 そう、この小娘に親切心を抱いたのがそもそも間違っていたのだ。クールで非情な、悪の心が足りなかったのだ。
 盗賊団に入ろうと志すものが、なんと日和見で軟弱な心根だったのだろう。
 たとえ恩義ある店長の妹とはいえ、身を守る為ならば悪に徹し排除すべきだ。
 さもなくば――

――俺は、喰われる

 フェイは抱きついているセラを強引に押しのけ、自失している領主に向かい、腹痛その他をこらえて言い放った。

「領主、俺はセラと結婚なんかしない」
「……な、に?」

 領主がゆっくりと顔をあげる。本当に泣いているのが不気味だった。

「俺は自由に生きたいんだ! だから、公女と結婚なんてする気はサラサラ無い。約束した覚えも無い!」
「そうか……娘を傷物にしておいて、あげくに捨てるか」
「はいいっ!?」
「なれば、貴様の首を落とすのに何の憂慮もいらぬ」

 領主はゆらりと立ち上がると、実用そのものの長剣を抜き放った。
 その碧眼には狂気の炎がメラメラと燃え上がっている。

「ちょ、違いますっ! 俺、セラには何もしてませんっ!」
「娘をセラと呼ぶな! 呼んでいいのはワシだけだあっ!」
「フェイの嘘つきっ! さっき抱き合って約束したのに!」
「ぬおおおおおおっ! このくされ小僧が、死ねええぃ!」

 おかしい。状況が奈落方面にしか落ちていかない。
 目の前には剣を振り上げた凶獣の姿が見える。いっそ、このまま死ねば楽になれるかもと甘い誘惑が過ぎった。
 だがしかし、まだこんなことで死ねない。やりたい事だって、まだまだ数え切れないほどあるのだ。

「お父様、やめてっ!」
「そこをどけっ! お前は騙されているだけだ、今、目を覚ましてやる!」
「どきませんっ! フェイ、結婚すると言って! 早くっ!!」

 言うべきか、いや、結婚すると言ったところで、領主に殺される気配は濃厚だ。

――どうすれば生き残れる? どうすれば? クエスト屋としてつちかった知恵を今こそ絞るんだ!

 そこで、フェイはハッと顔を上げた。

「クエスト屋……そうかっ!」

 そして、セラを横にどけ終わった領主に向かい、フェイは叫んだ。

「領主公、頼む、俺の最後の言葉と思って聞いてくれ!」
「付け上がるな小僧、貴様の言葉なぞ誰が聞くかっ!」
「お父様! 民の声に耳を傾ける事が領主の務めだって、ずっと言ってたじゃありませんか」
「ぐっ――いいだろう、遺言くらい聞いてやる」

 フェイを睨んだまま領主はしぶしぶと剣を下げた。
 その剣はいつ振り上げられてもおかしくない状況のままだが、チャンスは掴んだのだ。

――リア=フェイロン、命を掛けた交渉だ

 フェイは息を吐いて、呼吸を整えた。

「ただの一領民にすぎない俺が、事もあろうに領主の姫君と、いきなり結婚できるんて思っていません」
「そうか、なら死ね」

 フェイは緩みそうになる涙腺を引き締めて、憤怒の領主を真っ直ぐに見つめる。

「俺はクエスト屋です。どんなものでも構いません。達成すればセラとの仲を認めても良い――そんなクエストを、俺に下さい」

 領主はフェイを覗き込んで、ニヤリと邪悪に笑った。

「ならば取って置きの任務をやろう」
「な、なんでしょうか?」
「今すぐ自分の首をはねて死ね。そうすれば少しは認めてやろう」

 すごく泣きたかった。
 エルカが頑固親父だと愚痴っていた事はあったが、まさか領主がここまで強烈な人物であろうとは。

「お父様!」
「……ふん、まぁいい。セラに免じて簡単なクエストをやろう」

 領主は長剣の刃先をフェイの鼻先に突きつけ、威厳に満ちた声で告げた。

「クエスト屋リア=フェイロンに命ずる。盗賊団ゴルゴンを討伐せよ!」
「ゴッ――」
「それが出来れば、セラとの仲を考えてやらんでもない」

 盗賊団ゴルゴン、最強の組織として名高く、国の精鋭討伐隊もあっさり全滅するようなシュバート国一の盗賊集団である。
 これ以上の無理難題も無い……まさに狙いどおりだった。

「分かりました、このリア=フェイロン、盗賊団ゴルゴンを討伐するまで、セシリア公女殿下には近づきません」

 物怖じせず答えたフェイに、領主は不快そうに鼻を鳴らす。

「娘に手を出すだけあって、度胸だけは無駄にあるらしいな」
「度胸が無くてはクエスト屋はできませんから」

 領主の皮肉をサラリと避ける。
 そうだ。別にゴルゴンなど倒さなくていいのだ。
 放っておけばセラとの仲を認めてもらえない、つまり、好都合な方向へ流れるだけなのである。

――よし、冴えてるぞ俺!

 脳内にいる観客が拍手喝采をフェイに贈る。
 すると、幸運に追い風が吹くように領主はセラをひょいと小脇に抱え、さっと身を翻(ひるがえ)したのだ。

「小僧、その約束忘れるなよ……さぁ、セラ。こんな所にいては体に毒だ」

 部屋に重くのしかかっていた威圧感が霧散し、フェイは小躍りしそうだった。
 しかし、最後の抵抗とばかりにセラが声を荒げる。

「離してっ! まだ帰りたくないの! まだやらなきゃいけない事があるの!」
「セラ、いい加減に……いや、そうだったな」

 領主は何を思ったのか、暴れるセラを抱えたままフェイの方へ向き直る。
 願いがかなったセラは、嬉々とした満面の笑顔だ。
 一方のフェイは胸中で「こっちくんな」と念じまくっていた。

「フェイ! ごめんね、私……」
「セラ、目をつぶっていなさい。私としていたことが、最初の一件を忘れていたよ」

 領主はそう言うと初めてニタリと笑顔をフェイに見せた。
 ハッキリ言って怒った顔よりよほど怖い。
 フェイは愛想笑いを浮かべ、首をかしげた。

「最初の一件って言うと、なんのこ――」

 ズガシッ!!

「娘と抱き合うなぞ、何があろうと許さん!」

 バーベルが顔面に落ちたような衝撃が走り、目の前が真っ暗になった。
 遠くで誰かが呼ぶ声がするが、フェイは一目散に深い闇へと身を任せる。

――もぅ、何も考えたくねぇ……

 そんな痛切な願いを抱いたまま。

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