NOVEL
剣の国の黒猫
39) 陽は傾き
陽は傾き、賑やかだったパーティもやがて終わりを告げる。
新しく夫婦となったクロフとレンファに挨拶をして、コノハとフェイは連れ立って教会を後にした。
教会の小さな門を出てコノハは空を見上げる。空はまだ青く美しかったが、それが夕焼けに変わってしまうまでそれほど時間は残されていないだろう。楽しい時間ほどあっという間に終わってしまうものなのだ。
コノハは幸せそうだった花嫁衣裳のレンファを思い出し、小さくため息を吐くと隣を歩くフェイに声をかけた。
「フェイ、素敵な結婚式になってよかったね」
『素敵じゃねーよっ! ってて、くそっ、脇腹が……あのクソ領主、思い切りやりやがって!』
仮面越しに答えたフェイは苦しそうにわき腹を押さえた。
その怪しげな仮面を見つめて、不憫に思う反面、なにやら納得行かない感情がコノハの胸をかき混ぜる。
「……あんな子に関わるからよ」
『ん? 何か言ったか?』
「なんでもない。それより、その、肩貸そうか?」
『いや、いいよ』
勇気を持って提案したのに、フェイはあっさりと断った。わずかに頬を膨らませたが、しかし、こんな事にめげている暇はコノハに無い。
なにせ、これから一大イベントを実行すると決めているのだ。
それを考えただけで、心臓が早鐘のように打ち鳴らされるのがわかる。
――大丈夫、落ち着け。だって、最初に告白したのはフェイなんだから。返事をするだけじゃない
あの領主邸で開かれた婚約パーティの帰り道、フェイは背中越しに告白してくれた。それなのに返事も出来きないままでルナには散々小言を言われるし、その後も色々と事件があったせいでうやむやになっていた。
だから、この日、このタイミングで返事をしようと、朝から心に決めていたのだ。
コノハは気合を入れるべく握りこぶしを作ると、さっと辺りを見回す。
――人通りがあるし、何よりこんな街中じゃ
こんな場所ではフェイの仮面すら外せないし、せめてそれらしい雰囲気のある場所がいい。
コノハは帰り道とは異なる路地に入り、クルリとフェイを振り返った。
「フェイ、ちょっと来て欲しいところがあるんだけど」
『来て欲しいところって、そっちは丘しかないぞ?』
「いいから、早く来なさい!」
有無を言わせない態度に、フェイは首を傾げながらもコノハを追って丘へ続く路地へと入っていった。
――ここへ来るのは、何年ぶりかな
フェイは小さな丘を見渡しながら、ひざ下ほどの草の絨毯にできたあぜ道をゆっくりと登る。
よく夕方になると、クロフが決闘だといってはここに連れ出されたものだった。
――何も変わってないな
遠くに見えるバイスレイト鉱山も、夕日に染まる町の風景もあの頃と少しも変わっていない。しかし、今日、ここへ一緒に登っていたクロフは結婚し、フェイとは違う道をどんどん進んでいる。
自分はいったい、どこへ向かっているのだろうか。と、考えたところで前を進むコノハを見た。
『おい、いったいどこへ向かってるんだ?』
「もうすぐよ」
コノハは少しうつむいたまま早足で進み続け、とうとう小さな丘の頂上まで進み、そこでピタリと止まった。
丘の上は周りに木も生えておらず、見晴らしは非常に良かった。夕日に染まった草花が一面に広がるこの場所は、十分に美しい光景と言えるだろう。
こんな場所まで来た事は無かったので、フェイはその光景にしばらく見とれてしまった。
「フェイ」
突然、背後からコノハが声をかける。その声は硬く、なにやら緊張しているようだ。試合の時でも、悪党の屋敷に潜入する時でも迷い無く突っ込んでいくコノハらしくもない。
フェイはゆっくりと振り返り、どうしたかと小首を傾げた。
「あの、大丈夫だから、ソレ、取っていいよ」
『は? なんの事だ?』
「もうっ! ちょっと頭下げて!」
そう言うと、コノハはフェイの顔を挟むように手を差し出すと、するりと仮面を外してしまう。
息苦しかった仮面が無くなり、さわやかな緑の匂いと、コノハの香水の甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「で、こんなところに連れてきて、いったいどうしたんだよ?」
わき腹も痛いし、流石にあの激戦の後だから疲れている。早く休みたいフェイはややぶっきらぼうにそう尋ねた。
しかし、コノハは即答せず、奪い取った仮面をもじもじとお腹の辺りでいじる。
「あ、あのね、まず確認したいんだけど……一昨日さ、セシリア様に会った時、抱き合ってたよね?」
途端にフェイの顔が真っ赤に染まった。
「ちがっ、違う! あれは違うぞ! 変な意味は全く無い! ただ、オルフェルと戦わなくて済むって思って、嬉しくて、それでつい――」
「うん。そうだと思ってた。それを聞きたかったの」
「ふうん……えっと、要件はそれだけか?」
その言葉に、今度はコノハの肩がピクリと跳ね、その顔が夕日に負けないほど真っ赤に染まった。
「コノハ?」
フェイの呼びかけに答えず、コノハはスーハーと深呼吸を繰り返し「よし」と頷いた。
「あのね、フェイ。領主様の邸宅からあたしを背負って帰った時、覚えてる?」
「……ああ、あの時ね。覚えてるよ」
「その時さ、あたしに言ってくれた事も、覚えてるよね」
何のことだ、とフェイはあの時にした会話の内容を脳内でトレースする。
まず話したのは、昔の事だ。しかし、あれはコノハが一歩的にしゃべってただけなので、これではないだろう。
――ええと、その後はなんだっけ……そうだ!
三年間と気持ちは変わっていないか、たしかそう聞かれたのだ。
三年前、ゼクス領で一番強いのは誰かと言い合った事だと思って「お前が一番だと思ってるよ」と答えたのだ。そして、あれからコノハの機嫌が一変した。となると、またこの話題だろうか?
――いやまてよ、それは結論が出てるよな
となるとその後、王子救出を手伝って欲しいとお願いした事だろうか、と考え込んでいるとコノハが言葉を続けた。
「あの時、あたしちゃんと返事もできなくて……」
その言葉にフェイはようやく合点がいった。やはり王子救出の依頼の話だったらしい。確かに「しょうがないわね」としかコノハは言っていなかったが、なにもそんな事を気にするまでも無いのに。
フェイがそう言おうとした矢先、コノハはすっと顔を上げ、震える声で告げた。
「あの時の返事……今、するね」
「ちょっと待てよ、コノハ。あれはもう終わった事だろ?」
フェイは苦笑しながら言った途端、コノハの表情が止まった。
「……オワッタ……コト」
コノハの声音がずいぶんと乾いて聞こえた。
しかし、フェイはそれが何を示すか分かるはずもなく、しょうがない奴だなとばかりに笑う。
「何言ってるんだよ。もう終わった事だろ。もうコノハには王子救出を手伝ってもらったし」
「……フェイ、まさか、まさかとは思うけど、あたしが依頼を手伝うように、あんな事……言ったの?」
「まさかって、そんなの当たり前だろ。バカだなぁコノハは。あっはっは」
バキン
コノハの手の中で頑丈なハズの白い仮面が粉々に砕け散った。
破片がパラパラと舞い落ちると同時に、コノハも操り人形の糸が切れたように、ガクリと地べたに座り込む。
「おい、コノハ?」
フェイは何事かと地面にうつむくコノハの肩に手を置いた。
その途端、指先を通して禍々しい何かがフェイの体を通り抜けた気がした。
一瞬のうちに全身が粟立ったフェイは、ひりひりに渇いた喉でもう一度尋ねる。
「コ、ノハ」
呼ばれる声に、悪魔はゆっくりと顔を上げた。
「ぎゃあああああああっ!!」
その顔を見た瞬間、フェイは絶叫を上げた。
消される――本能が強くそう確信し、半泣きで丘を駆け下りた。
しかし、
カサカサカサカサカサ
逃げるフェイを奇妙な音が追いかけ、すぐ後ろまで迫っているのが聞こえる。
――振り返るな! 振り返ったらだめだ!
フェイの理性は振り返ることを全力で止めた。
だが、底知れぬ恐怖心は理性を押しのけ、フェイはつい肩越しに後ろを見てしまう。
そこには、四つ足で迫るコノハがいた。
カサカサカサカサ
「ぎゃああああああっ!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 教会行ってごめんなさいいいっ!」
フェイの泣き叫ぶ声は、なだらかな丘に遠く低く、どこまでも響いた。
「やあ、おかえりフェイ……随分やつれたな。おい、泣いているのか?」
エルカに返事をせず、フェイは顔を隠したままフラフラと自室に入っていった。
――寝よう、もう死ぬほど寝よう
真っ暗な部屋に明かりもつけず、フェイはベッドに潜り込もうとした。
しかし、部屋の異変に気が付く。ベッドが盛り上がっているのだ。
僅かに匂うのは砂漠の民が使う香の匂い。
――誰か、いるのか?
ベッドの中に潜んでいた者も、フェイが戻ってきた事に気付いたらしい。
隠れるのをやめ、ゆっくりとベッドから姿を現す。
月明かりにまぶしい素足がまず目に飛び込んだ。
「なっ――」
フェイはあまりの事に声を失った。
毛布がゆっくりと落ちて現れたのは起伏のある胸。しかも、衣服を何もつけていないむき出しの胸だ。
しかし、辛うじて下は裸ではなかった。辛うじてと言うのも、陰部がギリギリ隠れるようなきわどい下着を付けているのみだからだ。
部屋に侵入していた人物はベッドから立ち上がり、恥じらいもせずフェイの前で立ち尽くす。
「……カシム」
「待ちかねたぞ、リア=フェイロン!」
カシムは立てかけてあった大根棒を取ると、フェイに突きつけた。
「さあ勝負だ! この日をどれだけ待ちわびた事かっ!」
「その前に答えろ……その格好は、何だ?」
疲れ切った声で尋ねると、カシムはブーメランのようなぴっちりした黒革のパンツを、誇るように見せ付けた。真ん中が盛り上がっているのが無性に憎い。
「貴様の速度に対抗するため、徹底的な軽量化と極限まで抵抗を減らすべく考案した究極の戦闘スタイルだ! 見よ、この無駄の無い姿!」
「うるさい! お前の全てが無駄だ!」
フェイの怒声にカシムは動じることなくにやりと笑った。
「黒猫め、この姿に臆したな」
「部屋に帰って貴様がその格好でいれば、普通に誰でも臆すわ! 大体、この前は正々堂々と勝負するって言っただろ! 今、俺はボロボロの上に素手だぞ。どんだけ卑怯だよ、お前は!」
カシムはふむと頷くと、おもむろに大根棒を窓から投げ捨てた。
「さぁ、俺も素手になったぞ。あと体調不良は貴様の不手際だ。戦士たるもの有事を想定し、いつでもベストコンディションを保たねばならんのだ!」
「こんな有事知るか!」
「ふふ、気合が乗ってきたようだな。さあ、肉弾戦といこうか」
「もういいから、頼むから寝かせてくれ」
「それはできん!」
カシムはそこで何故か両手を広げ、むさ苦しいほどの威圧感のあるタックル姿勢をとった。
「今夜は、寝かさない」
ささやくようなその声に、とうとうフェイはキレた。
「うぜええええっ!」
そう叫びながら、半ばヤケになってカシムに特攻したのだった。
「エルカッ! フェイはいる!?」
「どうした、ルナ。何を怒ってる?」
ルナはエルカーナの玄関を開けるや、殺気すら立ち上りそうな勢いでエルカに詰め寄った。
「いいから、フェイはどこなの!」
エルカは戸惑いながらも、隠す理由も無く素直に答える。
「一応、フェイは自室にいるが……」
「部屋ね。ちょっと、はやくどいてっ!」
エルカを押しのけるや、ルナはガンガンと床を踏み鳴らしつつフェイの部屋へとむかう。
そして、扉の前で仁王立ちになったルナは、ノックもせずにドアを一息に開いた。
「ちょっとフェイ! あなたコノハに何を言った……の……」
ルナがそこに見たモノは、裸のカシムを組み伏せているフェイの姿だった。
フェイの胸元ははだけられており、なによりカシムの黒パンツがルナの網膜にこれでもかと焼き付く。
「うきゃあああああああっ!」
あまりの光景にルナは悲鳴をあげて走り去った。
「……終わった」
残されたフェイは、カシムの上で静かに泣き崩れた。
「ハァッ――ハァッ、コ、コノハッ!」
ルナは教会まで一度も休まず走りきり、その講堂で待っていたコノハを見つけて走りよる。
「ルナ、どうかしたの?」
息を切らして走ってきたルナはガクガクと頷いた。
「――コノハ、分かったわ。なんでフェイが、あんな事言ったのか……その、ショック受けないで聞いてね」
「うん、覚悟してる。たとえフェイがロリコンだったとしても」
「フェイね、実は……」
「実は?」
ルナは沈痛な面持ちで、しかし容赦なく告げた。
「ハードゲイだったの」
「…………うわ」
絶句するコノハをルナは強く抱き寄せる。
「きついね、きついよね」
コノハは頷き、その胸にポタリと涙を落としたのだった。
新しく夫婦となったクロフとレンファに挨拶をして、コノハとフェイは連れ立って教会を後にした。
教会の小さな門を出てコノハは空を見上げる。空はまだ青く美しかったが、それが夕焼けに変わってしまうまでそれほど時間は残されていないだろう。楽しい時間ほどあっという間に終わってしまうものなのだ。
コノハは幸せそうだった花嫁衣裳のレンファを思い出し、小さくため息を吐くと隣を歩くフェイに声をかけた。
「フェイ、素敵な結婚式になってよかったね」
『素敵じゃねーよっ! ってて、くそっ、脇腹が……あのクソ領主、思い切りやりやがって!』
仮面越しに答えたフェイは苦しそうにわき腹を押さえた。
その怪しげな仮面を見つめて、不憫に思う反面、なにやら納得行かない感情がコノハの胸をかき混ぜる。
「……あんな子に関わるからよ」
『ん? 何か言ったか?』
「なんでもない。それより、その、肩貸そうか?」
『いや、いいよ』
勇気を持って提案したのに、フェイはあっさりと断った。わずかに頬を膨らませたが、しかし、こんな事にめげている暇はコノハに無い。
なにせ、これから一大イベントを実行すると決めているのだ。
それを考えただけで、心臓が早鐘のように打ち鳴らされるのがわかる。
――大丈夫、落ち着け。だって、最初に告白したのはフェイなんだから。返事をするだけじゃない
あの領主邸で開かれた婚約パーティの帰り道、フェイは背中越しに告白してくれた。それなのに返事も出来きないままでルナには散々小言を言われるし、その後も色々と事件があったせいでうやむやになっていた。
だから、この日、このタイミングで返事をしようと、朝から心に決めていたのだ。
コノハは気合を入れるべく握りこぶしを作ると、さっと辺りを見回す。
――人通りがあるし、何よりこんな街中じゃ
こんな場所ではフェイの仮面すら外せないし、せめてそれらしい雰囲気のある場所がいい。
コノハは帰り道とは異なる路地に入り、クルリとフェイを振り返った。
「フェイ、ちょっと来て欲しいところがあるんだけど」
『来て欲しいところって、そっちは丘しかないぞ?』
「いいから、早く来なさい!」
有無を言わせない態度に、フェイは首を傾げながらもコノハを追って丘へ続く路地へと入っていった。
――ここへ来るのは、何年ぶりかな
フェイは小さな丘を見渡しながら、ひざ下ほどの草の絨毯にできたあぜ道をゆっくりと登る。
よく夕方になると、クロフが決闘だといってはここに連れ出されたものだった。
――何も変わってないな
遠くに見えるバイスレイト鉱山も、夕日に染まる町の風景もあの頃と少しも変わっていない。しかし、今日、ここへ一緒に登っていたクロフは結婚し、フェイとは違う道をどんどん進んでいる。
自分はいったい、どこへ向かっているのだろうか。と、考えたところで前を進むコノハを見た。
『おい、いったいどこへ向かってるんだ?』
「もうすぐよ」
コノハは少しうつむいたまま早足で進み続け、とうとう小さな丘の頂上まで進み、そこでピタリと止まった。
丘の上は周りに木も生えておらず、見晴らしは非常に良かった。夕日に染まった草花が一面に広がるこの場所は、十分に美しい光景と言えるだろう。
こんな場所まで来た事は無かったので、フェイはその光景にしばらく見とれてしまった。
「フェイ」
突然、背後からコノハが声をかける。その声は硬く、なにやら緊張しているようだ。試合の時でも、悪党の屋敷に潜入する時でも迷い無く突っ込んでいくコノハらしくもない。
フェイはゆっくりと振り返り、どうしたかと小首を傾げた。
「あの、大丈夫だから、ソレ、取っていいよ」
『は? なんの事だ?』
「もうっ! ちょっと頭下げて!」
そう言うと、コノハはフェイの顔を挟むように手を差し出すと、するりと仮面を外してしまう。
息苦しかった仮面が無くなり、さわやかな緑の匂いと、コノハの香水の甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「で、こんなところに連れてきて、いったいどうしたんだよ?」
わき腹も痛いし、流石にあの激戦の後だから疲れている。早く休みたいフェイはややぶっきらぼうにそう尋ねた。
しかし、コノハは即答せず、奪い取った仮面をもじもじとお腹の辺りでいじる。
「あ、あのね、まず確認したいんだけど……一昨日さ、セシリア様に会った時、抱き合ってたよね?」
途端にフェイの顔が真っ赤に染まった。
「ちがっ、違う! あれは違うぞ! 変な意味は全く無い! ただ、オルフェルと戦わなくて済むって思って、嬉しくて、それでつい――」
「うん。そうだと思ってた。それを聞きたかったの」
「ふうん……えっと、要件はそれだけか?」
その言葉に、今度はコノハの肩がピクリと跳ね、その顔が夕日に負けないほど真っ赤に染まった。
「コノハ?」
フェイの呼びかけに答えず、コノハはスーハーと深呼吸を繰り返し「よし」と頷いた。
「あのね、フェイ。領主様の邸宅からあたしを背負って帰った時、覚えてる?」
「……ああ、あの時ね。覚えてるよ」
「その時さ、あたしに言ってくれた事も、覚えてるよね」
何のことだ、とフェイはあの時にした会話の内容を脳内でトレースする。
まず話したのは、昔の事だ。しかし、あれはコノハが一歩的にしゃべってただけなので、これではないだろう。
――ええと、その後はなんだっけ……そうだ!
三年間と気持ちは変わっていないか、たしかそう聞かれたのだ。
三年前、ゼクス領で一番強いのは誰かと言い合った事だと思って「お前が一番だと思ってるよ」と答えたのだ。そして、あれからコノハの機嫌が一変した。となると、またこの話題だろうか?
――いやまてよ、それは結論が出てるよな
となるとその後、王子救出を手伝って欲しいとお願いした事だろうか、と考え込んでいるとコノハが言葉を続けた。
「あの時、あたしちゃんと返事もできなくて……」
その言葉にフェイはようやく合点がいった。やはり王子救出の依頼の話だったらしい。確かに「しょうがないわね」としかコノハは言っていなかったが、なにもそんな事を気にするまでも無いのに。
フェイがそう言おうとした矢先、コノハはすっと顔を上げ、震える声で告げた。
「あの時の返事……今、するね」
「ちょっと待てよ、コノハ。あれはもう終わった事だろ?」
フェイは苦笑しながら言った途端、コノハの表情が止まった。
「……オワッタ……コト」
コノハの声音がずいぶんと乾いて聞こえた。
しかし、フェイはそれが何を示すか分かるはずもなく、しょうがない奴だなとばかりに笑う。
「何言ってるんだよ。もう終わった事だろ。もうコノハには王子救出を手伝ってもらったし」
「……フェイ、まさか、まさかとは思うけど、あたしが依頼を手伝うように、あんな事……言ったの?」
「まさかって、そんなの当たり前だろ。バカだなぁコノハは。あっはっは」
バキン
コノハの手の中で頑丈なハズの白い仮面が粉々に砕け散った。
破片がパラパラと舞い落ちると同時に、コノハも操り人形の糸が切れたように、ガクリと地べたに座り込む。
「おい、コノハ?」
フェイは何事かと地面にうつむくコノハの肩に手を置いた。
その途端、指先を通して禍々しい何かがフェイの体を通り抜けた気がした。
一瞬のうちに全身が粟立ったフェイは、ひりひりに渇いた喉でもう一度尋ねる。
「コ、ノハ」
呼ばれる声に、悪魔はゆっくりと顔を上げた。
「ぎゃあああああああっ!!」
その顔を見た瞬間、フェイは絶叫を上げた。
消される――本能が強くそう確信し、半泣きで丘を駆け下りた。
しかし、
カサカサカサカサカサ
逃げるフェイを奇妙な音が追いかけ、すぐ後ろまで迫っているのが聞こえる。
――振り返るな! 振り返ったらだめだ!
フェイの理性は振り返ることを全力で止めた。
だが、底知れぬ恐怖心は理性を押しのけ、フェイはつい肩越しに後ろを見てしまう。
そこには、四つ足で迫るコノハがいた。
カサカサカサカサ
「ぎゃああああああっ!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! 教会行ってごめんなさいいいっ!」
フェイの泣き叫ぶ声は、なだらかな丘に遠く低く、どこまでも響いた。
「やあ、おかえりフェイ……随分やつれたな。おい、泣いているのか?」
エルカに返事をせず、フェイは顔を隠したままフラフラと自室に入っていった。
――寝よう、もう死ぬほど寝よう
真っ暗な部屋に明かりもつけず、フェイはベッドに潜り込もうとした。
しかし、部屋の異変に気が付く。ベッドが盛り上がっているのだ。
僅かに匂うのは砂漠の民が使う香の匂い。
――誰か、いるのか?
ベッドの中に潜んでいた者も、フェイが戻ってきた事に気付いたらしい。
隠れるのをやめ、ゆっくりとベッドから姿を現す。
月明かりにまぶしい素足がまず目に飛び込んだ。
「なっ――」
フェイはあまりの事に声を失った。
毛布がゆっくりと落ちて現れたのは起伏のある胸。しかも、衣服を何もつけていないむき出しの胸だ。
しかし、辛うじて下は裸ではなかった。辛うじてと言うのも、陰部がギリギリ隠れるようなきわどい下着を付けているのみだからだ。
部屋に侵入していた人物はベッドから立ち上がり、恥じらいもせずフェイの前で立ち尽くす。
「……カシム」
「待ちかねたぞ、リア=フェイロン!」
カシムは立てかけてあった大根棒を取ると、フェイに突きつけた。
「さあ勝負だ! この日をどれだけ待ちわびた事かっ!」
「その前に答えろ……その格好は、何だ?」
疲れ切った声で尋ねると、カシムはブーメランのようなぴっちりした黒革のパンツを、誇るように見せ付けた。真ん中が盛り上がっているのが無性に憎い。
「貴様の速度に対抗するため、徹底的な軽量化と極限まで抵抗を減らすべく考案した究極の戦闘スタイルだ! 見よ、この無駄の無い姿!」
「うるさい! お前の全てが無駄だ!」
フェイの怒声にカシムは動じることなくにやりと笑った。
「黒猫め、この姿に臆したな」
「部屋に帰って貴様がその格好でいれば、普通に誰でも臆すわ! 大体、この前は正々堂々と勝負するって言っただろ! 今、俺はボロボロの上に素手だぞ。どんだけ卑怯だよ、お前は!」
カシムはふむと頷くと、おもむろに大根棒を窓から投げ捨てた。
「さぁ、俺も素手になったぞ。あと体調不良は貴様の不手際だ。戦士たるもの有事を想定し、いつでもベストコンディションを保たねばならんのだ!」
「こんな有事知るか!」
「ふふ、気合が乗ってきたようだな。さあ、肉弾戦といこうか」
「もういいから、頼むから寝かせてくれ」
「それはできん!」
カシムはそこで何故か両手を広げ、むさ苦しいほどの威圧感のあるタックル姿勢をとった。
「今夜は、寝かさない」
ささやくようなその声に、とうとうフェイはキレた。
「うぜええええっ!」
そう叫びながら、半ばヤケになってカシムに特攻したのだった。
「エルカッ! フェイはいる!?」
「どうした、ルナ。何を怒ってる?」
ルナはエルカーナの玄関を開けるや、殺気すら立ち上りそうな勢いでエルカに詰め寄った。
「いいから、フェイはどこなの!」
エルカは戸惑いながらも、隠す理由も無く素直に答える。
「一応、フェイは自室にいるが……」
「部屋ね。ちょっと、はやくどいてっ!」
エルカを押しのけるや、ルナはガンガンと床を踏み鳴らしつつフェイの部屋へとむかう。
そして、扉の前で仁王立ちになったルナは、ノックもせずにドアを一息に開いた。
「ちょっとフェイ! あなたコノハに何を言った……の……」
ルナがそこに見たモノは、裸のカシムを組み伏せているフェイの姿だった。
フェイの胸元ははだけられており、なによりカシムの黒パンツがルナの網膜にこれでもかと焼き付く。
「うきゃあああああああっ!」
あまりの光景にルナは悲鳴をあげて走り去った。
「……終わった」
残されたフェイは、カシムの上で静かに泣き崩れた。
「ハァッ――ハァッ、コ、コノハッ!」
ルナは教会まで一度も休まず走りきり、その講堂で待っていたコノハを見つけて走りよる。
「ルナ、どうかしたの?」
息を切らして走ってきたルナはガクガクと頷いた。
「――コノハ、分かったわ。なんでフェイが、あんな事言ったのか……その、ショック受けないで聞いてね」
「うん、覚悟してる。たとえフェイがロリコンだったとしても」
「フェイね、実は……」
「実は?」
ルナは沈痛な面持ちで、しかし容赦なく告げた。
「ハードゲイだったの」
「…………うわ」
絶句するコノハをルナは強く抱き寄せる。
「きついね、きついよね」
コノハは頷き、その胸にポタリと涙を落としたのだった。
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