NOVEL
剣の国の黒猫
29) 告白された?
「告白された? あのフェイに?」
ルナは耳を疑い、思わず聞き返した。あのフェイが告白するなど、ちょっと想像できないことだったからである。
しかし、コノハは小さくハッキリと頷いた。その頬はついさっきチークを落としたにもかかわらず、真っ赤に染まっている。同性のルナが見ても抱きしめたくなるような表情だ。
「そっかぁ、フェイもこの魅力にやられたんだね。分かる分かる」
ルナはウンウンと頷きながら、脱脂綿にオイルを染み込ませコノハの目の上をゴシゴシと拭いた。
――それにしても、手紙の事話さなくてよかったぁ
3年前の手紙の真相をコノハに告げるべきかずっと悩んでいたのだが、これでその必要もなくなってしまった。まさに嘘から出た真、棚からパオロンである。
ルナは上機嫌で化粧を落とし続け――そして、コノハの顔が悲しそうに歪められている事に気付いた。
「あ、ごめん。痛かった?」
「ううん。ただ、ドレスを脱いでお化粧が落ちたら、なんか魔法が解けちゃうみたいで……さっきの事も夢みたいに消えちゃうのかなって……あはは、もう本当に変だね、あたし」
パタパタと手を振るコノハに、ルナは本当に抱きつこうかと迷った。
いつもの強気なコノハをよく知っているからこそ、恋に臆病になっている彼女をこれほどまでに可愛いと思うのだろう。
ルナは紅の入った小壷に小指を入れるや、落としたばかりのコノハの小さな唇に朱を入れたので、コノハは驚いてルナを見上げた。
「んっ――何?」
「大丈夫よ、コノハ。こんな魔法くらい、いつでもかけて上げるから。って言っても私は神官見習いだから、魔法じゃなくて奇跡なんだけどね」
「……うん、ありがと。本当にありがとうね、ルナ」
真っ直ぐに見上げるコノハな感謝の視線が気恥ずかしくて、ルナはシャドウを落とすふりをしてコノハの目を閉じさせた。
「そうかぁ、これでコノハも彼氏持ちなんだ。なんか焦っちゃうなぁ」
「……え?」
「何言ってるのよ、フェイと付き合うって話になったんでしょ?」
「えーと…………あれ?」
コノハの怪しげな反応にルナは事態を悟り、目玉を引ん剥いた。
そしてまるで大罪者を咎めるように指差すと、烈火のごとく糾弾する。
「なにそれっ! コノハ、あなたまさか告白されたのに放置したの?」
「えーと、あれ……あの、でも、その場のノリが、ね」
「ね、じゃない! ああ、もう信じられない! ほら、フェイお風呂にいるから、今から一緒に入ってきなさい!」
「ちょ、無茶言わないでよ!」
「いいから、大人しくドレス脱ぎなさい! それ私のよ!」
「ちょっと、ルナ! 落ち着いて!」
しかし、その騒ぎは風呂場にいたフェイにはぎゃあぎゃあと言う喧騒にしか聞こえなかった。
エルカーナに帰るなりルナに「臭い」と突き放され、慌てて風呂に入っているのだ。
「うおー! 自由最高!」
少し大きめの樽にお湯を入れるだけの簡易風呂だが、フェイのお気に入りの一つだ。
一週間の牢生活から解放されて垢を落としたフェイは、樽風呂の中で目一杯くつろいでいた。
「ルナはクエストの協力をあっさり了承してくれたし、これで王子の居場所を見つけちまえば、しばらくは平穏を過ごせるな」
ひょっとしたら報奨金もたっぷり貰えるかもしれないし、それに原因こそよく分からないがコノハの機嫌もすっかり直って、まるで昔のような関係に戻れた。
なにもかもが順調である。
――でも
フェイの顔がわずかに曇った。
――義賊のはずのゴルゴンが王子を誘拐だなんて
王子を誘拐した組織となれば、軍は動かなかったものの、ゴルゴンへの風当たりは相当きつくなるはずだ。
「俺は、どうすればいいんだよ……オルフェル」
その声は風呂場の壁に反響し、泡のようにすぐに消えた。
空がうっすらと明るくなった頃、将軍ゴリネルを乗せた馬車は砂煙を巻き上げ、砂漠を爆走していた。
「何をしているっ! もっと速度を上げろ! なんのための竜馬の馬車ぞ!」
その叱咤に御者は眉をひそめながらも、竜馬に鞭を入れた。
さらに走る事一時間、御者は砂漠のど真ん中にある湖に馬車を止めた。辺りには粗末な小屋がいくつもあり、その中から見るからに怪しげな集団がわらわらと出てくる。
あっという間に馬車を取り囲まれたが、ゴリネルはいっさい慌てず馬車から降りると、やはり全く動じていない御者に命じた。
「よし、ここで待て」
そのゴロツキのような集団に導かれ、ゴリネルは粗末な小屋の中で一軒だけ造りの新しい小屋へと入っていった。
「おい、クラー! クラーはどこだっ!」
「こんな早朝に何用ですか、ゴリネル」
ゴリネルが振り返ると、探していた男がいつの間にか背後にいた。
綿の寝間着に豪奢なローブをまとい、痩身の男は不機嫌そうに眉を寄せている。
歳は四十半ばだろうが髪は既に真っ白である。その知的な顔は周囲のゴロツキと比べるとあからさまに異彩を放っていた。
特に印象的なのは目だ。
鋭く何もかもを見通すような鷹のような目、身長は平均以下だが、それ以上に見せる威圧感がその男にはあった。
「クラーよ、一体どう言う事だ! 王子の誘拐が砂漠の民どもに漏れていたぞ!」
「おや、そうでしたか」
「そうでしたか、で済む問題ではない! お陰で軍の要請を無理やり却下するハメになった。あれでワシが疑われたらどうするつもりだ!」
「そうですね、次の将軍でも探しますか」
「っ!」
ゴリネルの顔色が変わった。
横柄な態度が消え、クラーから一歩身を引く。
「安心下さい。将軍としてあなたほどの適任者は他にいませんから」
「そ、そうだろう! あと万が一の事もある。ワシが王になれるよう、王子は今のうちに確実に始末して欲しい」
「分かりました、そう伝えましょう。で、ゼクス領の動きはどうでした? あそこは色々と噂がありますあkら」
ゴリネルは良くぞ聞いたとばかりに唇の端を上げた。
「なぁに、ワシが動かぬかぎり表立って動けんよ。ヤツラも困り果ててな、苦し紛れにクエスト屋に依頼しおったわ、ガハハハ!」
「クエスト屋?」
「ああ、こいつだ」
ゴリネルは懐から張り紙を取り出すと、クラーに渡した。
「ほう、領公認の勇者――と言うわけですか」
「黒猫などと呼ばれていい気になっておる、ただの若造だよ。あの風のガラムと互角にやりあったそうだがたいした男では――」
「ガラムと互角だとっ!?」
クラーは被さるようにゴリネルに近づいた。
「その黒猫のことを、詳しく話しなさいっ!」
その表情は、明らかに焦っていた。
翌朝、エルカーナにやってきたのは竜馬二頭立ての馬車だった。
しかも、なんと専用の御者までついている。
「どうも、ご苦労様です」
フェイが頭を下げると、壮年の御者は左右についたチョビ髭をピクリと動かし鷹揚に頷いた。どことなく偉そうではあるが、貫禄があるともいえる。おそらくエルカが有事に備え経験豊富な御者を選んだのだろう。
しかし、馬車の中にさらにおまけがいた。
「はぁい、黒猫ちゃん。約束どおり来たわよ」
「感謝しろ」
朝からテンションの高いディアナと、不機嫌そうに大根棒を構えたカシムが馬車から降りてきた。
「……エルカ、どう言う事だ?」
最期に馬車から降りてきたエルカに、フェイは思いっきり不機嫌な顔で尋ねた。
「昨夜ディアナが協力してくれると言っただろう? タダでしかも強い。こんな嬉しい見方になんの不満がある?」
「そうよ黒猫ちゃん、邪険にしないでね」
「うるさい! 黒猫ちゃんって呼ぶな!」
フェイの反応を見てディアナは微笑みながらエルカに何か耳打ちをし、エルカも笑顔で頷き返す。
まるで仲睦まじい恋人のような二人を見て、フェイは眉をひそめた。
「なあ、カシム。あの二人いきなり仲良くなってないか?」
「昨夜は寝ずに語り合っていた。どうにも気が合うらしい」
「そうかぁ、確かに年齢は同じくらいだろうけど……あんな女、真面目なエルカとは気があわなそうなんだけどなぁ」
フェイは頭を掻きながらも、しぶしぶ二人を店内へ案内した。
そして、入ってすぐの応接間を通り抜けると、奥にある客間へと導く。
「へえ、面白そうな部屋だね」
入って開口一番、ディアナはそう漏らす。
その大きくはない客間には、方角を示す十六方位が直接床に描かれていた。
十六本の矢印が描かれた中心には既にルナが座っており、部屋の端にはコノハもいる。
二人とも長身なディアナと巨漢のカシムがいきなり部屋に入って来たので、口を開いて驚いていた。
「おはようございます、師範」
「カシム、道場の外で師範は止めてって言ってるじゃない。あと、ユノさんの店の護衛はいいの?」
「一週間のお暇を頂きました。あの人は口が悪いですが、話せば分かる人です……ああ、こちらは砂漠の長、ディアナ様です」
カシムは一歩引いて、ディアナとコノハを引き合わせた。
「ディアナよ、あなたの槍術はカシムから散々聞いてるわ。昨日の下段突きも惚れ惚れしたわよ」
「あっ……あの、ごめんなさい」
コノハは真っ赤になって顔を伏せると、ごにょごにょと謝った。
その態度に笑みを濃くしたディアナは、部屋の中心で呆けているルナにも軽く手を振る。
「そっちもはじめまして。エルカから聞いたけど、あなたが『神の約束』を受けた神官見習ね」
「は、はい。アルティア=ルナティヒです。ルナって呼んでください」
砂漠の長と聞いて緊張したのか、ルナはビシリと正座に戻り姿勢を正した。
「ディアナ=ガラムディン、こっちもディアナって呼んで欲しいわね。ところであたしはそっちの神を信仰して無いけど、ここにいても大丈夫なの?」
「ああ、はい、もう全然っ!」
パタパタと手を振って慌てるルナは、これでも『神の約束』を得た優秀な神官見習だ。
『神の約束』とは奇跡の代行を、神から直接許される事である。約束を得る神官は百人に一人と言われ、それだけで神官の位が約束されていた。なのにルナが見習いであり続ける理由は、礼拝中の居眠りの多さと所持品検査の結果によるらしい。いったい何が見つかったのか……
フェイが部屋の隅に座ると、エルカがようやく部屋に入って来た。
「遅くなってすまない。ルナ、準備はいいか?」
「準備なんていらないよ。たいしたもんじゃないし」
「いやいや、ルナの奇跡がなければ私とフェイはお尋ね者になるところだったよ」
「だから、私の奇跡じゃなくて神様の――まぁ、いっか」
そう言って、ルナは懐から棒を取り出した。
奇跡はその種類を大きく分けると治癒か託宣の二つに分かれ、ルナの奇跡も一応託宣の部類に入る。
本人はたいした事が無いといつも言っているが、クエスト屋にとってはこれ以上無いほど貴重な奇跡だった。
「じゃあ、ディアナとカシムも悪いが部屋の出来る限り隅に座っててくれ」
エルカはディアナを座らせると、始めてくれと合図した。
ルナは方位の矢印が重なる中心点に何の変哲もない細い木の棒を静かに立てる。
そして一つ深呼吸をすると静かに目を閉じ、神に奇跡の代行を求める詠唱を始めた。
「神様、神様。尋ね人です。名前は、ええと、エドガー=グロスターさん。どっちにいますか? えいっ!」
「……あなた達の神様って、結構アバウトね」
ディアナのつぶやきと共に、ルナの手から棒が離れた。
棒はしばらく直立していたが、やがて力尽きたように倒れる。
カランッカランッ
木の棒は西北西を指した。
エルカは地図を広げ、定規で方位をしっかり固定すると、一本の線を引く。
「すぐに棒が倒れたという事は、王子はまだ生きているようだな。場所は、やはりツヴェルフ砂漠か……よし、すぐに出るぞ!」
エルカは地図を仕舞い、立ち上がる。
それが出発の合図となった。
コンコン
領主の執務室のドアが控えめにノックされる。
領主はその音だけで、叩いたのが誰か分かった。
「入りなさい、セラ」
扉がゆっくりと開き、そこから目を真っ赤にしたセラが入ってきた。
「また泣いていたのか、いい加減に――」
「お父様!」
父の言葉を遮った声音は力強く、しかし恐怖に震えている。
「お父様がフェイを殺そうとしていたのは――本当ですか?」
「……本当だ」
重々しい答えに、セラの顔が怒りと悲しみに染まった。
「な、何故ですか! なんでそんな酷い事を……私がお母様の命を奪ったからですか?」
「まて、セラ。それは違う。お前がアリアナの命を奪ったなどと思った事は一度として、無い」
「……では……私が、フェイに会いに、ここを抜け出したせいなのですか?」
領主は一瞬返事に詰まる。
しかし、沈黙では許さぬと言う娘の迫力に、領主は正直に口を開いた。
「……そうだ。お前の行過ぎた行為が、心配だったからだ」
「なら、私を牢に入れてください! なんで、フェイにばかり辛く当たるのですか!」
「いいか、セラ。お前は公女で――」
コンコンッ
再び執務室のドアが叩かれた。
セラとは違い、的確で力強いノックだ。
「――誰だ?」
『ツヴァイ領公子リーガンです。ラドクリフ公爵に相談があって参りました』
『アハト領公子コーディリアです。セシリア公女にも、ご相談があります』
――緊急の用事か? セラには悪いが、止むをえんな
領主はセラを見つめたまま、「入りなさい」と低く命じた。
二人が入る前に、セラは感情が高ぶってこぼれた涙を手の甲で何度かこする。
「失礼します」
入ってきたのは、昨日とは打って変わって軽装になったリーガンと、ドレスからワンピースになったコーディリアである。
昨日、挨拶を交わしていなかったセラは、公子であるはずのコーディリアの姿に口をパカリと開いた。
「さて、この緊急時にいったいどうされた?」
領主の問いに、リーガンが一歩前に出る。
「王子誘拐の件で、ラドクリフ公爵閣下にお願いがございます」
「願い……か、いいだろう。単刀直入に言うがいい」
「我々は王都へ行き、王にゴルゴン討伐の直訴をするつもりです。しかし、そのためには公爵以上の上告状が必要なのです」
「ほう」
領主は吐息を漏らし、その太い腕をがっしりと組んだ。
――悪い話ではない、か
ゴリネル将軍があの調子であれば、王都に送ったゴルゴン討伐の嘆願状は、途中で話を握りつぶされていたかもしれない。
確かに直訴する価値はある。むしろ自分がゼクス領を離れられない今、願ったり適ったりであった。
「よかろう。早急に上告状を書くとしよう……して、セシリアに依頼とは?」
今度はコーディリアが一歩進みでて、軽く頭を下げる。
長い赤銅色の髪が、その細い肩から流れるように零れた。
「公子が二人だけでは説得力に欠けます。せめて三領の代弁者が欲しいところですが、あいにくゼクス領の公子エルカーノ様は王子を探索中。そこで、セシリア公女殿下に同行をお願いしたのです。それに――」
コーディリアはちらりとセラを流し見た。
「セシリア様が牢に入ったとて、あなたの勇者様は喜びましょうか」
「コーディリア!」
リーガンがたしなめるが、コーディリアは意に介した風も無い。
「申し訳ありません。盗み聞きするつもりはありませんでした。ただ先ほどの話を聞き、私はセシリア様が同行すべきだと思ったのです」
そう言って、近づくコーディリアにセラは力なく首を振った。
「でも、兄様は、私に何もするなと……」
「何もするな? 何もするな、ですか!」
コーディリアは両手を広げ、天に向かって大仰に嘆いてみせた。
他の誰がやっても様にならないであろうその一挙一動は、見る者全てを魅了する技にまで洗練されている。
「では、セシリア様! あなたの胸にあるその想いは、何もしなければ一体どうなりましょう?」
コーディリアは真っ直ぐにセラの胸を指した。
セラは自分の胸元を見つめる。
成長不良どころではないまっ平らな胸。しかし、その中にあるものは確かに存在し、静かに熱く脈打っていた。
「あなたが動かずに、誰があなたの想い人を救うのですか!」
「でも、私は……いつも、フェイを苦しめて……」
「また次も同じであると? 失敗の末に、進歩ではなく停滞を望むのですか! なんと言う愚かな! やれることがあなたの前にあるのですよ?」
セラは身をすくめた。
自分が動けば、またフェイを不幸にするかもしれない。その恐怖は途方もなかった。
しかし、もし今、何もせずに取り返しの付かない事になれば、果たして自分は狂わずにいられるのだろうか。
その時、セラの脳裏にフェイの言葉が鮮明に蘇った。
『セラ、お前はまだ生きてるんだ! 死ぬ前にそれを示せよ! 腐ってる暇なんて無いんだぞ!』
そう、確かにフェイはそう言ったのだ。
――私は生きている、怖いけど、後悔したくないけど、それでも
「お父様!」
セラは領主の目を見た。その碧の目にある確かな、どこまでも真っ直ぐな意思。
領主はどうやっても勝てぬ相手がいることを認め、苦笑した。
「良かろう。護衛は任せたぞ、リーガン公子、コーディリア公子」
「「この一命を賭して」」
二人は両拳を合わせ、誓いの一礼を捧げた。
ルナは耳を疑い、思わず聞き返した。あのフェイが告白するなど、ちょっと想像できないことだったからである。
しかし、コノハは小さくハッキリと頷いた。その頬はついさっきチークを落としたにもかかわらず、真っ赤に染まっている。同性のルナが見ても抱きしめたくなるような表情だ。
「そっかぁ、フェイもこの魅力にやられたんだね。分かる分かる」
ルナはウンウンと頷きながら、脱脂綿にオイルを染み込ませコノハの目の上をゴシゴシと拭いた。
――それにしても、手紙の事話さなくてよかったぁ
3年前の手紙の真相をコノハに告げるべきかずっと悩んでいたのだが、これでその必要もなくなってしまった。まさに嘘から出た真、棚からパオロンである。
ルナは上機嫌で化粧を落とし続け――そして、コノハの顔が悲しそうに歪められている事に気付いた。
「あ、ごめん。痛かった?」
「ううん。ただ、ドレスを脱いでお化粧が落ちたら、なんか魔法が解けちゃうみたいで……さっきの事も夢みたいに消えちゃうのかなって……あはは、もう本当に変だね、あたし」
パタパタと手を振るコノハに、ルナは本当に抱きつこうかと迷った。
いつもの強気なコノハをよく知っているからこそ、恋に臆病になっている彼女をこれほどまでに可愛いと思うのだろう。
ルナは紅の入った小壷に小指を入れるや、落としたばかりのコノハの小さな唇に朱を入れたので、コノハは驚いてルナを見上げた。
「んっ――何?」
「大丈夫よ、コノハ。こんな魔法くらい、いつでもかけて上げるから。って言っても私は神官見習いだから、魔法じゃなくて奇跡なんだけどね」
「……うん、ありがと。本当にありがとうね、ルナ」
真っ直ぐに見上げるコノハな感謝の視線が気恥ずかしくて、ルナはシャドウを落とすふりをしてコノハの目を閉じさせた。
「そうかぁ、これでコノハも彼氏持ちなんだ。なんか焦っちゃうなぁ」
「……え?」
「何言ってるのよ、フェイと付き合うって話になったんでしょ?」
「えーと…………あれ?」
コノハの怪しげな反応にルナは事態を悟り、目玉を引ん剥いた。
そしてまるで大罪者を咎めるように指差すと、烈火のごとく糾弾する。
「なにそれっ! コノハ、あなたまさか告白されたのに放置したの?」
「えーと、あれ……あの、でも、その場のノリが、ね」
「ね、じゃない! ああ、もう信じられない! ほら、フェイお風呂にいるから、今から一緒に入ってきなさい!」
「ちょ、無茶言わないでよ!」
「いいから、大人しくドレス脱ぎなさい! それ私のよ!」
「ちょっと、ルナ! 落ち着いて!」
しかし、その騒ぎは風呂場にいたフェイにはぎゃあぎゃあと言う喧騒にしか聞こえなかった。
エルカーナに帰るなりルナに「臭い」と突き放され、慌てて風呂に入っているのだ。
「うおー! 自由最高!」
少し大きめの樽にお湯を入れるだけの簡易風呂だが、フェイのお気に入りの一つだ。
一週間の牢生活から解放されて垢を落としたフェイは、樽風呂の中で目一杯くつろいでいた。
「ルナはクエストの協力をあっさり了承してくれたし、これで王子の居場所を見つけちまえば、しばらくは平穏を過ごせるな」
ひょっとしたら報奨金もたっぷり貰えるかもしれないし、それに原因こそよく分からないがコノハの機嫌もすっかり直って、まるで昔のような関係に戻れた。
なにもかもが順調である。
――でも
フェイの顔がわずかに曇った。
――義賊のはずのゴルゴンが王子を誘拐だなんて
王子を誘拐した組織となれば、軍は動かなかったものの、ゴルゴンへの風当たりは相当きつくなるはずだ。
「俺は、どうすればいいんだよ……オルフェル」
その声は風呂場の壁に反響し、泡のようにすぐに消えた。
空がうっすらと明るくなった頃、将軍ゴリネルを乗せた馬車は砂煙を巻き上げ、砂漠を爆走していた。
「何をしているっ! もっと速度を上げろ! なんのための竜馬の馬車ぞ!」
その叱咤に御者は眉をひそめながらも、竜馬に鞭を入れた。
さらに走る事一時間、御者は砂漠のど真ん中にある湖に馬車を止めた。辺りには粗末な小屋がいくつもあり、その中から見るからに怪しげな集団がわらわらと出てくる。
あっという間に馬車を取り囲まれたが、ゴリネルはいっさい慌てず馬車から降りると、やはり全く動じていない御者に命じた。
「よし、ここで待て」
そのゴロツキのような集団に導かれ、ゴリネルは粗末な小屋の中で一軒だけ造りの新しい小屋へと入っていった。
「おい、クラー! クラーはどこだっ!」
「こんな早朝に何用ですか、ゴリネル」
ゴリネルが振り返ると、探していた男がいつの間にか背後にいた。
綿の寝間着に豪奢なローブをまとい、痩身の男は不機嫌そうに眉を寄せている。
歳は四十半ばだろうが髪は既に真っ白である。その知的な顔は周囲のゴロツキと比べるとあからさまに異彩を放っていた。
特に印象的なのは目だ。
鋭く何もかもを見通すような鷹のような目、身長は平均以下だが、それ以上に見せる威圧感がその男にはあった。
「クラーよ、一体どう言う事だ! 王子の誘拐が砂漠の民どもに漏れていたぞ!」
「おや、そうでしたか」
「そうでしたか、で済む問題ではない! お陰で軍の要請を無理やり却下するハメになった。あれでワシが疑われたらどうするつもりだ!」
「そうですね、次の将軍でも探しますか」
「っ!」
ゴリネルの顔色が変わった。
横柄な態度が消え、クラーから一歩身を引く。
「安心下さい。将軍としてあなたほどの適任者は他にいませんから」
「そ、そうだろう! あと万が一の事もある。ワシが王になれるよう、王子は今のうちに確実に始末して欲しい」
「分かりました、そう伝えましょう。で、ゼクス領の動きはどうでした? あそこは色々と噂がありますあkら」
ゴリネルは良くぞ聞いたとばかりに唇の端を上げた。
「なぁに、ワシが動かぬかぎり表立って動けんよ。ヤツラも困り果ててな、苦し紛れにクエスト屋に依頼しおったわ、ガハハハ!」
「クエスト屋?」
「ああ、こいつだ」
ゴリネルは懐から張り紙を取り出すと、クラーに渡した。
「ほう、領公認の勇者――と言うわけですか」
「黒猫などと呼ばれていい気になっておる、ただの若造だよ。あの風のガラムと互角にやりあったそうだがたいした男では――」
「ガラムと互角だとっ!?」
クラーは被さるようにゴリネルに近づいた。
「その黒猫のことを、詳しく話しなさいっ!」
その表情は、明らかに焦っていた。
翌朝、エルカーナにやってきたのは竜馬二頭立ての馬車だった。
しかも、なんと専用の御者までついている。
「どうも、ご苦労様です」
フェイが頭を下げると、壮年の御者は左右についたチョビ髭をピクリと動かし鷹揚に頷いた。どことなく偉そうではあるが、貫禄があるともいえる。おそらくエルカが有事に備え経験豊富な御者を選んだのだろう。
しかし、馬車の中にさらにおまけがいた。
「はぁい、黒猫ちゃん。約束どおり来たわよ」
「感謝しろ」
朝からテンションの高いディアナと、不機嫌そうに大根棒を構えたカシムが馬車から降りてきた。
「……エルカ、どう言う事だ?」
最期に馬車から降りてきたエルカに、フェイは思いっきり不機嫌な顔で尋ねた。
「昨夜ディアナが協力してくれると言っただろう? タダでしかも強い。こんな嬉しい見方になんの不満がある?」
「そうよ黒猫ちゃん、邪険にしないでね」
「うるさい! 黒猫ちゃんって呼ぶな!」
フェイの反応を見てディアナは微笑みながらエルカに何か耳打ちをし、エルカも笑顔で頷き返す。
まるで仲睦まじい恋人のような二人を見て、フェイは眉をひそめた。
「なあ、カシム。あの二人いきなり仲良くなってないか?」
「昨夜は寝ずに語り合っていた。どうにも気が合うらしい」
「そうかぁ、確かに年齢は同じくらいだろうけど……あんな女、真面目なエルカとは気があわなそうなんだけどなぁ」
フェイは頭を掻きながらも、しぶしぶ二人を店内へ案内した。
そして、入ってすぐの応接間を通り抜けると、奥にある客間へと導く。
「へえ、面白そうな部屋だね」
入って開口一番、ディアナはそう漏らす。
その大きくはない客間には、方角を示す十六方位が直接床に描かれていた。
十六本の矢印が描かれた中心には既にルナが座っており、部屋の端にはコノハもいる。
二人とも長身なディアナと巨漢のカシムがいきなり部屋に入って来たので、口を開いて驚いていた。
「おはようございます、師範」
「カシム、道場の外で師範は止めてって言ってるじゃない。あと、ユノさんの店の護衛はいいの?」
「一週間のお暇を頂きました。あの人は口が悪いですが、話せば分かる人です……ああ、こちらは砂漠の長、ディアナ様です」
カシムは一歩引いて、ディアナとコノハを引き合わせた。
「ディアナよ、あなたの槍術はカシムから散々聞いてるわ。昨日の下段突きも惚れ惚れしたわよ」
「あっ……あの、ごめんなさい」
コノハは真っ赤になって顔を伏せると、ごにょごにょと謝った。
その態度に笑みを濃くしたディアナは、部屋の中心で呆けているルナにも軽く手を振る。
「そっちもはじめまして。エルカから聞いたけど、あなたが『神の約束』を受けた神官見習ね」
「は、はい。アルティア=ルナティヒです。ルナって呼んでください」
砂漠の長と聞いて緊張したのか、ルナはビシリと正座に戻り姿勢を正した。
「ディアナ=ガラムディン、こっちもディアナって呼んで欲しいわね。ところであたしはそっちの神を信仰して無いけど、ここにいても大丈夫なの?」
「ああ、はい、もう全然っ!」
パタパタと手を振って慌てるルナは、これでも『神の約束』を得た優秀な神官見習だ。
『神の約束』とは奇跡の代行を、神から直接許される事である。約束を得る神官は百人に一人と言われ、それだけで神官の位が約束されていた。なのにルナが見習いであり続ける理由は、礼拝中の居眠りの多さと所持品検査の結果によるらしい。いったい何が見つかったのか……
フェイが部屋の隅に座ると、エルカがようやく部屋に入って来た。
「遅くなってすまない。ルナ、準備はいいか?」
「準備なんていらないよ。たいしたもんじゃないし」
「いやいや、ルナの奇跡がなければ私とフェイはお尋ね者になるところだったよ」
「だから、私の奇跡じゃなくて神様の――まぁ、いっか」
そう言って、ルナは懐から棒を取り出した。
奇跡はその種類を大きく分けると治癒か託宣の二つに分かれ、ルナの奇跡も一応託宣の部類に入る。
本人はたいした事が無いといつも言っているが、クエスト屋にとってはこれ以上無いほど貴重な奇跡だった。
「じゃあ、ディアナとカシムも悪いが部屋の出来る限り隅に座っててくれ」
エルカはディアナを座らせると、始めてくれと合図した。
ルナは方位の矢印が重なる中心点に何の変哲もない細い木の棒を静かに立てる。
そして一つ深呼吸をすると静かに目を閉じ、神に奇跡の代行を求める詠唱を始めた。
「神様、神様。尋ね人です。名前は、ええと、エドガー=グロスターさん。どっちにいますか? えいっ!」
「……あなた達の神様って、結構アバウトね」
ディアナのつぶやきと共に、ルナの手から棒が離れた。
棒はしばらく直立していたが、やがて力尽きたように倒れる。
カランッカランッ
木の棒は西北西を指した。
エルカは地図を広げ、定規で方位をしっかり固定すると、一本の線を引く。
「すぐに棒が倒れたという事は、王子はまだ生きているようだな。場所は、やはりツヴェルフ砂漠か……よし、すぐに出るぞ!」
エルカは地図を仕舞い、立ち上がる。
それが出発の合図となった。
コンコン
領主の執務室のドアが控えめにノックされる。
領主はその音だけで、叩いたのが誰か分かった。
「入りなさい、セラ」
扉がゆっくりと開き、そこから目を真っ赤にしたセラが入ってきた。
「また泣いていたのか、いい加減に――」
「お父様!」
父の言葉を遮った声音は力強く、しかし恐怖に震えている。
「お父様がフェイを殺そうとしていたのは――本当ですか?」
「……本当だ」
重々しい答えに、セラの顔が怒りと悲しみに染まった。
「な、何故ですか! なんでそんな酷い事を……私がお母様の命を奪ったからですか?」
「まて、セラ。それは違う。お前がアリアナの命を奪ったなどと思った事は一度として、無い」
「……では……私が、フェイに会いに、ここを抜け出したせいなのですか?」
領主は一瞬返事に詰まる。
しかし、沈黙では許さぬと言う娘の迫力に、領主は正直に口を開いた。
「……そうだ。お前の行過ぎた行為が、心配だったからだ」
「なら、私を牢に入れてください! なんで、フェイにばかり辛く当たるのですか!」
「いいか、セラ。お前は公女で――」
コンコンッ
再び執務室のドアが叩かれた。
セラとは違い、的確で力強いノックだ。
「――誰だ?」
『ツヴァイ領公子リーガンです。ラドクリフ公爵に相談があって参りました』
『アハト領公子コーディリアです。セシリア公女にも、ご相談があります』
――緊急の用事か? セラには悪いが、止むをえんな
領主はセラを見つめたまま、「入りなさい」と低く命じた。
二人が入る前に、セラは感情が高ぶってこぼれた涙を手の甲で何度かこする。
「失礼します」
入ってきたのは、昨日とは打って変わって軽装になったリーガンと、ドレスからワンピースになったコーディリアである。
昨日、挨拶を交わしていなかったセラは、公子であるはずのコーディリアの姿に口をパカリと開いた。
「さて、この緊急時にいったいどうされた?」
領主の問いに、リーガンが一歩前に出る。
「王子誘拐の件で、ラドクリフ公爵閣下にお願いがございます」
「願い……か、いいだろう。単刀直入に言うがいい」
「我々は王都へ行き、王にゴルゴン討伐の直訴をするつもりです。しかし、そのためには公爵以上の上告状が必要なのです」
「ほう」
領主は吐息を漏らし、その太い腕をがっしりと組んだ。
――悪い話ではない、か
ゴリネル将軍があの調子であれば、王都に送ったゴルゴン討伐の嘆願状は、途中で話を握りつぶされていたかもしれない。
確かに直訴する価値はある。むしろ自分がゼクス領を離れられない今、願ったり適ったりであった。
「よかろう。早急に上告状を書くとしよう……して、セシリアに依頼とは?」
今度はコーディリアが一歩進みでて、軽く頭を下げる。
長い赤銅色の髪が、その細い肩から流れるように零れた。
「公子が二人だけでは説得力に欠けます。せめて三領の代弁者が欲しいところですが、あいにくゼクス領の公子エルカーノ様は王子を探索中。そこで、セシリア公女殿下に同行をお願いしたのです。それに――」
コーディリアはちらりとセラを流し見た。
「セシリア様が牢に入ったとて、あなたの勇者様は喜びましょうか」
「コーディリア!」
リーガンがたしなめるが、コーディリアは意に介した風も無い。
「申し訳ありません。盗み聞きするつもりはありませんでした。ただ先ほどの話を聞き、私はセシリア様が同行すべきだと思ったのです」
そう言って、近づくコーディリアにセラは力なく首を振った。
「でも、兄様は、私に何もするなと……」
「何もするな? 何もするな、ですか!」
コーディリアは両手を広げ、天に向かって大仰に嘆いてみせた。
他の誰がやっても様にならないであろうその一挙一動は、見る者全てを魅了する技にまで洗練されている。
「では、セシリア様! あなたの胸にあるその想いは、何もしなければ一体どうなりましょう?」
コーディリアは真っ直ぐにセラの胸を指した。
セラは自分の胸元を見つめる。
成長不良どころではないまっ平らな胸。しかし、その中にあるものは確かに存在し、静かに熱く脈打っていた。
「あなたが動かずに、誰があなたの想い人を救うのですか!」
「でも、私は……いつも、フェイを苦しめて……」
「また次も同じであると? 失敗の末に、進歩ではなく停滞を望むのですか! なんと言う愚かな! やれることがあなたの前にあるのですよ?」
セラは身をすくめた。
自分が動けば、またフェイを不幸にするかもしれない。その恐怖は途方もなかった。
しかし、もし今、何もせずに取り返しの付かない事になれば、果たして自分は狂わずにいられるのだろうか。
その時、セラの脳裏にフェイの言葉が鮮明に蘇った。
『セラ、お前はまだ生きてるんだ! 死ぬ前にそれを示せよ! 腐ってる暇なんて無いんだぞ!』
そう、確かにフェイはそう言ったのだ。
――私は生きている、怖いけど、後悔したくないけど、それでも
「お父様!」
セラは領主の目を見た。その碧の目にある確かな、どこまでも真っ直ぐな意思。
領主はどうやっても勝てぬ相手がいることを認め、苦笑した。
「良かろう。護衛は任せたぞ、リーガン公子、コーディリア公子」
「「この一命を賭して」」
二人は両拳を合わせ、誓いの一礼を捧げた。
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