NOVEL
剣の国の黒猫
2)それは尋問のような
それは尋問のような光景だった。
少女がほとんど口を開かないため、フェイの質問がつい事情聴取のような口調になってしまうからだ。
「で、痛いから泣いてた訳じゃないんだな?」
コクン
「何かに追われていて、すごーく怖かった、と」
コクン
「で、相手の顔は見たのか?」
ブルブル
少女は相変わらず高級そうなハンカチを握り締め、メソメソと泣いていた。
フェイはため息を吐き、彼女から聞き出した情報を頭の中でまとめる。
まず、朝から一人で街を散歩していたらしい。だが、途中で誰かに尾行されていると気付き、怖くてとにかく逃げまわった。その結果、すっかり帰り道が分からなくなったと言う次第だ。
そして、途方にくれていた時、家出をした兄――つまりエルカが経営するクエスト屋エルカーナの看板を偶然目にした、と言うわけである。
「……大体の事情はわかった。ああ、そう言えば自己紹介がまだったな。俺はリア=フェイロン、フェイでいい。お嬢ちゃんの名前は?」
「――セシリア、ひっく、ラドクリフ」
「ラドクリフ……そうか、そうなるんだよなぁ」
店長であるエルカの父ラドクリフ公は九公爵の一人だ。公爵位はシュバート国に九つある領土とセットになっており、つまりラドクリフ公はここゼクス領の領主様と言う訳だ。
もっとも店長のエルカは家出と同時に勘当され、それ以来エルカはラドクリフ姓を使わず、ただのエルカと名乗っている。
エルカが何故家出したのか、知りたくないと言えば嘘になる。
しかし、家庭背景なんて詮索されても迷惑なだけだ。ならば一切聞かないのがパートナーってものだと、フェイは思っていた。
話を戻そう。
そのエルカとセラの父親ラドクリフ公が治めているのが、ここ鉱都ゼクス領である。
鉱都の名の通り、ここにはバイスレイトと呼ばれる貴重な鉱物の鉱山があり、当初はその作業場として徐々に発展した。
しかし、王都アインと港都ツヴァイ領を繋ぐ巨大な道路バイスアルムが建設される時、ここをバイスアルムが通る事になってから状況は一変した。
当然、大量のバイスレイトが必要になって一気に人口は増えた。さらにバイスアルムが完成した後、その物流の大動脈はゼクス領に巨万の富をもたらしたのだ。
今やゼクス領は商業都市として、かなり裕福な領に位置している。
つまり、このセシリアなるご令嬢は、非常に裕福な領の公女殿下だという事だ。
その娘を誘拐しようと狙うのは、共感できないにしても非常に効率的で納得できる。
いわんや、何故そんな狙われやすいネギカモ姫が一人で出歩いているか、であった。
「さて、まずはセシリア公女殿下――じゃあ長いな。ええと、セラでいいか?」
少女の目がわずかに開かれた。
さすがに気安かったかなと思ったが、フェイを値踏みするように見つめた公女は、やがてコクンと頷いた。
「よし、じゃあセラ。今お茶入れてやるから、そろそろ泣きやめよ?」
セラは握り締めたハンカチで顔をゴシゴシとこすると、もう一度頷く。もう泣くまいと引き結んでいる口元がいじらしい。
「さて、もったいないけどさっきのは捨てるか」
フェイは名残惜しそうに冷めてしまったお茶を窓から廃水路に捨てると、新しくお茶を淹れはじめる。
チロチロと火の燃え残る釜戸に薪を投げ込み、水がめからケトルに水をすくい、勢いを取り戻した火にかける。
その器用な手つきを、セラは興味深そうに眺めていた。
やがて、エルカーナ店内がベルリーフの豊かな香りで満たされた。
フェイはカップをセラの前に差し出すと「どうぞ」と薦める。
差し出されたカップをおずおずと受け取ると、さすがに領主公女殿下らしく優雅に口をつけた。
「おいしい!」
子供らしい素直な反応に、フェイも思わず嬉しくなった。「だろ? なにせ入荷したばかりのベルリーフだからな」と笑うと、セラもそれにつられ、小さく微笑んだ。
話を切り出すに絶好のタイミングが訪れたようだ。
「で、セラ。もう一つ質問があるんだが」
セラはお茶で警戒心が薄れてきたのか、すぐに頷いた。
「なんで城を抜け出したんだ?」
ガタンッ
セラはカップを持ったまま勢いよく立ち上がった。それでも、お茶を溢さなかったのは見事だ。
大きく見開いた目は「なんでその事を?」と雄弁に訴えていが、普通に考えればそれしかない。
豊かになった代償としてゼクス領の治安レベルはかなり低くなった。だから、クエスト屋なんて『事件解決屋』が成り立つのだ。
そんな街を、誘拐して下さいと言わんばかりの格好で、娘を一人歩きさせる親はいない。
となると、セラが勝手に抜け出す以外に道理が合わない――そう、正直に言おうかとも思ったが、もうひとつの理由をフェイは口にした。
「エルカも、よく家を抜け出してたって言ってたからな」
「兄様も、ですか?」
「あぁ、だから抜け出したくなる気持ちはよく分かる。ほら、立ってないで座れって」
セラは言われるままに座り、不思議そうにフェイを見つめる。
「じゃあ、とりあえず城まで送ればいいよな?」
「あ、はい」
セラは慌ててコクコクと頷く。
「じゃあ準備するから、そこで茶でも飲んで待ってな」
「……はい。あの、ありがとうございます」
「いいよ、エルカには世話になってるし」
そうは言ったものの、フェイは小さくため息を吐いた。
こういう身内の仕事は全く金にならないのだ。
しかも、倹約家で有名なゼクスの領主では、礼金はまずます期待できないだろう。あったとしても『ありがたーいお言葉』くらいで、そんなものむしろ要らない。
だからと言って、これが誘拐に発展するかもしれない以上、放っておくわけにもいかない。ため息の一つも出るというものだ。
壁にかけてあったホルダー付きのベルトと愛用のボウガン、大ぶりのダガ―を腰にぶら下げ、最後に厚手の黒いレザージャケットを羽織る。
今日のような小春日和に厚手のレザージャケットはかなり蒸すだろう。しかし、万が一にも誘拐犯と乱闘なんて事になれば、この皮一枚で命が助かるかもしれないのだ。
しっかりとベルトを留め、セラに声をかけようとした――その時だった。
コンコン
エルカーナの薄っぺらいドアが、軽快にノックされた。
セラは猫のようにピクリと体を震わせ、フェイも油断無くボウガンを構える。
例えば賊が白昼堂々と客を装って店内に侵入する、という可能性もこの街では有り得るのだ。
ドアの向こうにいる人物に向かって照準をあわせつつ、フェイはドアを蹴り放なった。
「きゃああああああっ!!」
また絶叫された。
扉の向こうにいた無害そのものの顔を見て、フェイはボウガンの先端をヒョイと上げる。
「タイミング悪いよ、ルナ」
「何? 何なの? あ、お客さん?」
フェイの肩越しにセラを見つけ、「わあ、かわいい!」と声を上げた彼女は、神官補佐のアルティア=ルナティヒ、通称ルナだ。
癖の無い栗毛色の髪を肩まで伸ばしており、相変わらず神官候補生の制服を生真面目に着込んでいる。
彫りの浅い目鼻、綺麗と言うよりは愛嬌のあると言った顔立ちで、そのコロコロと変わる表情は、いつも周囲を和ませてくれる。
ルナはエルカーナの開店以来――いや、開店前からも色々と手伝ってくれている。
さらに彼女は若干二十一歳ながら奇跡の使い手であり、簡易的な治療医術の心得もあるため、緊急要員として力を借りる事も多い。
あだやおろそかにできない女性であり、そして、ある事件をきっかけにフェイがひっそりと心を寄せている相手でもあった。
「どうぞ、ルナ。ちょうどお茶も淹れたとこなんだ」
「わーい!」
フェイは営業用でない笑顔で道を譲ると、ルナは軽い足取りで中に入ってきた。
そして、不安そうな目で事の成り行きを見ていたセラに「こんにちは!」と明るい声をかける。
ルナは孤児の面倒を見ることが多く、子供相手によく好かれるのが自慢でもあった。が、セラはモゴモゴと返事をしながらも目一杯フリーズする。
どうやらセラは初対面の相手は誰でも苦手らしい。
フェイはしょうがなしに助け舟を出した。
「その子の名前はセシリア、エルカの妹だよ」
「ええっ! エルカに妹なんていたの? 初耳!」
両手をパタパタさせて驚くルナに、フェイは事情を簡単に説明する。
話を聞き終えたルナは、腰に手をあてて頬を膨らませた。
「ほんと最近は治安が悪くて困ってるの。教会に来た人が食器を盗むなんてしょっちゅう、昨日なんて洗濯してた下着まで盗まれてね」
「ええっ!?」
「なに? そこだけ食いつくなんて、ちょっとやらしいじゃない」
「あ、いや、驚いただけで」
もごもごと口を閉じたフェイを見て、ルナはけらけらと笑う。彼女の前では、まだまだ大人になれない自分が妙に歯がゆかった。
「じゃあ、フェイはこれからセシリア様を城まで送るのね?」
「あ、ああ、そのつもりだけど」
「なら仕方ないか。じゃあ私、これで帰るわね」
「ええええっ!?」
「だってここ、閉めちゃうんでしょ? フェイのお茶を飲みに来たんだけど、そういう事情ならしょうがないしね」
「あ、いや、それは、その……」
大誤算である。
ルナが遊びに来てくれるなど、10日に1回くらいのものだ。その貴重な日に儲けにもならない仕事で追い返すなど、これは悔やんでも悔やみきれない。
そんなフェイの様子に、ルナがちょっと不満げにフェイを覗き込む。
「何? まさかまた私に店番させるつもり?」
そうか、その手があった。
店番をお願いして手早く戻ってくれば、二人きりでティータイムができるかもしれない。
「そこを何とかお願いできないかな? 実は今月まだ依頼がなくてさ、このままだと……」
実際は先月に大口の依頼があり、何とかなるのだが、それはそれ。
「うーん……他にやることないし、まあいっか。でも夕方までには帰ってきてね」
「もちろんだよ!」
勢い込んだ返事に、ルナは屈託無く笑う。その朗らかな笑顔にフェイが見とれているとクイクイと袖を引かれた。
セラだ。
妙に不満そうな上目使いでフェイを睨んでいる。
「あぁ、悪い。そうだな、早く行かなきゃな。じゃあルナ、店番頼むな」
「ふぅん、なるほどね……うん、頑張ってね」
フェイではなくセラを見て『頑張って』と言ったようだが、そのセラはルナからプイと顔を背け、フェイより先に外へ行ってしまった。
まだ緊張してるのかとフェイは苦笑を漏らし、最後に「じゃあ」とルナに手を振って外へ出た。
「がーんばってねー!」
春の陽気を体現したようなルナの声が、二人の出発をささやかながら祝福したのだった。
陽はまだ高く日差しも強かったが、幸いにもサワサワと心地よい風が吹いており、散歩には絶好の日和だ。抜け出したくなったセラの気持ちも分からないでもない。
息を大きく吸い込むと、青い、春の芽吹きの匂いが胸に広がった。
「よし、ちゃっちゃと行くか!」
領主の城はエルカーナからそこまで遠くはない。徒歩で十分であり、わざわざ高い乗り合い馬車に乗るまでもなかった。
あぜ道を意気揚々と歩くフェイは時折振り返り、微妙な距離でヒョコヒョコと付いてくるセラを確認する。こうやって子供を連れて歩くと、自分が一気に年寄りじみた気がした。
少し歩いて振り返る。少し歩く、振り返る――そこでようやく、セラが後ろにいると、いざと言う時に守りにくいと思い当たった。
「セラ、できれば前を歩いてくれないか? 道はちゃんと指示するから」
フェイは極めて紳士的に切り出したつもりだったが、セラはぶんぶんと首を振った。
いざと言うときの安全の為だと理由を説明したがそれでも首を振る。フェイにはまったく理解不能だ。
「これから人ごみを歩くんだ、はぐれたら危険なんだ、わかるよな?」
イライラしたフェイは半分脅しのつもりで言った――のだが、セラはにっこりと微笑むと、走りよってフェイの手を掴んだ。
確かにこれなら一番はぐれないだろう。しかし、なぜ前を歩くのが嫌で手を繋ぐのが良いのか、極めて理解不能だった。
だが危険だと言った手前、フェイは手を繋いで歩き始める。しかしこれがどうしようもなく恥ずかしいのだ。傍から見ればまるで誘拐犯である。
知り合いが来ないことを祈りながら、道の端をコソコソと歩き続ける。
「――あの」
おずおずとセラが声を出した時、さすがに手を繋いで歩く事が恥ずかしくなったのだと、フェイは胸をなでおろす。
「そうか、じゃあ俺の前を歩いてくれるか?」
ブンブンと首を振っての全否定。
フェイの僅かな期待は一秒もしないうちに崩れさった。
「あの、さっきの女の人」
「さっきのって言うと、ルナの事か?」
セラはコクンと頷く。
「ルナがどうかしたか?」
「恋人、ですか?」
セラの一言にフェイは動揺し、思わず顔を背けた。
「そりゃあ恋人じゃない――けど、友達ではあるな。うん」
「じゃあ恋人、いないんですか?」
「はぁ!?」
フェイは自分の顔が引きつっているのを自覚した。
何でそんな事を答えきゃならないんだ、そう怒鳴ろうとしたが、ここでセラが泣けば、完全に誘拐犯だ。
フェイはため息混じりに答える。
「……そんなもん、いない」
するとセラはとニマニマと笑ってフェイを見上げた。
その歳で恋人もいないんだ、と言われたような敗北感をフェイは覚える。
――これだからガキは
これ以上恋愛話など広げてたまるかと、フェイはあえて別の話題を切り出した。
「そうだ。セラのガーディアンってどうしたんだよ? 公女殿下ともなれば、一人や二人はいるんだろ?」
「その、ガラムは、お休みで」
「ちょっとまて! 今、ガラムって言ったか?」
セラの言葉を遮るように、フェイは思わず声を荒げた。
「ガラムって、あの風のガラムだろ? シャムシールの達人の?」
「知ってるんですか?」
「そりゃあ知ってるさ! あの盗賊団ゴルゴンの元副団長で、ああ、そうか! エルカの剣の師匠だったよな。いや、そう考えればありえるか。いやぁ、そっかぁ」
ナラド=ガラムディン、通称『風のガラム』。砂漠の民の猛者で、知る人ぞ知るシャムシールの達人だ。
ラドクリフ公に仕える前には、なんとあの最強と名高い盗賊団ゴルゴンの副団長だった人でもある。
各地で軍をも退ける盗賊団ゴルゴンは、怖れられつつも義賊として自由と力の代名詞となっている。かく言うフェイも、小さいころにゴルゴンの援助で食いつないで、どうにか生きているのだ。
だから、クエスト屋をやる前はゴルゴンに入団する気でいたくらいだった。
いや、今でも機会があればと思っている。
――ひょっとして、セラに話をつければ、ガラムさんに会えるかも?
「なぁ、セラ。今度でいいから、ガラムさんに会わせてもらえないか」
「会う?」
「そう。会って話がしたいんだよ。俺、いつかガラムさんみたいになりたくてっさ」
「ガラムみたいに?」
セラは小首を傾げる。
「ああ。いつかさ、ガラムさんの後継者って呼ばれるようになれたらなあって」
「後継者って――」
「いや、流石に無理なのは分かってるよ。でも、きっといつかはさ」
――そう。きっといつか、あのゴルゴンで一目置かれるような男に!
妄想に浸っていると、フェイの手がグイと引かれた。
見ると、微妙に頬を赤くしたセラが立ち止まっている。
長い間歩いていたので、体調でもくずしたのだろうか?
しかし、セラは微笑むと小声でつぶやいた。
「なれます!」
「ん?」
「フェイさんなら、ガラムみたいに、なれます!」
「あ、あぁ、ありがと。と言っても、俺なんてまだ全然弱いんだけどな」
「ううん! フェイさんなら、絶対、大丈夫!」
顔を上げたセラの目は真剣そのものだった。
こうも真っ直ぐに言われると不思議と自信が沸いてくる。それと同時に、今は『この子を守らなくては』と強く決心したのだ。
「よし、じゃあしっかり守ってやるからな」
「は、はいっ!」
「それから、もうフェイさんはやめろよ。フェイでいい。なんかむず痒いんだ」
「じゃあ、その……フェイ」
「そうそう、その方がこっちも楽だ」
「……はい」
繋いでいた小さな手に、キュッと力が込められる。
その瞬間、小さく弱い手の感触に何故かゾクリとした悪寒を感じた。
決定的な間違いを犯したような、そんな寒気が走ったのだ。
――こんな子供に恐怖を感じるなんてな
フェイは苦笑すると、疑念を頭の片隅へと追いやったのだった。
その疑念が確信に変わるまでの間だが。
少女がほとんど口を開かないため、フェイの質問がつい事情聴取のような口調になってしまうからだ。
「で、痛いから泣いてた訳じゃないんだな?」
コクン
「何かに追われていて、すごーく怖かった、と」
コクン
「で、相手の顔は見たのか?」
ブルブル
少女は相変わらず高級そうなハンカチを握り締め、メソメソと泣いていた。
フェイはため息を吐き、彼女から聞き出した情報を頭の中でまとめる。
まず、朝から一人で街を散歩していたらしい。だが、途中で誰かに尾行されていると気付き、怖くてとにかく逃げまわった。その結果、すっかり帰り道が分からなくなったと言う次第だ。
そして、途方にくれていた時、家出をした兄――つまりエルカが経営するクエスト屋エルカーナの看板を偶然目にした、と言うわけである。
「……大体の事情はわかった。ああ、そう言えば自己紹介がまだったな。俺はリア=フェイロン、フェイでいい。お嬢ちゃんの名前は?」
「――セシリア、ひっく、ラドクリフ」
「ラドクリフ……そうか、そうなるんだよなぁ」
店長であるエルカの父ラドクリフ公は九公爵の一人だ。公爵位はシュバート国に九つある領土とセットになっており、つまりラドクリフ公はここゼクス領の領主様と言う訳だ。
もっとも店長のエルカは家出と同時に勘当され、それ以来エルカはラドクリフ姓を使わず、ただのエルカと名乗っている。
エルカが何故家出したのか、知りたくないと言えば嘘になる。
しかし、家庭背景なんて詮索されても迷惑なだけだ。ならば一切聞かないのがパートナーってものだと、フェイは思っていた。
話を戻そう。
そのエルカとセラの父親ラドクリフ公が治めているのが、ここ鉱都ゼクス領である。
鉱都の名の通り、ここにはバイスレイトと呼ばれる貴重な鉱物の鉱山があり、当初はその作業場として徐々に発展した。
しかし、王都アインと港都ツヴァイ領を繋ぐ巨大な道路バイスアルムが建設される時、ここをバイスアルムが通る事になってから状況は一変した。
当然、大量のバイスレイトが必要になって一気に人口は増えた。さらにバイスアルムが完成した後、その物流の大動脈はゼクス領に巨万の富をもたらしたのだ。
今やゼクス領は商業都市として、かなり裕福な領に位置している。
つまり、このセシリアなるご令嬢は、非常に裕福な領の公女殿下だという事だ。
その娘を誘拐しようと狙うのは、共感できないにしても非常に効率的で納得できる。
いわんや、何故そんな狙われやすいネギカモ姫が一人で出歩いているか、であった。
「さて、まずはセシリア公女殿下――じゃあ長いな。ええと、セラでいいか?」
少女の目がわずかに開かれた。
さすがに気安かったかなと思ったが、フェイを値踏みするように見つめた公女は、やがてコクンと頷いた。
「よし、じゃあセラ。今お茶入れてやるから、そろそろ泣きやめよ?」
セラは握り締めたハンカチで顔をゴシゴシとこすると、もう一度頷く。もう泣くまいと引き結んでいる口元がいじらしい。
「さて、もったいないけどさっきのは捨てるか」
フェイは名残惜しそうに冷めてしまったお茶を窓から廃水路に捨てると、新しくお茶を淹れはじめる。
チロチロと火の燃え残る釜戸に薪を投げ込み、水がめからケトルに水をすくい、勢いを取り戻した火にかける。
その器用な手つきを、セラは興味深そうに眺めていた。
やがて、エルカーナ店内がベルリーフの豊かな香りで満たされた。
フェイはカップをセラの前に差し出すと「どうぞ」と薦める。
差し出されたカップをおずおずと受け取ると、さすがに領主公女殿下らしく優雅に口をつけた。
「おいしい!」
子供らしい素直な反応に、フェイも思わず嬉しくなった。「だろ? なにせ入荷したばかりのベルリーフだからな」と笑うと、セラもそれにつられ、小さく微笑んだ。
話を切り出すに絶好のタイミングが訪れたようだ。
「で、セラ。もう一つ質問があるんだが」
セラはお茶で警戒心が薄れてきたのか、すぐに頷いた。
「なんで城を抜け出したんだ?」
ガタンッ
セラはカップを持ったまま勢いよく立ち上がった。それでも、お茶を溢さなかったのは見事だ。
大きく見開いた目は「なんでその事を?」と雄弁に訴えていが、普通に考えればそれしかない。
豊かになった代償としてゼクス領の治安レベルはかなり低くなった。だから、クエスト屋なんて『事件解決屋』が成り立つのだ。
そんな街を、誘拐して下さいと言わんばかりの格好で、娘を一人歩きさせる親はいない。
となると、セラが勝手に抜け出す以外に道理が合わない――そう、正直に言おうかとも思ったが、もうひとつの理由をフェイは口にした。
「エルカも、よく家を抜け出してたって言ってたからな」
「兄様も、ですか?」
「あぁ、だから抜け出したくなる気持ちはよく分かる。ほら、立ってないで座れって」
セラは言われるままに座り、不思議そうにフェイを見つめる。
「じゃあ、とりあえず城まで送ればいいよな?」
「あ、はい」
セラは慌ててコクコクと頷く。
「じゃあ準備するから、そこで茶でも飲んで待ってな」
「……はい。あの、ありがとうございます」
「いいよ、エルカには世話になってるし」
そうは言ったものの、フェイは小さくため息を吐いた。
こういう身内の仕事は全く金にならないのだ。
しかも、倹約家で有名なゼクスの領主では、礼金はまずます期待できないだろう。あったとしても『ありがたーいお言葉』くらいで、そんなものむしろ要らない。
だからと言って、これが誘拐に発展するかもしれない以上、放っておくわけにもいかない。ため息の一つも出るというものだ。
壁にかけてあったホルダー付きのベルトと愛用のボウガン、大ぶりのダガ―を腰にぶら下げ、最後に厚手の黒いレザージャケットを羽織る。
今日のような小春日和に厚手のレザージャケットはかなり蒸すだろう。しかし、万が一にも誘拐犯と乱闘なんて事になれば、この皮一枚で命が助かるかもしれないのだ。
しっかりとベルトを留め、セラに声をかけようとした――その時だった。
コンコン
エルカーナの薄っぺらいドアが、軽快にノックされた。
セラは猫のようにピクリと体を震わせ、フェイも油断無くボウガンを構える。
例えば賊が白昼堂々と客を装って店内に侵入する、という可能性もこの街では有り得るのだ。
ドアの向こうにいる人物に向かって照準をあわせつつ、フェイはドアを蹴り放なった。
「きゃああああああっ!!」
また絶叫された。
扉の向こうにいた無害そのものの顔を見て、フェイはボウガンの先端をヒョイと上げる。
「タイミング悪いよ、ルナ」
「何? 何なの? あ、お客さん?」
フェイの肩越しにセラを見つけ、「わあ、かわいい!」と声を上げた彼女は、神官補佐のアルティア=ルナティヒ、通称ルナだ。
癖の無い栗毛色の髪を肩まで伸ばしており、相変わらず神官候補生の制服を生真面目に着込んでいる。
彫りの浅い目鼻、綺麗と言うよりは愛嬌のあると言った顔立ちで、そのコロコロと変わる表情は、いつも周囲を和ませてくれる。
ルナはエルカーナの開店以来――いや、開店前からも色々と手伝ってくれている。
さらに彼女は若干二十一歳ながら奇跡の使い手であり、簡易的な治療医術の心得もあるため、緊急要員として力を借りる事も多い。
あだやおろそかにできない女性であり、そして、ある事件をきっかけにフェイがひっそりと心を寄せている相手でもあった。
「どうぞ、ルナ。ちょうどお茶も淹れたとこなんだ」
「わーい!」
フェイは営業用でない笑顔で道を譲ると、ルナは軽い足取りで中に入ってきた。
そして、不安そうな目で事の成り行きを見ていたセラに「こんにちは!」と明るい声をかける。
ルナは孤児の面倒を見ることが多く、子供相手によく好かれるのが自慢でもあった。が、セラはモゴモゴと返事をしながらも目一杯フリーズする。
どうやらセラは初対面の相手は誰でも苦手らしい。
フェイはしょうがなしに助け舟を出した。
「その子の名前はセシリア、エルカの妹だよ」
「ええっ! エルカに妹なんていたの? 初耳!」
両手をパタパタさせて驚くルナに、フェイは事情を簡単に説明する。
話を聞き終えたルナは、腰に手をあてて頬を膨らませた。
「ほんと最近は治安が悪くて困ってるの。教会に来た人が食器を盗むなんてしょっちゅう、昨日なんて洗濯してた下着まで盗まれてね」
「ええっ!?」
「なに? そこだけ食いつくなんて、ちょっとやらしいじゃない」
「あ、いや、驚いただけで」
もごもごと口を閉じたフェイを見て、ルナはけらけらと笑う。彼女の前では、まだまだ大人になれない自分が妙に歯がゆかった。
「じゃあ、フェイはこれからセシリア様を城まで送るのね?」
「あ、ああ、そのつもりだけど」
「なら仕方ないか。じゃあ私、これで帰るわね」
「ええええっ!?」
「だってここ、閉めちゃうんでしょ? フェイのお茶を飲みに来たんだけど、そういう事情ならしょうがないしね」
「あ、いや、それは、その……」
大誤算である。
ルナが遊びに来てくれるなど、10日に1回くらいのものだ。その貴重な日に儲けにもならない仕事で追い返すなど、これは悔やんでも悔やみきれない。
そんなフェイの様子に、ルナがちょっと不満げにフェイを覗き込む。
「何? まさかまた私に店番させるつもり?」
そうか、その手があった。
店番をお願いして手早く戻ってくれば、二人きりでティータイムができるかもしれない。
「そこを何とかお願いできないかな? 実は今月まだ依頼がなくてさ、このままだと……」
実際は先月に大口の依頼があり、何とかなるのだが、それはそれ。
「うーん……他にやることないし、まあいっか。でも夕方までには帰ってきてね」
「もちろんだよ!」
勢い込んだ返事に、ルナは屈託無く笑う。その朗らかな笑顔にフェイが見とれているとクイクイと袖を引かれた。
セラだ。
妙に不満そうな上目使いでフェイを睨んでいる。
「あぁ、悪い。そうだな、早く行かなきゃな。じゃあルナ、店番頼むな」
「ふぅん、なるほどね……うん、頑張ってね」
フェイではなくセラを見て『頑張って』と言ったようだが、そのセラはルナからプイと顔を背け、フェイより先に外へ行ってしまった。
まだ緊張してるのかとフェイは苦笑を漏らし、最後に「じゃあ」とルナに手を振って外へ出た。
「がーんばってねー!」
春の陽気を体現したようなルナの声が、二人の出発をささやかながら祝福したのだった。
陽はまだ高く日差しも強かったが、幸いにもサワサワと心地よい風が吹いており、散歩には絶好の日和だ。抜け出したくなったセラの気持ちも分からないでもない。
息を大きく吸い込むと、青い、春の芽吹きの匂いが胸に広がった。
「よし、ちゃっちゃと行くか!」
領主の城はエルカーナからそこまで遠くはない。徒歩で十分であり、わざわざ高い乗り合い馬車に乗るまでもなかった。
あぜ道を意気揚々と歩くフェイは時折振り返り、微妙な距離でヒョコヒョコと付いてくるセラを確認する。こうやって子供を連れて歩くと、自分が一気に年寄りじみた気がした。
少し歩いて振り返る。少し歩く、振り返る――そこでようやく、セラが後ろにいると、いざと言う時に守りにくいと思い当たった。
「セラ、できれば前を歩いてくれないか? 道はちゃんと指示するから」
フェイは極めて紳士的に切り出したつもりだったが、セラはぶんぶんと首を振った。
いざと言うときの安全の為だと理由を説明したがそれでも首を振る。フェイにはまったく理解不能だ。
「これから人ごみを歩くんだ、はぐれたら危険なんだ、わかるよな?」
イライラしたフェイは半分脅しのつもりで言った――のだが、セラはにっこりと微笑むと、走りよってフェイの手を掴んだ。
確かにこれなら一番はぐれないだろう。しかし、なぜ前を歩くのが嫌で手を繋ぐのが良いのか、極めて理解不能だった。
だが危険だと言った手前、フェイは手を繋いで歩き始める。しかしこれがどうしようもなく恥ずかしいのだ。傍から見ればまるで誘拐犯である。
知り合いが来ないことを祈りながら、道の端をコソコソと歩き続ける。
「――あの」
おずおずとセラが声を出した時、さすがに手を繋いで歩く事が恥ずかしくなったのだと、フェイは胸をなでおろす。
「そうか、じゃあ俺の前を歩いてくれるか?」
ブンブンと首を振っての全否定。
フェイの僅かな期待は一秒もしないうちに崩れさった。
「あの、さっきの女の人」
「さっきのって言うと、ルナの事か?」
セラはコクンと頷く。
「ルナがどうかしたか?」
「恋人、ですか?」
セラの一言にフェイは動揺し、思わず顔を背けた。
「そりゃあ恋人じゃない――けど、友達ではあるな。うん」
「じゃあ恋人、いないんですか?」
「はぁ!?」
フェイは自分の顔が引きつっているのを自覚した。
何でそんな事を答えきゃならないんだ、そう怒鳴ろうとしたが、ここでセラが泣けば、完全に誘拐犯だ。
フェイはため息混じりに答える。
「……そんなもん、いない」
するとセラはとニマニマと笑ってフェイを見上げた。
その歳で恋人もいないんだ、と言われたような敗北感をフェイは覚える。
――これだからガキは
これ以上恋愛話など広げてたまるかと、フェイはあえて別の話題を切り出した。
「そうだ。セラのガーディアンってどうしたんだよ? 公女殿下ともなれば、一人や二人はいるんだろ?」
「その、ガラムは、お休みで」
「ちょっとまて! 今、ガラムって言ったか?」
セラの言葉を遮るように、フェイは思わず声を荒げた。
「ガラムって、あの風のガラムだろ? シャムシールの達人の?」
「知ってるんですか?」
「そりゃあ知ってるさ! あの盗賊団ゴルゴンの元副団長で、ああ、そうか! エルカの剣の師匠だったよな。いや、そう考えればありえるか。いやぁ、そっかぁ」
ナラド=ガラムディン、通称『風のガラム』。砂漠の民の猛者で、知る人ぞ知るシャムシールの達人だ。
ラドクリフ公に仕える前には、なんとあの最強と名高い盗賊団ゴルゴンの副団長だった人でもある。
各地で軍をも退ける盗賊団ゴルゴンは、怖れられつつも義賊として自由と力の代名詞となっている。かく言うフェイも、小さいころにゴルゴンの援助で食いつないで、どうにか生きているのだ。
だから、クエスト屋をやる前はゴルゴンに入団する気でいたくらいだった。
いや、今でも機会があればと思っている。
――ひょっとして、セラに話をつければ、ガラムさんに会えるかも?
「なぁ、セラ。今度でいいから、ガラムさんに会わせてもらえないか」
「会う?」
「そう。会って話がしたいんだよ。俺、いつかガラムさんみたいになりたくてっさ」
「ガラムみたいに?」
セラは小首を傾げる。
「ああ。いつかさ、ガラムさんの後継者って呼ばれるようになれたらなあって」
「後継者って――」
「いや、流石に無理なのは分かってるよ。でも、きっといつかはさ」
――そう。きっといつか、あのゴルゴンで一目置かれるような男に!
妄想に浸っていると、フェイの手がグイと引かれた。
見ると、微妙に頬を赤くしたセラが立ち止まっている。
長い間歩いていたので、体調でもくずしたのだろうか?
しかし、セラは微笑むと小声でつぶやいた。
「なれます!」
「ん?」
「フェイさんなら、ガラムみたいに、なれます!」
「あ、あぁ、ありがと。と言っても、俺なんてまだ全然弱いんだけどな」
「ううん! フェイさんなら、絶対、大丈夫!」
顔を上げたセラの目は真剣そのものだった。
こうも真っ直ぐに言われると不思議と自信が沸いてくる。それと同時に、今は『この子を守らなくては』と強く決心したのだ。
「よし、じゃあしっかり守ってやるからな」
「は、はいっ!」
「それから、もうフェイさんはやめろよ。フェイでいい。なんかむず痒いんだ」
「じゃあ、その……フェイ」
「そうそう、その方がこっちも楽だ」
「……はい」
繋いでいた小さな手に、キュッと力が込められる。
その瞬間、小さく弱い手の感触に何故かゾクリとした悪寒を感じた。
決定的な間違いを犯したような、そんな寒気が走ったのだ。
――こんな子供に恐怖を感じるなんてな
フェイは苦笑すると、疑念を頭の片隅へと追いやったのだった。
その疑念が確信に変わるまでの間だが。
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