昔話

2014年9月22日 20時39分37秒 (Mon)

2代目の父が盛りの頃 

運転のできない父は、タクシーで三条市まで集金に行っていました。
往復50キロ
「免許を取るために教習所へ行くよりも、その時間があれば
鋸を作った方が儲かる」


今となってはそれでよかったと思っています。
認知症で運転して事故を起こしたり
高速道路を逆走したり
されるよりも
徘徊の方が
ましだからです。


父は、合併前の町の商工会の副会長もやりました。
翌年の新会長も鋸鍛冶でした。

鋸鍛冶は、花型の職業でした。

月末の給料日になると
従業員(5人)を町内の寿司屋に連れて行き
酒とお寿司を振舞いました。

栄華のきわめつけは
信用組合の総代にもなりました。
総代になるには
ある程度の預金額がないとなれません。

同業者に
よくこう言われたました。

「おまえのおやじは
酒を飲み飲み、金を貯めた」



息子の私は、
プラモデルを
毎月何かしら買ってもらっていました。
当時数千円もする大型の戦車。 等
なかなか完成できませんでした。

でもそのおかげで
モノづくりの基本がわかり、モノづくりの楽しさも芽生えました。

18歳の私
家業を継ぐということに
何の迷いもありませんでした。

進学校の高校で
大学を受験しなかったのは3人だけでした。
鋸鍛冶
ダンプの運転手
自衛隊


世の中は勉強よりも、腕1本で通用すると、信じていました。
ですから三条での修行の時は、非常に気合が入っておりました。
つぶしがきかないから

修行を終えて、意気揚々と実家にもどり
それからまもなく
頭の良い勉強のできる人たちが
科学技術の粋を集めた替え刃式鋸を開発したことによって

私の信念は、木端微塵
プライドは、ズタズタ

お先真っ暗
実に 恐ろしいことになったわけです。

適齢期になっても、収入がないので結婚はあきらめざるをえないと思っていました。
それ以降、お正月が来ても
おめでたい気分には、なれませんでした。


没落後の父の口癖は
  「栄枯盛衰」でした。
                          (聞き書き)

 

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新潟県長岡市在住の鋸職人・東賢一郎
3代目中屋長二郎

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