2016年05月 アーカイブ

巨聖逝く―マンジュシュリー・ミトラ正大師物語 (オウム・コミックス)


巨聖逝く―マンジュシュリー・ミトラ正大師物語 (オウム・コミックス)

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ある読者の方の好意によりファイルをお譲りいただきました。

なかなか入手困難な書籍です。

皆さん感謝して読みましょう。

 

巨聖逝く―マンジュシュリー・ミトラ正大師物語 (オウム・コミックス)



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http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_sb_noss?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&url=search-alias%3Daps&field-keywords=%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9F%E3%83%88%E3%83%A9

この本が欲しくて買いたいのですが、値段が高いです。

マンジュリーミトラ正大師のエピソードをコミックしたものなのですが、内容も良くおもしろいです。

わたしは1995年頃に一度読んだことがあります。

それで・・・共同で購入したいのです。

4人ぐらいとか集まれば、一人5000円ぐらいということになりますが、そんなには集まらないでしょう。

わたしは11000円までなら出せます。

どなたか後10000円出していただけないでしょうか?

このサイトの読者ならお分かりだと思いますが、購入できたあかつきには、PDFファイルでみんなで読めるようにします。

1万円出してください。よろしくお願いします。

苦ありて信あり



嫌悪の強さは人それぞれ違う。

ひどいことをされたとしても、反応は人それぞれです。

ある人はムッとするだけ、ある人はちょっと怒る。

ある人は怒る。ある人は半狂乱になって怒る。

まあよくひどいことをした人が悪いという話になるのですが・・

人から何か言われたりされても、あまり怒らないで気にせず、嫌なことはすぐに忘れ流せる人の方が、人間関係がうまくいき、世の中渡っていきやすいです。

こういう人間関係の問題は誰しもが悩むことではありますが。

問題なのは、嫌悪が強いと、さらっと右から左へ流せない。

いつまでも気にして相手を恨むようになってしまいます。



相手に怒りをぶつけて憎しみや恨みを晴らしても、それは解決したことにはなりません。

その嫌悪を弱めて、嫌悪を滅してこそ苦しみから解放されるのです。

しかし怒り狂っている人にそんなことを言ってもなかなか通じないのはわかります。

しかしよく考えて欲しいです。本当に相手が悪いのか?自分に原因はないのか?

わたしの経験を書くと、わたしも嫌悪が強く人とうまくいきませんでした。

だんだんと嫌悪が強くなっていき、激しい怒りの感情をどうにかすることはできないのか?

若いときはよく悩んだりしました。

それでこのままでは生きていけないから、将来自殺するか、嫌悪を克服するかしかありませんでした。

自殺するわけにはいかないので、自分を変えようといろいろ模索しているうちにオウムに巡り合いました。

そして修行の道に入ったのです。

修行して嫌悪が弱まれば、弱まった分だけ、楽になり苦しみから解放されます。

煩悩を弱める、煩悩を滅するのが修行する目的です。

やはり心の平安、安らぎが何物にも代えがたいです。わたしの場合はまだまだでしょうが。

それで、話が難しくなるかもしれませんが、なぜ嫌悪が強くなるのか?



嫌悪が強いといのは愛著(あいじゃく)が強いからです。愛著というのは執着の強い言い方です。

これは必ずそうなります。

例えば性欲や異性に強く執着(愛著)すると、嫌悪が強まるのです。

必ずそうなります。教義でもそう説かれているし、わたしは何度も経験しています。

愛著が強い、強くないといのは、何をもって判断するかというのは難しいですが、

潜在意識でどれだけ執着しているか?どれだけとらわれているか?ということになるでしょう。

修行していなくても、自分が怒り狂っていたりすれば、自分は怒っている、自分は怒りの感情が強いということがわかるはずです。

しかし、愛著が強いというのは自分ではなかなかわからないです。

わたしが性欲などに愛著が強いと気づきだしたのが、修行を始めて10年以上経ってからですから。

修行するのは大変だなあと思うでしょうが。


男は性欲が強いものだと思っていましたが、人よりもかなり強いようです。

愛著が強いことは自分ではなかなかわからないです。


愛著を弱め、嫌悪を弱めることは大いに意義があります。

人の好き嫌いがなくなり、わけへだてなく人と接することができるようになる。

人から愛されるようになる。という恩恵があるからです。

わたしも修行の道に入るまでは、ひたすら愛著を強めていました。

例えば性欲を求め、性欲を満たし、性欲を修習(しゅじゅう)[繰り返し繰り返しなすこと]する。

煩悩を求めて、煩悩を満たしているときには、嫌悪が強くなり、人とうまくいかない原因が愛著だとは、とてもきづきません。

愛著が強くなり、嫌悪が強くなるとだんだん苦しみが大きくなり、悪循環を招くようになります。

嫌悪が強いというのと自我が強いといのは同義なのですが。

自我が強くなると、

自分は他人の欠点、汚れを受け入れられない。

他人の批判はするが、自分は批判されたくない。

自分は人を嫌うが、自分は嫌われたくない。

自分は他人を愛せないが、自分は愛されたい、優しくされたい。

気に入らないことはすぐに怒るようになる。

当然これでは人とはうまくいきません。

愛著を強め自我が強くなるとこうなります。

人に悪口を言ったり、嫌ったりすれば、それがカルマになります。

カルマを積めばそれがいつか自分に返ってくる。

カルマが返ってきて、嫌われたり、批判されれば、嫌悪が強ければ、相手を許せず、恨むことになる。

修行せず、愛著を強めていれば、とてもそれが自分のカルマだとは思えない。

相手を憎んだり、恨んだりして、悪口を言い返してまたカルマを積む。

だんだん悪循環を繰り返していく。

煩悩を求め、煩悩に愛著し、愛著を強めれば、嫌悪がだんだん強くなっていき、苦しみも大きくなっていく。

いきつくとまでいけば

周りの人はすべて嫌い。

周りの人すべてが自分を傷つける。

周りの人すべては敵。

嫌悪が強くなると、自意識過剰になり、被害妄想的な考えになります。

嫌悪というのは壁だから、あの人も嫌い。この人も嫌いということで、どんどん壁を作っていく。

そうすると最後は孤立し、孤独になる。

周りの人すべてから嫌われる。自分も周りの人すべてが嫌い。それで自分も嫌になる。

誰からも相手にされない。人間でいながら地獄を味わうことになる。

すべては心のあらわれ。天国を作るのも地獄を作るのも自分の心次第です。

人は本質的に幸福になりたい。楽になりたいと思っています。

強がって、苦しくてもいいんだ。地獄のような苦しみでもいいんだと言ったとしても、それは本心ではありません。

本当に苦しい状況になったときに、誰しもがそこから逃れたい。その状況から脱却したいと思うでしょうから。

人は誰しもが、心の平安や安らぎを求めているということです。

それを得るには修行するしかありません。

苦しむことは決して悪いことではありません。

苦しんで、苦しんで、のたうち回るほど苦しんで、修行の道に入ればそれでいいと。

わたしもオウムに入る23までは、ひたすら煩悩を修習し、嫌悪を強めていたようです。

人とのいざこさや争い、孤立して孤独になるということも多々ありました。

人に対して悪口を言ったり、悪業もなしたでしょうが、

そういう経験をいろいろして苦しんで、修行の道に入りました。

苦ありて信あり。 苦しんだ人ほど強い信が持てます。








 


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